深*龍宮の使いのブログ

色々なことを書いていきたいと思います、よろしくお願いします。

国と、国家を混同するな、

2006-06-23 13:13:59 | 社会
    どうもこんにちは


  そういえば今朝、日本対ブラジルの試合があったようで、結果、日本は負けたようですね。 うーむ、思うのですが、今の日本のサッカーの目指す目的ってなんだろうと考えてみたのですけど、よく考えるとこれというものがないのですね。 ワールドカップに出場をしようと何十年もやってきて、出られるようになったら、どうするかわからないような、そんな状態にあるのかなと思います。 まあ、そこら辺が日本人らしいといえば日本人らしいですけど、今の日本もそうですよね、追いつけ追い越せと進んでいって、追い越したらやることがわからない。 思うんですが日本人は問題の再定義、もしくは、高次元の目標の設定というものが出来ないのではないかなという感じがするのですが、どうなんでしょうか。



  さて、それはいいとして、今日は、国と、国家を混同するな、という事でも、少し前に読んだ本で、こんな内容が書いてあったのですけど、日本の政治家が日本はもうだめだから、段階的に衰弱させるしかない、そういう意見を言っていたのですが、それを読んでいて思ったのが、国家という制度の上で国(国民の住んでいる世界)を眺めた時と、国、まあ、そこに住んでいる人から住んでいる国の世界を眺めたときとでは、かなり見方が変わってしまうのではないだろうか、つまり、国家(政府などの国家制度)、と国(国民等のそのに住んでいる人々の世界)、とでは、乖離といいますか、実は一緒のものではなく全然別のものであって、そこから眺めたときの世界が、全然違うものになる時もあるのではないか?、そんな風に思ったのです。


  多分そういうことが起こるのは、国と国家が、方向性的にまったく違う方向に進むとき起こるのではないかなと思ったのですが。 例えば今の日本の場合はそれに当てはまっているような気がします、日本政府と日本という国の間には隙間のようなものが実はあって、その乖離をうまく見ることが出来ないから前に進むことが出来ないのではないかと考えるときがあります、例えるなら、右足が前に進もうとし、左足が後ろへ進もうとするので、動けなくなってしまっている、国と国家の方向性が逆になれば、それは全体として停止するしかない、今の日本には色々な問題がありますが、その一つの問題として、こういう国家制度の方向性と、国自体の方向性のずれによる全体の停滞、というものがあるのではないかと思ったので、書いてみようかと。



  それで、国と国家の混同の問題、ここでいう国、国家とは上でも簡単に書きましたが、国とは、日本で言えば日本人が集まって、日本という国をつくっている状態、国家とは、その国を機能的に動かすための、道具としての制度、という風に分けているのですが。 それでその、国家と国というものは、実際のところはほとんど同じであり、多くの場合は同じものと考えてもそう間違ってはいないと思います。 しかしもし、国家の将来と国の将来がずれたら、そういう場合はかなり厄介なことになるではないかと思います。 例えば今の日本では、冷戦が終わって、国家の役割が縮小したのと、高い経済成長期ではなく、低成長高負荷の状態であるため、政府に対する縛りが大きく、また、グローバルな経済の発達により、日本という国の富が、日本政府に必ず入ってくるという構造が崩れ、日本政府自体は財政的弱体化と、制度上の縛りの増加に遭っている。


  しかし、日本政府という国家制度の弱体化とは関係なく、日本という国自体は大きな可能性を秘め、うまく行く余地は決して小さくはない、つまり、国家の方向性は弱体化であっても、日本という国自体は逆の方向性を持っている、そうした場合、例えばその国の政府の人はどう思うか?、この国はだめだと錯覚しないだろうか?、そういうふうに考えてみると、、 


  日本政府は、むかしの高度経済成長期のような、大きな権限、小さな負担、という政府の状態は維持できず、非常に制約の大きな、権限のどんどん減っていくような状態に追い込まれていた。 と考えてみると、それに対する反発があって、自分の権限を最大限に使う方向性を見出そうとし、莫大な借金をつくった、自分の権限を最大限に見せ付けるために、帳尻の合っていない制度を無理やり維持しようとした、つまり、政府としての制度の弱体化を、無意識なのかどうなのかどうなのかわかりませんが、国の弱体化と混同していた、政府が弱体化するのだから、それは国の弱体化と同義ではないか?、そういう錯覚がこの国をおかしな方向へ進ませたような気がしてならないのです。



  だから思うのですが、今のような状況が来た時やるべきことは、国と国家の混同をしているつながりを切って行って、国と国家が別々のものとして認識し、全体像を捉えて手を考えるべきではないかと思います。 つまり、国家は国ではなく、国は国家ではない、国家と国との間に隙間を作って、距離をとらなければならない、そうしなければ国家の方向性と、国の方向性の違いの修正は出来ず、無駄な悪循環が延々と続くことになる。 


  私はこの国について色々考えるのですけど、考えていった事が多くの場合、国と国家の分離の必要性にたどり着くことが多いのですね、つまり日本の場合、国と国家が協力関係を結べるところが少なく、逆に切り離したほうがうまく行くところが多い。 今のこの国の国家と国の方向性は、まったく逆になっていて、互いが互いを滅ぼしかねないような関係になっている、しかしそれは不毛であり、無意味です、ですから今日本のやるべきことは、国と国家の混同をやめ、国と国家を切り離していったところに、未来へすり抜けれるようなそういう道が存在するような、そんな気がします。





    それで、ちょっと疲れてきので、二週間ほど休もうかと思います、本当は来週まとめみたいなのを書いてからにしようかと思っていたのですけど、思っていたより疲れてしまったので、今週までにして、次回は二週間後の月曜日にまた書こうかと思っています、では、次回まで。