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納戸の奥に眠っている箱を久しぶりに出してみると…
買い集めていた45年前の週刊ベースボールを読み返しています

#265 期待の星 ②

2013年04月10日 | 1982 年 


玄岡正充(ヤクルト)…若松二世の誕生だ。鹿児島商工出身2年目の19歳が熾烈な外野手のポジション争いで1歩リードしている。1㍍68㌢、71㌔の若者はユマキャンプで急成長した。「玄岡を見ていると野球の上手い・下手はつくづくセンスのせいだと思わせるね。毎日血の滲むような努力をしても結局は一軍に上がれず野球界を去る選手が大半。チャンスをものにしてレギュラーを掴む選手には共通して『センス』があるけど玄岡も持ってるね」と首脳陣の評価もウナギ登りだ。

ユマで合流した新外人のデントが球場に来て目を丸くして驚いたのが玄岡のバッティングだった。「彼が野球選手だとは思ってもみなかった。今朝ホテルで見かけた時はチームメイトの子供がキャンプ見学をしに来てると思ったんだ。だってあの体格と童顔だもの、どう見てもハイスクールの生徒だろ」その"高校生"が小さな身体からは想像出来ない程の快音を響かせていたのだ。紅白戦ではレギュラー組の一番・中堅で皆勤賞。延べ40日間に渡る長いキャンプのせいか終盤は疲れが出てやや精彩を欠いたものの、18試合・50打数・13安打(2割6分0厘)。西井投手から120㍍の本塁打も放ちパンチ力も備えている事を示した。

若手選手は夕食後に宿舎裏手の駐車場で素振りをするのが日課になっていて玄岡も1日も欠かさず参加していた。下がコンクリートなので100回、200回と素振りを続けると靴底が擦れて穴が開いてしまう。大抵の選手は2足くらいを履き潰したが玄岡だけが4足だった。しめて160ドル(約3万6千円)の出費は薄給の身には痛かったが「自分が上手くなる為には惜しみません」と気にしていない。若松も自分の後継者出現に「アイツには僕が持ってるものを少しでも伝えてやりたい」と夜の素振り練習に足を運びコーチ役を買って出ている。
   
【 通算成績 66安打 7本塁打 打率.264 】


西岡良洋(西武)…右翼から一直線に猛スピードで御辞儀する事なく伸びる送球、これが噂の西岡のチーム、いや球界でもズバ抜けた強肩だ。紅白戦で西岡が右翼を守っていて右前打が出ても一塁走者で三塁を狙う者はいない。右翼線の二塁打性の当たりでも打者走者は二塁ベース数㍍手前で刺される。「一軍かって?当然。あの肩だけでお金が取れる」と選手の評価では厳しい観察眼を持つ広岡監督が珍しく褒めるほどだ。

昭和55年に和歌山県の田辺商からドラフト外で入団した3年目の選手。人との出会いは時として運命を変える。広岡新監督との出会いがそうだ。「広岡監督が『守りの野球をする。過去の実績は問わない』と言ったのを聞いて、よしチャンスだと思いました」と西岡は奮起した。西武の右翼は激戦区だ。左翼は立花、中堅はテリーで決まり、残る右翼を岡村・蓬莱・駒崎らと争う事になる。武器の強肩に加えて足も速く課題は打撃だが日に日にスイングも鋭くなりパワーも付いてきた。

西岡は未熟児で生まれてきた。野球を始めたのも身体を強くする為だったが大阪・堺のリトルリーグ時代に右肩を痛めてしまった。「痛みは肩の筋肉を鍛える事で消せる」と教えられて筋肉強化に努めた。毎日5㌔の鉄アレーを持ち上げる鍛錬を続けると1年後には痛みは消えていて、その副産物として今の強肩を生んだ。ちなみに当時のリトルリーグ仲間だったのが南海・香川だ。「あの頃の香川はホッソリしていて今とは別人だった。彼が甲子園に出た時の姿を見た時はビックリした」と懐かしむ。背番号が「69」から「23」に変わった今季の目標は大きく走・攻・守、三拍子揃った広島・山本浩だ。

【 通算成績 403安打 50本塁打 打率.246 】


斉藤浩行(広島)…一軍合格間違いなしを印象づけたのは25日の紅白戦で同じ新人の津田から放った右翼線二塁打だ。内角球にバットを折りながらもしぶとく右方向へ打った打撃に首脳陣は唸った。加えて最終回には満塁の走者を一掃する今度は左中間への二塁打のオマケ付き。「球にしっかり喰いついていて振りも鋭い。実戦を経験させる為に今後も一軍に帯同させます」と古葉監督も目を細める。1㍍89㌢、83㌔の恵まれた体格で東京ガスからドラフト2位で入団した「ポスト山本浩二」の有力候補だ。登録は外野手だが「3個しかないポジションが無い外野では出番が少ない。内野もこなせるようになれば…」との声に「ポジションに拘りは有りません」と即座に内野手用グラブを調達して三塁手に挑戦中だ。

宇都宮商時代にも三塁手の経験があり急造内野手の割にはソツなくこなしている。阿南二軍監督も「上背のある選手は腰高になりがちだがそれも出てないし動きも柔らかい」と現時点では及第点を与える。宇都宮商卒業時にはクラウンを除く11球団が指名の挨拶に訪れたが本人は「プロへは行きません」と断っていた。「いきなりプロへ行くのには不安があったので。体力的にも技術的にも社会人を経験した方がプラスだと考えた結果でしたが正解だったと思います」「趣味は素振りです。1日に400回は振りますね、他にやりたい事も無いですから」と今は練習漬けだ。

キャンプ中盤でのフリー打撃では左翼スタンドへポンポンと放り込むパワーを見せつけている。「凄いパワーだな。この時期にあそこまで飛ばす奴はなかなかいないよ」と長らく待たれていた後継者出現に本家・山本浩二も目をシロクロ。他球団の偵察部隊も「若い頃のコージの雰囲気に似ている」と警戒を怠らない。一昨年のドラフトで原(巨人)の獲得にクジ運ひとつで失敗し大型三塁手の台頭を待ち焦がれていたカープに待望久しい選手が現れた。
  
【 通算成績 89安打 16本塁打 打率.196 】

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