Haa - tschi  本家 『週べ』 同様 毎週水曜日 更新

納戸の奥に眠っている箱を久しぶりに出してみると…
買い集めていた45年前の週刊ベースボールを読み返しています

# 370 後半戦に賭ける男たち ③

2015年04月15日 | 1983 年 



宇野 勝(中日)… " チョンボ " の宇野が後半戦から三塁を守っている。お披露目となった7月29日の対阪神14回戦(甲子園球場)、いきなり先頭打者・真弓が放った打球が三塁ベース際を襲った。一瞬、目をつむった中日ベンチだったが宇野は横っ飛びして捕球すると一塁へ矢のような送球で難なくアウトに。「あれでスーっと気持ちが落ち着きました。ベンチが総立ちで拍手した?いやぁ普通のプレーですよ」と宇野本人は涼しい顔。このプレーで近藤監督から合格のお墨付きを頂戴した。宇野の三塁手起用が真剣に検討され始めたのは前半戦終了間近に、正三塁手であるモッカの怪我(左股関節痛)が長引きそうで「ひょっとすると後半戦の出場も危うい(山田チーフトレーナー)」と首脳陣に報告された頃だった。

「思い切って宇野を三塁に回す以外に策はない」と近藤監督はコーチ会議で提案したが複数のコーチ達が難色を示した。その内の一人だった作戦守備担当の高木コーチは「宇野の遊撃手としての守備力は格段に進歩している。今、宇野を三塁へ回す事は簡単だが代わりの遊撃手が見当たらない。それにシーズン中のコンバートは打撃面に悪影響を与えるリスクもある」と反対した。だが近藤監督は就任当時から宇野の長距離打者としての資質を伸ばすには「三塁手・宇野」が理想であるとの持論があった。モッカ不在という差し迫ったチーム事情によって近藤監督は「多少のリスクはあっても長い目で見れば今がチャンスなのでは」と反対意見を押し切り三塁転向を強行した。

実は今年のキャンプでも三塁転向が検討されたが宇野本人が「ショートを守っていないと野球をやっている実感が無い。サードが嫌だという訳ではなくてショートが好きなんです」と三塁転向に難色を示していた。首脳陣は三塁転向が打撃に悪影響を与えたら大変と判断し遊撃手に固定したがシーズンが始まると期待の打撃は大不振。下半身が崩れて粘りが出ず凡打を繰り返し、あれだけ固執した遊撃の守りでもチョンボが続出。挙げ句に6月29日のヤクルト13回戦ではマウンド上で近藤監督と取っ組み合いになりそうな喧嘩を始める始末。本来ならば罰金ものだが近藤監督は「親子喧嘩のようなもの。ちゃんと叱っておいたのでそれで終わり」と不問に付した。

この寛大な処置に宇野の心境に変化が起きた。「俺が甘かった。自覚しなくちゃ」という気持ちになった所に降って湧いたような三塁転向話はグッドタイミングで今回は素直に受け入れた。三塁を守る宇野の動きは日を追う度にサマになっていった。打順も転向2試合目からトップバッターに抜擢された。一番を打つのはプロ入り初の事だったが「最初はどうしていいか面食らったけどやってみると実にいいもんです。楽しいですね」と戸惑いはないようだ。長距離砲として将来のクリーンアップ候補と言われていた宇野が自由奔放に打ちまくるトップバッターを務めるのもまた一興だ。宇野が低迷する中日のカンフル剤となれば近藤監督も万々歳だろう。



島田 誠(日ハム)…「ここまで来たら是が非でも狙ってみたい、と言うより必ず取ります」・・滅多に大言壮語しない島田が真顔でタイトル獲得への思いを打ち明けた。プロ入り7年目の今シーズンは開幕から順調に戦績を積み上げてきた。球宴前ラストゲームとなった7月19日の南海戦を終えた時点での成績は打率.343 で香川(南海)に次ぐ2位。盗塁数も大石(近鉄)・福本(阪急)に肉薄しており共にタイトルの射程圏内につけている。特に打者としての最高勲章とも言える首位打者のタイトルを虎視眈々と狙っている。開幕39試合目の6月2日の西武戦で打率を3割の大台に乗せると後はコンスタントに打ち続け率を上げていった。勿論、打てない日もあったが無安打を2試合と続ける事がなかった。そこには技術云々以前に人間として一回り大きくなった姿が浮き彫りにされている。

一昨年、自己最高の打率.318 をマークし日ハム球団初優勝に貢献したがその翌年は打率.286 と成績を落とした。しかも両肘痛に見舞われて前期日程終了時点では2割4分台の体たらくだった。「オメイなんぞ2千万円プレーヤーじゃねぇ、20万円でも高けぇぐれいだ」と全ナインの前で大沢監督に叱責され悔しい思いをしたが何一つ反論出来なかった。「あんな思いは二度としたくない。今年は誰からも後ろ指を指される事のない成績を残したい」と決意し、❶ 1年を通じて万全な体調を保つ ❷ 1試合、1打席を大事に気を抜かない ❸ タイトルを絶対に取る・・といった目標を掲げてシーズンに臨んだ。更に公言しなかった目標もあった。尊敬する福本(阪急)のあらゆる成績を上回る事だ。打率は勿論、難攻不落の盗塁数もだ。即ちそれは盗塁王獲得を意味していた。

「福本さんに追いついても大石に抜かれたら意味がない。その為にも首位打者と盗塁王になる事が2人に勝つ絶対条件なんです」 「2部門とも追う立場。暫くは離されずに追いかけて一気に追い越したい」と何時にない執着心を垣間見せる。島田にとって意気込みだけではなく充分狙える条件も整っている。それは暑い季節の到来である。1㍍68㌢、65㌔ という小兵ながらスタミナには自信を持っている。1年を通じて不振だった昨年でも8月は3割4分4厘の高打率をマークした位に夏場は得意なのだ。暑さを乗り切る為のスタミナ源である焼き肉やモツ類を貪り喰い、逸子夫人特製の酢料理メニューのお蔭で怪我防止対策もバッチリなのだ。「怪我さえしなければきっとやってくれると信じています」と逸子夫人は結婚以来初となるビックプレゼントに早くも胸躍らせている。

夫人が島田の活躍に期待している訳には理由がある。後援会の有力者が3割3分以上の打率を残せば家族4人にハワイ旅行をプレゼントすると約束しているからだ。この人物は「島田誠を励ます有志の会」の世話人代表をしている北九州市八幡西区にある山地産業(株)の山地社長。社長の奥様と島田が従姉弟という関係で単なる後援者以上に親身になって応援してくれている。このビッグプレゼントも島田にシーズンを通して良い意味の緊張感を持続させる為の親心の一環だろう。チームは残念ながら下位に低迷中だが大沢監督は島田の活躍に及第点を与えている。「塁に出た以上はどんな事があってもホームベースを踏みたいというのがトップバッターの願望です。残りのシーズンに完全燃焼したいと思ってます」 島田誠、通称 " チャボ " は山椒のようなピリリと辛いプレーをする毎日を送っている。



西村博巳(横浜大洋)…25歳の年増ルーキーが大洋の外野の一角を奪い取ろうとしている。176㌢ 78㌔ のズングリとした体型ながら近藤作戦コーチが「肩も足も普通だが勝負所では力を発揮する球際に強いタイプ」と感心する。球宴明けの7月26日のヤクルト戦に代打で登場すると梶間投手から決勝点となるプロ入り初本塁打を放ち、31日からはスタメン出場を果たし規定打席不足ながら打率3割をキープしている。「別に力みとか気負いは無いですね。出番が増えれば安打も増えると思ってましたから。一軍の投手?ウ~ン、一軍の投手だからと言って特に意識は無いです。小松(中日)なんかはもっと速いと思っていたけど…」と頼もしい限りの台詞を吐く。それが " 大人のルーキー " と言われる所以だ。

和歌山県・紀の川のほとり、高野山の近くで生まれ育ち高野山第一中学校で野球を始めた。紀の川を挟んだ隣町の九度山中学には現ヤクルトの尾花投手がいた。「ええ、1年先輩で一度だけ対戦しました。2安打しましたよ、カーブと直球でしたね」と懐かしそうに語る。伊都高校に進学すると2年生の春にセンバツ大会に三番打者として出場したが初戦で札幌商に敗れた。高校卒業後は住友金属に就職して昨年には都市対抗野球で初優勝を達成し、その活躍が評価されて大洋から3位指名されプロ入りした。安定したサラリーマン生活から25歳と遅いプロ入りは勇気と覚悟が必要だと思われるが本人は「いやぁ即決しました。だってサラリーマンでも交通事故で明日にでも死ぬかもしれないでしょ。あれこれ心配したって始まらないじゃないですか」と常に前向きなのだ。

住友金属時代は周囲から「壁にぶち当たらない男」と言われていた。年間50試合程を行なうが西村は毎年3割&10本塁打をクリアしてきた。更に盗塁も30個を下回る事がなかったという。中学、高校、社会人と一度もレギュラーの座から外れる事はなかった。だから梶間投手から放ったプロ初本塁打は野球人生初の「代打本塁打」だった。「根が単純だから直ぐに周りに同化しちゃうんです。高校野球なら高校レベルに、社会人野球なら社会人レベルに順応出来た。だからプロでも同じでキャンプでも特にレベルの違いは感じなかったです」と順調にプロ生活を送っていた西村にアクシデントが襲った。キャンプの練習中にスライディングをした際に左肩を脱臼してしまった。全治3週間の診断を受け壁にぶち当たらない男に初めての試練が訪れた。「入院なんて生まれて初めてだったんで不安でした。でもくよくよ考えたって早く治る訳ではないので開き直りました」

幸い開幕には間に合ったが二軍スタートを余儀なくされた。狂った歯車はなかなか噛み合わず二軍でも結果を出せずにいた。5月末、二軍の視察に訪れた関根監督は打率1割台に低迷していた西村に「オイ、この成績は何だ。とても一軍じゃ使えんぞ、二軍で3割以上を打っても一軍で2割8分がせいぜいだ。3割5分を打ったら一軍へ上げてやる」と言ってハッパをかけた。「分かりました」と答えた西村は関根監督の注文を僅か1ヶ月足らずでクリアした。二軍での打率.347 を引っ提げて6月28日に一軍に昇格した。午前中に合宿所で特打ちをやった後にナイターの球場に向かう日常を送っている。「3割は何としても達成したい。それが今年の目標ですね」…と大人のルーキーは至極当たり前のように言って今日も元気にグラウンドへ飛び出して行く。

コメント (1)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« # 369 後半戦に賭ける男たち ② | トップ | # 371 後半戦に賭ける男たち ④ »
最新の画像もっと見る

1 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
大洋ファンには懐かしい西村 (th)
2015-04-15 22:52:20
 西村は近藤貞雄監督になってから出番が減ってしまった。

あの頃は、河野誉彦、石橋貢、菊地、吉本博などとしのぎを削っていたのだと思います。

その中の河野が、85年に大砲の片鱗を見せ始めたあたりから一軍からは姿を消し、87年新浦投手が入団した際は28から66への背番号降格。

その年の自主トレで「この自主トレでマシンの投球を1万球は打ち続けています。今まで大洋さんに迷惑を掛けていますから、必死にやります」と悲壮な表情でインタビューされていたのを覚えています。

しかし最後の年は終始2軍でした。

今は何をされているんでしょうかね。

ファンなのにこんなこと言うのは変ですが、入団するチームを間違えた気が致します。
返信する

コメントを投稿

1983 年 」カテゴリの最新記事