社会の荒廃 研究室(蜻蛉の眼鏡)

国連の女子差別撤廃条約に基づく男女共同参画を強行する女性独裁権力(フェミニズム)の社会病理に言及、コメント欄も充実。

河村たかし名古屋市長、南京大虐殺発言問題、中国は真実を再検証せよ

2012-02-29 22:23:05 | ネット媒体

 河村たかし名古屋市長が、南京大虐殺はなかったとする趣旨の発言をしたとして物議を醸している。中国側は一斉に反発しイベントの中止なども起きている。河村氏地元の中日新聞の社説でも河村氏批判に傾いているが、果たして批判されるべき対象はどちらだろうか。

 関連する記事を幾つか以下に列挙してみたが、最もわかり易いのは青山繁晴氏のコメントだろう。当時南京には30万人も殺害されるほどの人口はなかった点、蒋介石率いる人民軍による中国国民の虐殺を日本軍の行ったこととしてなすり付けている点など、南京大虐殺が中国の外交政策の口実として作り上げられたものであることが説明されている。

 また個人ブログでも、この問題を取り上げたものは沢山ある。中には南京大虐殺は当初は国連でも認められなかったとする経緯を紹介しているものもある。(*2)

 だがやはり、最も危惧すべき点は中日新聞の社説はじめ国内のマスコミが河村氏の発言を否定的に捉えているという点だ。反日マスコミだから当然と言えば当然なのだが、多くの国民はまだメディアが正義であると信じている部分がある。フジテレビの韓流騒動同様、メディアの報道を批判的に見ていく目を多くの国民に広げていかなければいけないだろう。


・(*1)青山繁晴絶賛 河村たかし市長の南京発言撤回否定
http://www.youtube.com/watch?v=J2h8bIeRw3c


・(*2)河村たかし市長の「南京大虐殺否定」発言 青山繁晴氏 断固支持!・「朝ズバ」みのもんた氏の見解は・・? 石原都知事「河村君は正しい」
http://blogs.yahoo.co.jp/tankou_2008/36099199.html


・河村市長“南京事件発言”を考える 政治としての歴史認識問題 2012年2月29日
http://business.nikkeibp.co.jp/article/world/20120228/229219/?P=1

 ちょっと扱いづらいテーマをあえて取り上げて見ようと思う。1937年12月に中国江蘇省の南京市で起きた「南京事件」である。

 河村たかし・名古屋市長が江蘇省南京市の訪日団の表敬訪問に対して、「南京事件はなかったのではないか」と発言したことが、波紋を広げている。中国側から非難の声が上がるのは当然としても、日本国内で河村市長に発言を撤回し謝罪することを求める圧力が強いのに少々驚いた。

 政治家として、公式に外国の訪問団相手に歴史認識について発言したことを簡単に撤回し謝罪しては、その政治生命はおろか、日中間にある数々の交渉事にマイナスの影響を与えかねない。撤回するときは政治家を辞める覚悟が必要だ。しかも個人が辞めて済む問題ではなく、中国側に高い外交得点を与え、ほかの日中間の交渉事、たとえば、河村市長が否定的な見解を示す中国総領事館への国有地払い下げ問題なども、中国に有利なように動くかもしれない。それだけはさけてほしいと私は思うのだが、日本の少なからぬ人が、河村市長の非礼極まりない発言が中国側を怒らせたので、謝罪すべきだといっている。「なかったのではないか」という意見自体が政治家としての良心と良識にもとる、と言う人もいる。

 おそらく、日本人の多くは大変まじめで、歴史認識とは真実を意味し、発言にわずかでも不確かな部分があれば訂正し、謝罪しなければならないと思っている。

■南京事件は単純に歴史の真実の問題ではない
 しかし、私の考えを言えば、南京事件とは単純に歴史の真実の問題ではない。では、南京事件とは何なのだろうか。

 南京事件とは一般には1937年12月13日に国民党政府の首都・南京を陥落後、6週間に渡って投降兵や市民らを虐殺したと言われる事件だ。中国側は犠牲者30万人を公式の数字とし南京大虐殺記念館の外壁にもその数字を刻んでいる。なかには50万人という人もいる。日本側には、虐殺と呼べるようなものはなかったとする説、犠牲者が数千人、数万人規模とする説から20万人とする説まで意見が分かれている。

 私自身は「なかったのではないか」と問われれば、「あったのではないか」と答えるだろう。あの時代の戦争で、日本軍がたった一人の捕虜もたった一人の民間人も殺害せず、略奪も強姦も全くしなかったと主張するのは無理があろう。しかし、南京事件が、どのようなものか、どれほどの規模か、国民党軍の手による虐殺数が上乗せされているのではないか、と問われれば、明確な答えをもっていない。断片的にさまざまな伝聞や記録は目にしているものの、その史料の信憑性はどうだ、プロパガンダ性はどうだ、という議論になると、自信はない。

 そもそも虐殺の定義も、あの当時の戦争は現代とは随分違うかもしれない。あのころ蒋介石は人の命を命と思わない作戦を頻繁に行っていた。1938年の黄河決壊作戦や長沙大火と呼ばれる焦土作戦はそれぞれ数十万、数千単位の農民、市民を犠牲にしたと言われている。20年前ぐらいには河南の農村には黄河決壊とその後続く大干ばつの記憶をもつ農民がいたという。知り合いの河南出身の作家が私に語ったのだが、自分の故郷の老人にとって日本兵は生まれて初めて食べた飴をくれた人で、農民を苦しめたのは国軍兵だったと話していたそうだ。非戦闘員を巻き込むことがいけないという感覚なしで戦闘が行われていたのが、あの当時の中国だった。

 そういう時代、長沙大火やダム決壊作戦を実行するような国民党軍が南京を撤退する際に一切、食糧や物資を略奪しなかったとも思いにくい。南京事件は国民党軍の犯した殺戮も日本軍が行ったことになっているのかもしれないという疑いはもっている。

 ただ何が歴史的真実かについては、いずれも「かもしれない」としか言えないのである。

■被害調査を放置してきた中国当局への不満も
 一つはっきりしているのは、南京事件は日中間においては、他の歴史認識問題と同様、すでに政治カードとなってしまっている。

 南京事件の犠牲者30万人という数字については、これを「政治的な数字」と見る学者は中国にもいる。とある北京の公民外交(パブリックディプロマシー)の研究者は、南京事件を日本の戦争犯罪の象徴として国際社会に認識させたのは中国側のパブリックディプロマシーの勝利であり、日本のそれのヘタさの結果であるという見解を非公式に私に話した。

 一方で、犠牲者を30万人という数字でひとくくりにし政治利用するだけして、具体的な被害調査を放置してきた中国側の事件に対する不誠実さに不満を持つ学者もいる。

 歴史学者の朱学勤・上海大学教授は2007年の南京事件70周年にあわせて発表した文章で、こんなことを言っている。「南京事件については、中国人は長らく口にすることすら許されていなかった」「許されたとたん、いきなり犠牲者30万人の数字である。この数字は曖昧模糊としている。なぜ30万1人、30万2人と端数がないのか。こういう模糊とした数字では説得力がない。そこに日本側に言い逃れの口実を与えることになるのだ」…。

 国内で南京事件を口にすることがタブーだった背景として、1950年代から60年代の冷戦構造の中で、中国は反戦反米の意思形成をしており、日本の左派を中国側に引き込むための代表団を絶え間なく送りこむなど、「政治的ムード」があった。南京事件を中国側がクローズアップし出したのは、日本の教科書問題が日中の外交問題に発展した80年代だったという。30万人以上という数字は南京軍事法廷の判決をなぞっただけのものだった。

 中国における南京事件研究の第一人者の南京師範大学の張連紅教授も「30万という曖昧で冷たい数字ではなく、具体的な犠牲者の名簿が必要」という立場で、2006年に南京市江寧地区で聞き取り調査を行っていた。当時の報道によれば、生存者1038人の目撃談をもとに犠牲者総数7361人と結論付けている。うち姓名がわかったのはわずか1343人だった。この時、新聞記事では広島平和記念公園の記念碑には原爆の犠牲者23万7062人の名前が具体的に刻まれていることなどを例にあげ、犠牲者の調査を放置していきた中国側の姿勢も暗に批判している。

 中国の政治的空気に振り回された結果、事件の犠牲者をきちんと把握する機会を逸し、南京大虐殺記念館を犠牲者哀悼と歴史の記録の場ではなく、「愛国教育」という思想教育の場として、対日外交戦略に利用するカードにしてしまった。それは心ある中国人にとっても、悔しく残念な結果に違いない。

■あまりに政治的な中国当局の姿勢
 中国当局は近年、一層南京事件の対国際社会宣伝に力をいれている。国際社会で中国脅威論などが盛り上がってくると、中国があくまであの戦争の被害者であり、恐れるべきは日本の右翼台頭であることを印象付ける上でも中国の歴史認識の国際社会への浸透努力はより重要なのだ。

 昨年は中国を代表する張芸謀監督が「金陵十三釵」という南京事件をテーマにした映画を発表した。主演に「バットマン」などの作品で知られるハリウッドスターのクリスチャン・ベイルを迎え中国映画市場最高額の総製作費78億円をかけた大作である。中国の南京映画を欧米で上映させることを目的に中国当局もバックアップする国策映画といえるだろう。

 この映画の興行成績は動員もあって、当然2011年の第1位に輝いたが、それでも売り上げは総製作費を上回らなかった。この映画を観た中国人たちに感想を聞けば、今一つ評価は高くない。中には「南京事件を愚弄しているように感じた」という人もいた。

 私もこの映画を観たが、派手な戦闘シーンとレイプシーンとラブシーンと色彩がきらめく娯楽映画だった。日本人としては、日本兵が鬼畜のように少女たちを追い回し、娼婦たちを輪姦するサディスティックなシーンは見るに堪えない。エンタテインメント性とともに当時の日本軍の非道さ卑怯さを欧米市場で訴えるには成功作になるかもしれない。だが、戦争映画としての説得力や心に響くものが色あせてしまっているのも確かだった。

 ちなみに原作は在米華人女流作家の厳歌苓が、金陵女子理工学院(金陵女子大学、元南京師範大学)のヴォートリン学長代行の日記に着想を得て書いた小説だ。原作には当然神父と娼婦のラブシーンなどない。

 南京大虐殺記念館にしろ南京映画にしろ、中国当局の南京事件に対する姿勢にはあまりに政治的であり、犠牲者への悼みも歴史の真実を求める気持ももはや感じられなくなっているのである。

■友好都市交流の「一時停止」申し入れが示すこと
 河村市長に話をもどす。

 27日の記者会見で、河村市長は「相互理解と友好親善をいっそう深めるために南京市と名古屋市で率直な意見交換、話し合いをしたいという私の真意が伝わらなかった」と述べた。だが、河村市長の発言後、南京市代表団が机を叩いて席を立たたなかったところを見ると、相手側に真意は伝わっていたかもしれない。ただメディアを通じて中国国民に伝えられたところ、この発言は中国として政治的に座視できないものとなった。

 南京市は名古屋市との友好都市交流一時停止を申し入れてきた。無期限停止や破棄ではなく、一時停止というあたりに、中国側も怒りより戸惑いの様子が見える。環球時報を中心に、名古屋旅行ボイコットと河村市長個人への制裁を呼びかけているが、あくまでターゲットを河村市長個人に絞っており、日中関係全般に影響を与えないように気を配っているのも透けて見える。政治的な問題は政治的に解決したい、少なくとも一昨年の尖閣諸島問題のときのように、日中の国民感情を悪化させることはしたくない、といったサインと受け取っていいだろう。

 中国側が望む決着点は河村市長の謝罪、または日本の国内世論圧力をうけての辞職だろう。しかし、相手の望む通りになっては政治とはいえない。外交交渉は、お互いの要求、主張をぶつけ合い、あるいは水面下で交渉し、少しでも自分側の有利な着地点に降り立つことである。河村市長の要求が、たとえば南京事件に関する討論会を開催し、率直な意見交換を行うというのなら、その一点の着地点を目指すのが政治家らしい仕事だろう。また日本の世論が中国に代わって、中国に利する政治的決着を助ける必要はないだろう。

 個人的には、南京事件の討論会を私も見てみたいと思う。日本人は南京事件を中国と対等に徹底的に論じることを避けてきた。その結果、曖昧模糊とした30万という政治的数字が国際社会においても日本の戦争犯罪の象徴として喧伝されてきた。これは日本イメージにとって大きなマイナスとなっただろう。そして30万というざっくりした数字の中に埋もれた名もなき犠牲者の魂も浮かばれまい。

 もしも討論会が催されることがあるなら、南京事件がなかった派も犠牲者30万人派も、まず犠牲者への哀悼と平和への祈りから始めてほしい。


・河村・名古屋市長:南京事件否定発言 「誤解招いた」--釈明会見・一問一答
http://mainichi.jp/area/aichi/news/20120228ddlk23010182000c.html

 名古屋市の河村たかし市長は27日の記者会見で、自身の南京事件を否定する発言について持論は撤回せず、「30万人とされる組織的な大虐殺はなかったのではないかとの趣旨だったが、一部で誤解を招いた」と釈明した。主な質疑は次の通り。

 --市長の意見では、虐殺はあったのか、なかったのか。

 30万人の非武装の中国の皆さんを日本軍が大虐殺したということはないと思っている。

 --犠牲者数に関する認識は。

 非常に多くの意見がある。そういうことをぜひ率直に話し合おうではないかということを申し上げている。その時にお話ししたい。

 --南京側に誠意ある対応をするのか。

 南京市に役所は今でもアプローチしている。おやじが大変世話になっただけの理由で「ない」と言っているのではない。大変世話になって感謝しているという気持ちを中国大使館の人にもお伝えしたいということで今日(担当課に)指示した。

 --表敬訪問での発言は適切だったか。

 流れの中で決して突然、違和感のある発言ではなかった。

 --日本政府見解は市長の意見に沿うか。

 (政府見解は)非常に不明確だ。そもそも虐殺という言葉の定義がない。

 --「虐殺がまったくない」という立場ではないということか。

 虐殺という言葉が、一人二人でも態様によってそうなるのか、それとも一定の数をイメージしなくてはいけないのかはっきりしない。質問に答えるのはなかなか苦しい。

 --非戦闘員が亡くなったことはあるが、軍が主体的、組織的に関与したとまでは言えないということか。

 南京事件と言ったら30万人の非武装の中国の人を日本軍が大虐殺したということ。それは「ない」と言える。戦闘行為はあったから、非常に残念なことはあったのかもしれない。あったのだろう。それは否定しない。

 --混乱した事態について市長としての責任をどう考えるか。

 あまり適切な質問ではない。残念だ。一日も早く、こんなこと言ったら、すぐこんなふうになっちゃう時代を打ち破って、本当の日中友好、名古屋と南京の交流が実のあるものにならんかと思う。


・石原知事、河村市長発言を擁護 「南京大虐殺違う」 2012/02/24 19:09

 東京都の石原慎太郎知事は24日の記者会見で、「南京大虐殺」を否定した河村たかし名古屋市長の発言について「河村君の言うことが正しい。大虐殺は違うと思う」と述べ、擁護した。

 知事は「(南京が)陥落した2日後か3日後に日本の代表的識者が入っている。彼らは『死体はあったけど山と積むような死体なんて見たことない。けげんな話だ』と言っていた」と指摘。
【共同通信】


・石原都知事:「河村君正しい」 南京事件否定発言を擁護
http://mainichi.jp/select/wadai/news/20120225k0000m040076000c.html

 東京都の石原慎太郎知事は24日の定例記者会見で、河村たかし名古屋市長が南京事件を否定した発言について「河村君の言うことは正しいと思う」と擁護した。

 石原知事は「あれだけの装備しかない旧日本軍が、あれだけの期間に40万の人を殺せっこない。絶対にない、物理的に。戦争のどさくさですから、人を殺したのもあったかもしれない。しかしそれをもって、大虐殺というのは本当に心外だと思うし、違うと思う。さんざん検証してきたんだから。私は彼を弁護したい」と述べた。【柳澤一男】
【毎日新聞 2012年2月24日 21時40分(最終更新 2月25日 7時46分)】


・「南京事件なかった」と河村名古屋市長 中国共産党の市常務委員に「互いに言うべきこと言おう」 2012.2.20 11:35
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/120220/lcl12022011410001-n1.htm

 名古屋市の河村たかし市長は20日、同市役所を表敬訪問した中国共産党南京市委員会の劉志偉常務委員らとの会談で、旧日本軍による「南京大虐殺」について「通常の戦闘行為はあったが、南京事件はなかったと思っている」と発言した。

 河村氏は、終戦時に父親が南京市にいたことを挙げて「事件から8年しかたってないのに、南京の人は父に優しくしていただいた」と指摘。「南京で歴史に関する討論会をしてもいい。互いに言うべきことを言って仲良くしていきたい」とも述べた。


・「南京事件なかった」と河村氏発言 中国からの訪問団に
http://www.asahi.com/politics/update/0220/NGY201202200003.html

 名古屋市の河村たかし市長は20日、姉妹友好都市である中国・南京市の共産党市委員会の常務委員ら一行の表敬訪問を受けた際、1937年の南京大虐殺を取り上げて「一般的な戦闘行為はあったが、南京事件というのはなかったのではないか」と発言した。

 河村氏は理由について、事件後の45年に現地に駐屯した父親が優しくもてなされたことを挙げたという。

 河村氏は09年の9月市議会でも、終戦を南京で迎えた父親の例を挙げて「オヤジは南京で本当に優しくしてもらった。大虐殺があったなら、こんなに優しくしてくれるんだろうか」と語り、「一般的な戦闘行為はあったが、誤解されている」などと発言していた。


・【社説】河村市長発言 なぜ素直に撤回しない 2012年2月28日
http://www.chunichi.co.jp/article/column/editorial/CK2012022802000015.html

 名古屋市長は「南京事件はなかった」との発言を撤回せず、訪問団にも非礼ではなかったとの考えを、きのう述べた。率直な議論で「ノドのトゲを抜こう」と主張するが、その土台は一体あるのか。

 河村たかし市長は会見で「いわゆる南京事件はなかったのではないか」という発言が「南京大虐殺はなかったという持論を展開」と報道され、「南京では何もなかった」と誤解されたと釈明した。

 市長は「象徴的に三十万人とされるような組織的大虐殺はなかったとの趣旨」と説明。「友好団に面と向かって三十万人の大虐殺と申し上げるのは言葉がいかにも残虐なので、あえていわゆる南京事件と申し上げた」と釈明した。

 当初の発言は、市長が南京大虐殺はなかったと公にしたと受け止められる言葉である。報道により南京市民の誤解を招いたというのは、とんでもない責任転嫁だ。

 南京で虐殺がなかったという研究者はほとんどいない。日中歴史共同研究の日本側論文も「集団的、個別的な虐殺事件が発生し」と明記する。市長自身「非戦闘員の殺害はあっただろう」と認めており、日中で隔たりがある被害者数を問題にする意図であったのなら、そう明言すべきであった。

 市長は共同研究を「学者の個人的見解」と批判するが、国や政治レベルで埋まらぬ歴史認識の溝を、少しでも客観的に埋めようとの知恵であった。中国主張の「三十万人」を市長が真っ向から否定しては、南京市側は率直な議論のテーブルにはつけぬだろう。

 敏感な問題でも、政治家が主義主張を掲げるのは結構だ。だが、首長は政治家であるとともに自治体のリーダーでもある。歴史的な米中、日中国交正常化の扉を開いたピンポン外交の舞台である名古屋のトップの公式発言としては不適切だった。日中四十周年の記念すべき年に、友好都市が公の交流を停止し、記念行事や経済活動にも影を落とす。苦しい釈明ではなく、素直に撤回できないものか。

 昨年春、南京市の公園で日中の百人以上が友好の桜を植えた。南京出身で十五年以上も名古屋に住む韓金龍さんが中心となり、過去五年で千本余を植えた。韓さんは「手を携えて桜を守り、友情の証しにしたい」と話した。

 「公の交流停止」と言う南京市のシグナルを、敏感に受け止めてほしい。民の交流の根は深く、広い。民の交流を支えてこその市長であろう。



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3 コメント

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歴史・見解の相違は当然。 (バルログ)
2012-02-29 23:53:29
相変わらず日本のマスコミは幼稚です。

南京事件を信じている国は世界中ないのに。

当時南京に駐留していた列強国も南京事件などなかった事は招致している。

当時の清国の軍事顧問をしていたドイツの軍人が権益の争いから南京事件の目撃者の様な話があるが、ドイツの権益拡大の為に嘘の発表をしたに過ぎない。

朝鮮戦争は北が始めた事は誰でも知っているが、北朝鮮では韓国が始めたと教育している。
社会主義だったソ連や中国だって韓国や米国が発端だと教育をしていた。

日本のマスコミは中国の文化大革命の真実を書いたか!?
事実を知りながら礼讃記事しか書かなかったではないか!

北京に支局又は、駐在員を置きたいが為に、中国に対して不利な記事を書かない裏協定を結んだのは日本のマスコミ(産経を除く)

日本のマスコミは何処の国の代弁者なのか?
事実を言っている河村市長を批判し、嘘を言っている中国に対して肩入れする神経が理解出来ない。

男女共同参画関係やDVだって真実を書かず悪者を男にする。
逮捕された人間が容疑者の段階であるのに犯人扱いする記事を書く日本のマスコミ。

福島原発事故の時も決して事実は書かなかった。

日本は未だに敗戦国のままであり、独立国ではない。
過去戦争に負けた国は自国の戦争を非難するより、何故負けてのか?それを教訓として次はどうやって戦うかを考える。

それが進歩と言うもの。

ヨーロッパは戦争の歴史。
だからお互いの言い分が全く違う。
米国だって侵略の歴史の繰り返し。

歴史に見解の違いがあって当然。
それを無理矢理相手国に合わせるなど愚行。

しかも日中間では歴史問題は国交が回復した時点で解決済み!!

それを蒸し返す中国こそ外交的礼儀が欠けているし、マナー違反である。

何よりも中国に加担する日本のマスコミや左翼にフェミが一番の問題。

歴史的事実を知りながら何も語らない欧米も問題。

日本は真の独立を未だに達成出来てない。
独立されては困る欧米や中国が裏にある。

未だ世界は列強が支配している。
だから大東亜戦争当時と実は何も変わってない。

ここから脱却する方法は戦争しかない。

日米同盟はNATOとは全く質が違う。
NATOは相互軍事同盟だが、日米同盟の目的は日本の武装阻止と日本の監視だ。

戦争をしない限り今の植民地状態は変わらない。







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Unknown (匿名)
2012-03-01 18:07:21
マスコミについて一応メモ


四大新聞社の 裏側 と 実態
http://satehate.exblog.jp/17355892/

読売新聞 → 読売CIA新聞
朝日新聞 → 朝日CIA新聞
毎日新聞 → 創価学会付属毎日新聞
産経新聞 → 統一教会付属産経新聞


++
だそうです

詳しくはリンク先の記事をどうぞ
返信する
中国側の浅薄さが招いた事態だろ (りんりんらんらん)
2012-03-01 20:27:06
 日経の記事は割りとまともですね。それに比べると中日の社説は臭い物には蓋式の論調で困ってしまう。
 政治家が歴史の問題を取り上げるのは良くないというのはありがちな意見だが、一市民が言った所で何が出来るというのだろう? 案の定不調に終わった当の「日中歴史共同研究」も、靖国参拝問題など政治絡みの騒動があったから実現した事を忘れたのだろうか。
 それにこの問題は実際に「のどに刺さったトゲ」であり、政治のカードとして使われる以上真の友好の妨げになるのは明らかであるのに、謝罪や撤回し言われるままに放置する事が懸命な態度だろうか。30万虐殺という公式見解以外認めず反日教育までしている一党独裁国家の浅はかな態度が、両国の一般国民の上に重く圧し掛かっているのにである。アイリス・チャンは中共政府のせいで自殺したようなものではないか。
 ではどうしろというのだろう? 何ら解決への道を口にしないということは、この状況をいつまでも続けろというのだろうか?? 
 黙って臭い物に蓋してるだけでは何も解決しない。こういう事は一時的に騒動になっても言うべきことは言っていかなければ、落ち着くところに落ち着かない。媚びたりへつらっても、対外的に軽んじられるばかりだというのを解らん奴が多くて、本当に困りものですね。
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