社会の荒廃 研究室(蜻蛉の眼鏡)

国連の女子差別撤廃条約に基づく男女共同参画を強行する女性独裁権力(フェミニズム)の社会病理に言及、コメント欄も充実。

男女離別の法権力で事態は更に悪化 --千葉団地殺人、DV法、ストーカー法--

2009-07-25 16:56:18 | 事件、事故

 羽田から那覇へ、そして沖縄県内でホテルを転々と渡り歩く。まさに純粋な恋人同士の逃避行。途中女性は幾らでも逃げる余裕があったのに何故。千葉県の団地での女性殺害、次女監禁事件には不可解な点がまだまだ多い。

・【衝撃事件の核心】千葉団地殺人の異様な“逃避行”2009/07/25 08:20
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/event/crime/281983/

 「逃げたら…」。智美さんの言葉の裏には、この6日間に逃げ出すチャンスは多数あったことがうかがわれる。那覇で2人が訪れた携帯電話店の店長は「2人はカップルのように見えた」と話す。傍からみれば自然な若い男女が加害者、被害者という異常な関係だった。

 捜査当局などの調べで浮かび上がる逃避行の状況からは、智美さんが逃げようと思えば逃げ出せる場面が次々と明らかになった。
(一部引用)

 この事件報道に関しては、6日間に女性が逃げ出す機会はあったにもかかわらず、それをしなかった理由が一つの焦点になっている。テレビ、ネットなどあらゆるマスコミで専門家を名乗る者達が説明しているが、彼らの結論は判で押したように一定しており、「恐怖感に呪縛されていた」というものだ。

 中には、DVやストーカー被害相談を引き受けているという怪しげな女性がフジ系のニュースでインタビューに応じているものもあった。彼女が言うには、智美さんは仲田容疑者から完全に支配されていたということらしい。フェミニズムの基本理念である「男の支配から女が逃れる(解放される)」という概念をそのまま当てはめただけの論理はいかにも胡散臭い。連中にとっては、夫婦関係や恋人関係そのものが支配関係だというのだから、そんな思考の輩がマスコミに出てきた時点で、この事件の筋書きをフェミニズムに従って操作しようという魂胆がばれてしまっている。まさにフェミニズムが事件を支配していると言えるだろう。

 更に、専門家を名乗る者達の多くは現状の社会勢力などを勘案しながら分析するため、フェミニズムに汚染された現状の社会環境下では、それに沿った分析しかしない。たとえ本音と違っても、フェミニズムに迎合した解説をしなければマスコミにも取り上げてもらず、彼らの生活手段がなくなってしまうからだ。

 他にも、「ストックホルム症候群」という学説を持ち出してこの事件を説明しようという動きも見られる。上記リンク先のニュースにもこうある。

 精神科医の影山任佐(じんすけ)・東工大教授(犯罪精神病理学)は「智美さんはこのとき、『ストックホルム症候群』だったのではないか」と話す。

 ストックホルム症候群とは、犯罪被害者が犯人と時間や場所を共有することで、犯人への迎合や同情、さらには好意を持つようになることという。
(一部引用)

・ストックホルム症候群 2006/07/26 14:19
http://www.iza.ne.jp/izaword/word/%25E3%2582%25B9%25E3%2583%2588%25E3%2583%2583%25E3%2582%25AF%25E3%2583%259B%25E3%2583%25AB%25E3%2583%25A0%25E7%2597%2587%25E5%2580%2599%25E7%25BE%25A4/

概要:ハイジャックや立てこもり事件で、人質が犯人に対して同情を抱き、警察に恐怖や敵意を感じる現象

 長時間に渡るハイジャックや立てこもり事件などで、人質が犯人に対して同情や愛情を抱くようになり、救出にあたる警察に恐怖や敵意を感じる現象。1973年8月、スウェーデンのストックホルムの銀行に男2人の犯人が6日間、立てこもったが、事件中や救出後に人質が犯人を擁護する行動をとったため名づけられた。人質の女子行員のなかには犯人の男と結婚したものもいた。
(一部引用)

 そもそも、たとえ事件を起こすにしても相応の理由があるからであって、被害者が犯人と時間や場所を共有し、その間に数々の会話が交わされ、そこで今まで被害者が犯人に抱いていた印象が誤解だったということも考えられるだろう。つまり、犯人への迎合や同情、更に愛情を感じるようになることも当然あり得るし、互いを理解するためには最も重要なことではないだろうか。それを単純に症候群という名称で病気扱いするのは、フェミニズムのような男女敵対を促進する勢力のバイアスがかかっていると考えざるを得ない。

 DVやストーカーなど、一律に男性を加害者、女性を被害者とする社会風潮はフェミニズムの仕掛けた罠であることは今更言うまでも無いが、こうした女性だけの逃げ道を安易に作ることが、却って女性のコミュニケーション能力を低下させてしまい、相手男性の気持ちを全く考えず自らのエゴだけを押し付け、相手を怒らせ暴走させてしまうという事例が多発するのは目に見えている。DVやストーカー相談は年々増加の一途を辿っているというが、それだけ女性の特権意識が年々助長されていることの表れと考えられるのではないだろうか。

 事件に発展するのはごく一部だ。ほとんどの場合、DVやストーカーの法律により、男性が女性のなすがままにねじ伏せられる。自己中心的な女性に散々弄ばれた挙句、権力行使により無理矢理別れさせられた(捨てられた)男性は数知れない。また交際すらさせて貰えない男性も計り知れない。真の被害者を置き去りにして、ごく一部の事件を基準に女性全体が被害者であるかのような錯覚を世間に認識させ、更に女性保護の名目で女性の権力を強化させていく、そうしたフェミニズムの巧妙な戦略を見破る目を常に持っていなければならない。

 男と女の愛憎は本人同士しかわからない。そこへ法権力が介入することは、却って事態を悪化させることになりかねない。しかもその法権力がフェミニズムによって定められたものであれば尚更だ。従って、DV法やストーカー規制法のあり方を廃止も含め抜本的に見直す必要があるのではないだろうか。

<参考>
http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1286535.html
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090725-00000110-san-soci

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