社会の荒廃 研究室(蜻蛉の眼鏡)

国連の女子差別撤廃条約に基づく男女共同参画を強行する女性独裁権力(フェミニズム)の社会病理に言及、コメント欄も充実。

今年の「変」な一年を振り返る

2008-12-29 21:31:11 | Weblog

 今年も残すところ今日を入れてあと3日、巷では大掃除や正月の準備などに追われているようだが、今年一年はどんな年だったのか、本ブログで取り上げた内容を中心に振り返ってみたい。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20081229-00000520-san-soci

 まず1月には、大阪府守口市の民家に強盗が押し入り、母子2人を粘着テープで縛り、男児が死亡した事件で、その後母親が自殺してしまったという事件。これは母親の自演説が疑われたがそれをかき消す執拗なフェミ世論に違和感が感じられるものだった。

 続いて2月には、倖田來未の「羊水が腐る」発言騒動があった。これにはフェミ世論の一つである「産まない権利」に基づく非難と、これまで倖田に対して好印象を持っていなかった男性世論などが混在する形で複雑な構図となった。だが長期に渡り非難を続けていたのはやはりフェミ世論であった。特に高齢出産や不妊治療の現状に関し、女性の社会進出による晩婚化の影響を指摘すると、すかさず反論コメントが投稿されるという状況などは、いかにフェミニズムが女の「産む性としての役割」を放棄したがっているかが垣間見えた。

 3月には、北九州市で実兄を放火殺人した罪に問われた女性に無罪が言い渡される判決があった。これも不可解な事件である。女性の夫は事件後に自殺、何故その必要があったのか。彼は無駄死にしてしまったのか。

 また夫バラバラ事件の三橋歌織被告に無罪の可能性が浮上したことや、秋田連続児童殺害の畠山鈴香被告に無期懲役の判決が出たことなど、女の被告に対する甘い司法の実態が浮き彫りになった。

 4月には、北海道のある中学校での女子の制服を通年ズボンに限定する話題があった。普段から選択肢は多い方がいいと主張するフェミニズムが、スカートには強固に廃止を求める姿勢がうかがえる。社会全体のスカート撲滅運動も着実に進行している。女性徒の間からはスカートをはきたいという声もあるが、全く無視されている。

 またグラビアアイドルの痴漢撃退劇も物議を醸した。今や痴漢は女性が恐れるものではなく、男性を虐待するための格好の手段と化している気がしてならない。気の強い女性に対しては、痴漢事件として扱う必要性も薄れてくる気さえする。

 更に山口県光市母子殺害事件で死刑判決が出た。だが被害遺族の本村洋さんは決して世の安易な厳罰世論とは一線を画したコメントを残している。今後このような悲惨な事件が起きないようにどうすべきか国民が考える契機になって欲しい、そうでないと妻子も被告人も犬死にになってしまう、という趣旨の言葉だ。被告人の死まで背負う本村さんの姿勢は、決して彼が単純な厳罰論者ではないことを意味していると言えよう。

 そして夫バラバラの三橋歌織被告の第一審では懲役15年が言い渡された。この事件でもフェミニズムが大きく介入し、妻が夫を殺害した場合でも夫からDVを受けていたと主張すれば限りなく軽い罪で逃れられるという気運を感じさせるものでもあった。

 5月には、児童ポルノの単純所持処罰などの規制強化の危機があった。フェミニズムの本音である「性欲は悪」という誤った思想を更に拡大させる規制強化、しかし一方で児童買春で売る側の女性は処罰しないというご都合主義は相変わらずである。

 6月には、京都府舞鶴市や愛知県豊田市で相次いで女子高生が殺害される事件が起きた。こうした事件が起きる背景がフェミニズムにあるということは今更言うまでもないことだ。また性犯罪など女性被害の事件でのネット世論の短絡的な厳罰主張が一層顕著になっていること、そしてヤフーニュースのコメント欄の恣意的な表示方式にも疑問が指摘された。

 また、秋葉原通り魔事件は今の焦燥感漂う社会の負の遺産とも言える事件だったと言えよう。格差社会と派遣労働、更に信用出来ない将来の年金など、人々の心は思いのほか病んでいる。今でもこの秋葉原事件の被告に同調する意見は決して少なくないという。勝ち組が負け組を食い物にして見下し、負け組が勝ち組を恨み報復に出る。こうした悪循環は今後も続くのだろうか。勿論これら格差社会の原因も女性の社会進出により雇用が不安定となったためだ。そしてフェミニズムは女性の心を破壊した。しかしフェミニズムがマスコミで批判されることは一切無い。

 そして、連続幼女殺害事件の宮崎勤死刑囚の死刑執行がこの時期に行われたのも、秋葉原事件への見せしめではないかとの指摘もされた。

 更に、女子大生が海外旅行先で世界遺産に落書きをしたことが問題視された。この後、同種の問題で別の男子大学生や教員も処分を受けたが、ここでも女子は処分が軽いという印象があった。

 7月には、大分県教員採用汚職事件が発覚した。同時にフェミニズムによるアファーマティブアクションの実態もうかがわせるものとなった。大学職員採用の女性優遇や、医科大学への女子優遇入学などが指摘された。

 また埼玉県川口市で中3少女による父親刺殺事件では、特に父子仲が悪かったわけでもなく動機が見えない事件であった。だがここでもフェミ工作員が事件の曖昧さに付け込み、父親が娘に日常的に性的暴行を加えていたなどと勝手に決め付け、正当防衛で無罪、悪いのは父親などと盛んに少女を被害者的に印象付けようという投稿が目立った。

 更に八王子市でも通り魔事件が起きた。この時は秋葉原通り魔事件に続き、更に通り魔事件が立て続けに起きる事を憂いたのか、マスコミの論調は犯人の身勝手さや甘えという本人の問題だけに帰着させ、社会責任を絶対に認めないといったものが支配的だった。しかしそうした本人責任だけで片付けてしまう論調こそが更に事件を増やすことにしかならないと思うのは私だけだろうか。そんな中で鳥越俊太郎だけが、「日本の社会格差が広がり、ワーキングプアが増えている。小泉構造改革の名の下に進められた変化が、こういう犯罪を招いていると思えてならない」と社会責任に言及したのは評価に値すると思う。

 この他、神奈川平塚市でも女が6人の男性に切りつける事件も発生した。

 8月には、茨城県常陸大宮市の美容院で50代の女が客と経営者の女性を次々と刺し、2人が死傷する事件が起きたが、マスコミではあまり取り上げられず、報道の男女格差を感じさせた。

 また、この頃から報道だけでなくクイズなどのバラエティー番組での男女格差を感じる場面が目立ち始めた。更に「発言小町」での男女格差、そして結婚事情に関する男女格差など、フェミニズムが形成する女性優位の男女格差について言及した事例が多かった。

 9月には、当時の福田首相が辞任し、麻生内閣が誕生した。おりしも米証券大手リーマンブラザーズの破綻、そして世界同時株安という経済混迷へ突入していく中、麻生政権は批判の矢面に立たされることになる。

 また、川島なおみがハマコーこと浜田幸一に「3人以上子供を産まない女性は国家にとって必要な女性じゃない」と言われたことや、渡辺真理の結婚、西川史子の熱愛など晩婚や高齢出産が話題になった。

 更に、中山成彬国土交通相(当時)の日教組批判発言などが問題視され、辞任を余儀なくされた。しかし日教組批判について発言を撤回しなかったのは、久しぶりに大和魂を見せてくれたと評価できるだろう。

 そして、三重県で行方不明となっている辻出紀子さんが北朝鮮に拉致されている可能性があるという報道もあったが、政府関係筋は公式には認めていない。

 10月には、愛知県豊川市の幼児殺害事件の最高裁判決で被告の男に懲役17年の逆転有罪が言い渡された。物証などはなく、被告の自白信用性や自白強要はなかったかなどが焦点だったが、刑期も中途半端なあっけない幕切れとなってしまった。

 また、中3女子が車で男性をひき逃げした事件も衝撃的だった。しかも他校の男子3人を同乗させての事故。従来ならば男子が運転し女子は同乗者というところだろうが、女子が男子を率いるような集団形式もフェミニズムの影響なのだろうか。フェミニズムの女性支配が皮肉な形で表れてしまったのかも知れない。

 更に、家出して祖母のところへ行きたいという女児を車に乗せ連れて行く途中で道に迷い交番で道を聞いたら誘拐容疑で逮捕されてしまったという事態が起きた。もう知らない女の子はどんな状況だろうが無視するしかないという実績を作ってしまった。痴漢にあっている子を助けたら逆に痴漢の犯人に仕立て上げられるかも知れないのと同じだ。

 11月には、車内携帯電話注意逆恨み痴漢でっち上げの損害賠償訴訟で、最高裁は請求を棄却した2審判決を破棄、東京高裁に審理のやり直しを命じる判決を言い渡した。フェミニズムに支配された司法の中で、僅かな明るい兆しが見えたのかも知れない。だが差し戻し命令なので、決着はどうなるかまだわからない。

 また、国籍法の改正論議が活発化した。結局は12月5日に本改正案は成立してしまったのだが、外国人の日本への大量移入が更に加速することを多くの国民に伝えることが出来ただけでも反対運動は決して無駄ではなかったと思う。更に外国人参政権や人権擁護法案、児童ポルノ法改正案など、反日勢力、フェミニズム勢力など各種破壊勢力の連携関係とその企みを体系的に伝えていく地盤が出来上がったという考え方も出来る。

 更に元厚生次官夫婦連続殺傷事件も不可解な事件だった。犬の恨みが動機というのは余りにも不自然だ。この事件と舞鶴女子高生殺害で別件逮捕の男の家宅捜査を異例の6日間にわたって行ったことなどが、国籍法の改正審議から国民の目をそらす策略ではないかといった憶測も飛び交った。

 そして、里田まいやスザンヌなど女性タレントの横暴な態度もフェミニズムの影響であると感じたのもこの頃からだった。恐らく私の見ていない番組でも傾向は似ているのだろうと推測する。

 また小室哲哉の詐欺容疑での逮捕も世間を驚かせた。

 そして記憶に新しい12月には、マスコミによる麻生内閣批判がより強まった。支持率の低迷と共に、渡辺喜美元行政改革担当相はじめ政界再編を模索する動きが始まっている。また古賀誠選対委員長が公明党との連立解消を示唆する発言が話題を呼んだが、どうやらかき消されてしまったようだ。

 更に、雇用環境の悪化が派遣労働者などの労働弱者に重くのしかかって来た。派遣切りに遭い、明日の生活がままならない人達が街に溢れている。そんな鬱屈した雰囲気の中、突然の飯島愛さんの訃報は閉塞感漂う社会に追い討ちをかけるような知らせだった。

 今年も様々な出来事があったが、来年こそは良い年となるように願いたい。しかしどんな不況でも後退を許さないフェミニズムの圧力は相当なものだ。今年の流行語大賞である「アラフォー」もいわばフェミ女性と重なる。彼女らはバブル期に男性をアッシー君、ミツグ君などと道具扱いしてきた世代で、いつも自分達はバブル気分だと思っている。彼女らは生活苦の人達をあざ笑うかのように平然と身勝手を貫き負け組を食い物にしていく。そんな連中がのさぼるだけの社会なら、いっそのこと戦争でもテロでも起きて欲しいと密かに願う人々は決して少なくないのではないだろうか。

<お知らせ>
 今年の投稿はこれで終わりです。お付き合い下さいまして誠にありがとうございました。来年は1月5日からを予定しております。皆さん良いお年を。

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