渡辺眸さんが若いころの写真のなかで、1968年に新宿で撮られた
写真から「1968 新宿」と題した写真展が新宿ニコンサロンで、写
真集が「街から舎」から出版される。
当時、東京綜合写真専門学校の学生。女性のカメラマン(ウーマ
ン?)はまだ珍しかったころ。彼女の対象当初から二方向ある。
ひとつは、卒業時の制作展で「香具師の世界」を発表、その後も
『アサヒグラフ』などに掲載されていく。
もう一つの方向は、若者の文化の地でありベトナム戦争や国際反
戦デーでパワーみなぎる新宿や、全共闘ムーブメントの中心・バ
リケート封鎖された東京大安田講堂を内側から撮りはった。
後者は写真としても忘れられていたのが、2007年に「東大全共闘
1968‐1969」(新潮社)や写真展で再評価の機運が高まり、今回
に繋がったんだと思う。
☆
1年前にとある写真展のオープニングにお客として来てらした渡辺眸
さんを紹介される。60年代の写真は伝説的だと緊張したけど、とても
気さくで、近年撮り続けている蓮の花の話をしてくださった。
彼女にとって、新宿・学園闘争というのはその時のテーマとしては大
きかっただろうが一つに過ぎず、インド、ネパールなどアジアをずっ
と撮って、精神性の高い写真や写真集を発表しつづけている。
写真から「1968 新宿」と題した写真展が新宿ニコンサロンで、写
真集が「街から舎」から出版される。
当時、東京綜合写真専門学校の学生。女性のカメラマン(ウーマ
ン?)はまだ珍しかったころ。彼女の対象当初から二方向ある。
ひとつは、卒業時の制作展で「香具師の世界」を発表、その後も
『アサヒグラフ』などに掲載されていく。
もう一つの方向は、若者の文化の地でありベトナム戦争や国際反
戦デーでパワーみなぎる新宿や、全共闘ムーブメントの中心・バ
リケート封鎖された東京大安田講堂を内側から撮りはった。
後者は写真としても忘れられていたのが、2007年に「東大全共闘
1968‐1969」(新潮社)や写真展で再評価の機運が高まり、今回
に繋がったんだと思う。
☆
1967年からボチボチ撮り始め、広場が通路になって、
メディアでフォークゲリラと呼ばれた1969年の新宿
西口までだが、その中でも1968年に撮ったフィルム
が最も多かった。
花園神社境内での唐十郎の紅テント、ゴールデン街で
女装した美しい人に出会い、グリーンハウスの風天た
ち。アンダーグランドという言葉に出会ったのもこの
頃。下北沢でも吉祥寺でもない新宿が文化だった。
「10.21国際反戦デー」のデモでもみくちゃにされな
がらカメラを回していると「警官の方が先に殴ったよ、
先に殴ったでしょ」と叫んでいる隣の男性が大島渚監
督だった。
メディアでフォークゲリラと呼ばれた1969年の新宿
西口までだが、その中でも1968年に撮ったフィルム
が最も多かった。
花園神社境内での唐十郎の紅テント、ゴールデン街で
女装した美しい人に出会い、グリーンハウスの風天た
ち。アンダーグランドという言葉に出会ったのもこの
頃。下北沢でも吉祥寺でもない新宿が文化だった。
「10.21国際反戦デー」のデモでもみくちゃにされな
がらカメラを回していると「警官の方が先に殴ったよ、
先に殴ったでしょ」と叫んでいる隣の男性が大島渚監
督だった。
1年前にとある写真展のオープニングにお客として来てらした渡辺眸
さんを紹介される。60年代の写真は伝説的だと緊張したけど、とても
気さくで、近年撮り続けている蓮の花の話をしてくださった。
彼女にとって、新宿・学園闘争というのはその時のテーマとしては大
きかっただろうが一つに過ぎず、インド、ネパールなどアジアをずっ
と撮って、精神性の高い写真や写真集を発表しつづけている。
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