やまねこマッサージ

ねがうこと、ゆだねること

故大島渚監督・「私の明石海人」

2014-02-01 | 
昨日書いた日テレの番組「反骨のドキュメンタリスト ~大島渚
『忘れられた皇軍』という衝撃~」の中で、故大島渚監督の座右
の銘が紹介されていた。

深海に生きる魚族のように、自らが
燃えなければ何処にも光はない

ハンセン病と長年闘った歌人・明石海人(1901-1939)の戦前ベス
トセラーになった歌集「白猫」の序文に書かれた言葉。監督は色
紙にもこの言葉を書き、鎌倉の墓にも刻まれている。明石海人顕
彰会には「私の明石海人」という一文も寄せている。



中学2年生でこの言葉に出会って以来、「おぼろげながらも自ら光を
発っしてひっそりと息づいている深海魚のイメージが、長い間僕の生
きる力となってくれた。」



借り物の価値はつまらないと語り、「人が決めた価値基準に頼るな、
自分と他人を比べるな。真理は自分の中に見つけるものだ。厳しい
ようだが、これを実践することによって、人は楽になることができ
ると、僕は自分の経験から思う。」

映画を作る仕事なのに、そう思ってたとは凄いなぁと思う。この考
えは、仏教の経典「大般涅槃経」の中にもあると教えてくれた人が
いるそうだ;

自己を燈火とし、自己を拠りどころとするがよい。他のものを
拠りどころとしてはならない。真理を燈火とし、真理を拠りど
ころとするがよい。

引用は番組の中で紹介された『失って、得る』という大島渚監督の著
書。2000年発行で、脳溢血で倒れたこと、リハビリをしながら『御法
度』を完成させる頃の公私にわたる話。



よく怒るのは映画監督という職業柄の技だそうだ。「そうでなければ、
俳優もスタッフも、いたずらに僕の顔色を伺うようになってしまう。感
情のすべてを表現することで、現場にいるすべての人間が動きやすくな
る。」

僕は強く信じる。映画という世界に限らず、人と人とのコミニュケー
ションにおいて、喜怒哀楽はすべからくおおらかに表現すべし。

背筋を伸ばして拝聴させていただきました。合掌。