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ジャクソン・ポロック展

2012-03-02 | art
竹橋の近代美術館で開催中の「ジャクソン・ポロック展」
素晴らしかった。生誕100年を記念した回顧展で、70点の
代表作が集められ、彼の全貌を見ることができる。5/6まで。



イランは核問題で揺れているのに、イラン革命以来門外不出の
傑作「インディアンレッドの地の壁画」(上の絵)も来たし、
フクシマもあって出し渋りもあるこの時期によくこの企画展を
成立させたと思う。驚いたことをいくつか;

○いかにピカソの影響が大きかったか。

初期からずっと意識している。だからピカソを超えようとして
生みだされたんだね、あの独自の絵画が。現代アートの扉を開け、
アメリカ独自の現代絵画を生みだしたとも言われる。

○この手法による作品はたった4年間だけ。

1947年ー50年の間だけこの技法で描いて、その後新しい絵に
向かって行ってスランプになる。あの手法で描くことをよしと
しなかったのもわからないではないが、あまりの短さに驚く。

アーティストであるリー・クラズナーさんと1945年に
結婚したことが彼の作品の転換契機になったそうだ。

○早くも1951年には日本に2作品来ている。

戦後間もないのに、よく来たというかよく呼んだと感心する。
それがポロックの作品が日本に初めてやってきた時でもあり、
第3回読アンデパンダン展。制作2年後やからやるねぇ。

その時海を渡った2作品、《ナンバー11, 1949》
《ナンバー7, 1950》が60年ぶりに展示されていた;


《ナンバー7, 1950》

《ナンバー11, 1949》

○アトリエは自然に囲まれた小屋


大都市のアトリエで描いてたのかと想像していたら、
ぜんぜんハズレ。ニューヨーク州のロングアイランドの
東端。田園地帯で生活していた。ほんと小屋で質素。



新しい方向性に悩むなか、アルコール依存症も再発。
酒酔い運転で若い愛人とその友人を道連れに、
自動車事故を起こして1956年逝去(享年44歳)。
その事故を報じたローカル新聞も展示していた。

新しい地平を開いてからすぐ亡くなったことに、
なんともいえない気分になる。彼も若くして
死んだことでヒーロー化されていく。