運営委員長の岡野です。
サングラハ教育・心理研究所の東京集中講座のため、しばらく記事更新ができなくなりますので、結論まであと2回分、今日まとめて掲載します。
日本の神仏儒習合の精神と「絆」の喪失
それに対して日本では、かつて江戸時代まで、神仏儒習合、すなわち神道と仏教と儒教が結局は一つのことを語っているのだといった考え方・国民精神があったと思います。
これが近代化のプロセスでだんだん崩壊してきてしまって、今日本全体、特に都市部ではほとんどなくなっていますが、東北では「絆」という形でかなりの程度残っていたようですね。
震災・津波の後、典型的だと思ったことは、お寺で弔いをし、流された神社を建て直してみんなでお祭りをすることで、「絆」を確かめていたことです。
それは、「みんな神の子・仏の子・天地自然の子だ」という神仏儒習合の思想が共同体の「絆」の根拠になっていたことを示している、と私は捉えています。
しかし、すでに慣習になっていて自覚的なものではなくなっていますし、地方・地域によって若干残っているとはいっても、戦後の標準的な日本の国民精神は、要するに物質科学主義的な個人主義的と自由主義的な民主主義です。
とても残念ながら、「日本人全体が助け合うのが当たり前」(「なぜならば、みんな同じ神の子・仏の子・天地自然の子なのだから」)という国民精神は全体としてはもうほとんど失われている、と私は思います。
それに加えて、大正デモクラシーや戦後のアメリカ流民主主義のベースであったヒューマニズムによる「連帯」の精神も、欧米からの借り物であって日本の精神風土から生まれたものではなかったためか、いまはほとんど死語になっていると思われます。
そういう状況にありますので、日本は残念ながら持続可能な国の実現には遠いのですが、ともかくまず四つの象限にわたる条件全部が必要なのだということを自覚する、それからそれを調えていく。
そういうことを、これから意図的にやっていけば、まだ遅すぎはしない、不可能ではない、と私は考えています。
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