Born Free

鉄道今昔物語


最近はどっちかっちゅうたら疎くなったケドも
ガキの頃の趣味のひとつに、"列車見物"っちゅうのがあった。

今では… 

"撮り鉄"
"乗り鉄"
"音鉄"
"葬式鉄"

っちゅう風に、そのヒトの趣向によって分類されて
いろんな呼び方がされてるみたいやケドも
そのどれかっちゅうたら… う~ん…"撮り鉄"かなぁ…。

せやケドも、写真に撮らんでも眺めてるだけでも
結構ワシ的には満足やったんかなぁ…と思う。

そらぁ当然、鉄道が好きっちゅう限りは
それに乗って遠くに行きたいっちゅう願望はあったケドも
なにわの下町の団地っ子っちゅうコトで
寝台特急に乗って、遠くに行く旅をする程
裕福なワケや無いさかいに、せめて始発駅である
大阪駅で出発を待つ、特急や急行を見てその気になる。
それだけでもワシは満足やった。

夕方、この日もまたガレージに行ったら友人が居った。
っちゅうコトで、またおしゃべりをしたワケやケドも
そこで、この春のダイヤ改正で定期運行から姿を消す
二つの寝台列車のハナシになって、鉄道談義になった。

ちなみに、そのダイヤ改正で二つの寝台列車が姿を消した後
大阪発着の寝台列車は、昼過ぎに札幌に向けて出発する
"トワイライトエクスプレス"のみになり
所謂、ムカシからあった"ブルートレイン"っちゅうモンは
大阪駅からは総て姿を消すコトになる。

高校一年の夏に、単独で後楽園球場と西武球場に遠征に行った。
その前年に、当時の応援団の先輩に連れられてクルマで
東京まで連れて行って貰たコトはあるケドも
生まれて初めて、独りで東京に行くっちゅうコトで
夜行バスや鈍行でも、はたまた、新幹線でも無く
どうせ行くんやったら、どうしても"寝台列車"っちゅうヤツに
いっぺんでええから、乗ってみたかった。

その時、チョイスしたんが、"寝台急行"の
大阪~東京を定期運行してる、"銀河号"やった。

当時使われてた車両の中で、いっちゃん安かったんが
"客車三段式寝台"っちゅうヤツで、そこの下段の寝台やった。
コレがまた、底抜けに狭かった。

当時応援団に所属してたワシの荷物は大物が多く
総てを収納したら、足を曲げんと寝れん状態やった。
しかも、三段もあるさかいに、立つ度にアタマを…

「ゴンっ!」

っちゅうカンジやった(泪)。

そのコトを思い出した。

それ以降、14年前に再度、ライヴを観に東京へ行った帰りに
交通手段を決めて無くて、最悪カプセルホテルかなぁ…
っちゅう風に思ってるトコロに、品川駅のホームに入って来た
銀河号に飛び乗って帰って来たコトがあった。

その時はもう、総て二段式の寝台車になってた。

世の中、どんどん加速化して行って
夜汽車に乗って旅をする…っちゅう"ココロの豊かさ"
っちゅうモンが、死に語に近い存在になってしもた様な気がする。

もちろんその流れにワシ自身も居るんやさかいに
ハシ自身も反省すべきコトなんやろうと思う。

今の子供達に、そういうワシらが経験した
泥臭くも青臭い、所謂…"青春のいちページ"的なコトを
経験させてやれん様な世の中にしてしもたんかなぁ…と。

そのコトを考えたら、ホンマに申し訳無く思います。

名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最新の画像もっと見る

最近の「ノンジャンル」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事