Born Free

生きるコト…


 この時期になったら、嫌が応にも思い出すコトがある。

2000年10月13日 福岡ダイエーホークス 投手
藤井将雄投手 若年進行性癌により 逝去 享年31歳

奇しくも、その一週間前にホークスは
パシフィックリーグ優勝を決めた。

前年、日本シリーズ前のメディカルチェックの際に
肺に陰があるのを発見された。それが癌やった。
しかも、医師が下した診断は『余命3ヶ月』やった。

それを4倍も長く生き、しかも、亡くなった2000年5月には
二軍戦ではあるがマウンドにも上った。

亡くなった少し後に放送された"ZONE"っちゅう
ドキュメンタリー番組で、彼がブルペンで
投球練習をしてる姿が放映された。

「これは病み上がりの人間が投げるタマやない!」

彼が『不治の病』に侵されてるコトを知らんと見ても
そない思うケド、それを知って見てたさかいに
尚のコト、信じれん。ホンマに…

「ウソやろ? なんでこんな凄い選手が…」

っちゅうカンジである。

彼は壮絶な闘病生活を送りながらも
やり続けたコトがある。
ファンとのコミュニケーションである。
彼は自分のオフィシャルサイトの日記のページに
出来る限り、我がでコトバを遺した。

もちろん、彼は『遺言』として遺すつもりは毛頭無い。
ホンマにいつか一軍のマウンドに立つ日を目指していた。

日記の文章の中に…

「痛い」とか「しんどい」とか「入院」っちゅう類いのモノはなかった。

入院する時は…
「しばらく旅に出ます。」っちゅう表現を使った。
気付いてるファンも居ったとは思うケド
絶対に我がから弱音を吐かんかった。

最後のコトバとなったんが…

「オリンピック休みを貰います。」

この年、シドニーオリンピックに選手を派遣した為
変則的な公式戦日程が組まれてたんやけども
それを『表現』として使ってたんやけども
それが最後の入院をしたっちゅうのが判明った後
なんとも哀しいキモチになった。

今日、仕事中にこのコトを思い出した。
それと、彼の亡き後に『弔い合戦』になった
その年の日本シリーズの読売戦の第一戦に臨んだ時のコトも
同時に思い出した。今でも泪が止まらん。

「あの時は、"勝たす"やなしに"絶対に勝つ!"
      っちゅうキモチやったよなぁ。みんな。」

相手が読売っちゅうのもあったし、藤井選手のコトもあるさかいに…

「絶対に負けん!」

そんなキモチで、かなり入れ込んでた。

最近、仕事のコトでかなり悩んでた。
せやけども、このコトを思い出したら…

「もういっぺん、やれるやろ! やれるハズや!」

っちゅう風に思た。

同じ様に32歳の若さで、水頭症で亡くなった
広島東洋カープのストッパー 故津田恒美投手が遺したコトバ。

「弱気は最大の敵!」

死にとうても、死ねんし、生きるしかないやろ!
生きてみたるわい!

生きて生きて生きまくれ!
みんなもがんばろう!



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