Born Free

"ボーダーライン"


バンクーバー冬季オリンピックを翌日に控え
物議をかもした"あの話題"触れたいと思う。

この文章を打ち込んでる時点で
橋本団長により事態の鎮静化が計られてる
っちゅうコトもあるさかいに
選手の名前を出すのは敢えて避けますが…

たしかに、"競技"っちゅうモンである前に
間口として"趣味"から入る場合が多い。
コレはウインタースポーツだけや無しに
他のスポーツでもあるコトやと思う。

せやケドも、仲間内で技術を"見せ合う"中での"競うコト"と
競技として参加を募ってるモンにエントリーして
技術を点数や速さっちゅう"ものさし"で量って
その結果を元に"順位"を"競い合う"モンとの間には
あきらかにスタンスをシフトさせる必要性ってあると思うんやケドも…

あのスポーツを楽しんでるヒトを観たら
ファッション性豊かで、その中で各々の個性に富んだヒトが居って
それに憧れて始めるっちゅうヒトも多いと思う。
それは"間口"としての必要要素やと思う。

せやケドも全員が全員、同じ様な服装や言動やとは思わんし
今回の一件に於いても、"偏見"を持たれる心配や憤慨のキモチを
持ってるっちゅうヒトかて居ると思う。

逆に言うたら、スーツをビシっと着こなして
一見してスノーボーダーに見えんヒトが
ハーフパイプでキレイにAIRを決めてたら
ごっつう羨望の眼差しで見られるコトかてあると思うし
クリーンなイメージが持たれるケースもあると思う。

ワシはムカシ、"剣道"っちゅうモンをやってたケドも
競技として"竹刀"っちゅう棒を手にして相手の眉間を狙いに行く
っちゅう、相手を"攻める"スポーツである。
どんな武道でもそうやケドも、"礼儀""作法"には厳しいスポーツである。
考えてみたら、相手を"攻める"っちゅう行為をするさかいに
逆に礼儀とかを重んじるんやなかろうかなぁとも考えた。

剣道でも強いヒトは、構えが背筋が伸びてキレイなフォームやし
服装や礼儀がキッチリしてるヒトは競技に入る前から
なんか強そうに感じる見えて来るんやないかなぁ。

特に、"美"を競う競技やと競技に入る前から
"魅せる意識"ってものごっつう大切な要素やったりするんやないかなぁ。
競技の瞬間だけ魅せる意識を持ってもその場の凌ぎにしか過ぎんやろう。

例えば、子供の時に於ける普段の行動。

普段悪さをしたり、クツの後ろを踏んで歩いたりしてるのに
親やセンセの姿が見えてから急にキチンとしても
必ず見破られる時が来るワケである。

"趣味"でのスポーツ。
"アスリート"として挑むスポーツ。

そこには明確なボーダーラインってあると思う。

やっぱアスリートとしてやるんやったら中途半端や無い
"緊張感"っちゅうモンを、日々持って現場に行かんと…

"ケガと弁当は我が持ち"でっせ!

名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最新の画像もっと見る

最近の「ノンジャンル」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事