朝刊を観たら、前日に行なわれた
教育に関する催しのコトを報じてた。
映像でも、前日の夕方のニュースで
ちょこっとだけ観てたんやケドも
我が町の某知事さんが、アツく語ってた。
「競争は否定しません!
でも、負けたコを見捨てたりはしません!」
前回の同じ催しの時に
客席に居った教育者で構成された団体の
ヤジや罵声の中で、応戦してた彼の姿
っちゅうのも記憶に新しいケドも
傍で観てる限りは、あんだけお互いに
"聞こうとする姿勢"が無かったら理解り合うコトは愚か
妥協し合うコトも難しいなぁと思う。
あの知事さんの言うてるコトはたしかに
"なるほど"と思うコトを唱えてると思う。
"ゆとり教育"
"勝ち負けを決めない教育"
たしかに、コレがもたらしたモンって
なんなんやろうと、小首を傾げる。
運動会で…
「"一等賞"を表賞しません!」
っちゅうコトをやってるっちゅうのを
ムカシ、ニュースで観たコトがあるケドも
コレは確かに、おかしいと思た。
"得手""不得手"っちゅうモンがあって
"点数"っちゅう学力評価があるのに
運動が好きなコから、"一等賞"っちゅう
最高に輝ける評価っちゅうのを奪い取るのは
教育の現場での都合のええ横暴なんやないかなぁと
正直、感じたモンである。
「何を目標に徒競走をするん?」
そんなキモチが渦巻いた。
"負け"
っちゅうコトバがワシは大キライである。
せやケドも、"負けずギライ"やないと思う。
"負け"っちゅうモンを人一倍経験してるからこそ
大キライなコトバなんや思てる。
競争っちゅうモンがあって
負けるコトの虚しさを経験してそこから
這い上がるチカラを身に着けて
"勝つ"コトの喜びや、"克つ"コトの大切さを
学んで行くモンなんかなぁと最近になって感じた。
コレはちょこっとハナシがズレるかも知れんケドも
弱い野球チームを応援し続けて
ガッコでせんどおちょくられ倒されて
ヒトには測り知れん程の悔しさを経験した。
三十歳になってから、そのチームが
やっとこさ優勝した時に、周りを憚らんと大泣きした。
いろんなモンが去来したからこそ
勝てたコトの喜びを感じるコトが出来た。
せやケドも、勝ち続けるコトが
総てに於いてええコトなんかっちゅうたら
それはどうかなぁとっちゅう気がする。
特に"負けずギライ"っちゅうコトバで言うんやったら
負けるコトを経験せんと勝ち続けたヒト
っちゅうのは、負けるコトの虚しさや悔しさを経験して無い分
人間としては尊いモンを手に入れれて無いかも知れん。
あんじょう表現出来んケドも
"競争"っちゅうモンがあるからこそ
"人間"っちゅうモンが造れるんかも知れんと思う。
せやケドも、"競争社会"っちゅうのは
ワシはあんまり好きや無いかなぁ。
ヒトを蹴落とす為に勝つっちゅうのはワシは好きや無い。
例の"知事さん"はコトバでは…
「負けたコを見捨てん!」
っちゅう風に言うてるかも知れんケドも
ワシにはそこまでの"情"っちゅうモンを汲み取るコトが出来ん。
"教育者"とのバトルにしても
相手の"主張"に対してのスタンスが
"突っ跳ねる"っちゅうカンジでハナから
「売られたケンカを買う」
…っちゅうスタンスで居るっちゅう風に感じる。
確かに、"教育者"のスタンスもええとは言えん。
もうちょい手段はあると思う。
せやケドも、"教育者"と言えど"ヒト"っちゅうコト。
コレは忘れたらアカンと思う。
あれだけ、評価無しで批判されてばっかりで
いきなり要望ばっかり押し付けられても
同じ立場やったら、あの知事さんの性格上
かなり高い確率で御託を並べて反論すると思う。
コトバを投げかけるにも、コトバを選ばんと…
結局、勝ち続けてるヒトには
"虚しさ"っちゅうモンは理解り切らんのやろうなぁ。
あのヒトを観てたら、そんな面が見えた気がした。
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