Born Free

夢、破れる。


我が母校が四回戦でチカラ尽きた。

三試合連続二桁得点と、猛打を誇って来たガッコ相手に
これまでの三試合、二点、一点、三点と…
三点以下に抑えて来た投手力を武器に
相手打線を封じ込めて、勝ち進むコトを期待したケドも
先制点を取ったモノの、相手打線に捕まり
二桁の失点を喫してしもた。

ぢつは、仕事場と眼の先の球場で試合をしてたさかいに
昼の休憩の時間に、覗きに行ってしもた。
その時は、7-6まで追い上げた直後に
一点を取られ、尚、満塁のピンチの場面やった。

それからズルズルと引き離されてしもて
13-7になった8回表終了時に仕事に戻る為に
断腸の思いで球場を離れた。

「まぁ、無理やろうなぁ…。」

そない思てたモノの、携帯のサイトで
こまめにチェックしてたんやケドも
なかなか、"敗退"を告げる文字が出て来ん。

二時前にチェックした時に、"敗退"が判明った。

 13-10

最後、意地を見せてくれたみたいである。

昨日、来年から校名が変更されるコトを初めて知った。
せやさかいに、今年、どうしても…

「甲子園に連れて行って欲しい!」
「絶対、今年は行って貰わんと…。」

っちゅうキモチがものごっつう強くなった。

ワシが在学中の三年間、ベスト8二回。
ベスト16が一回と、あと一歩のトコロまで行ってた。

一年の時は、当時、"難攻不落"やった
桑田真澄投手、清原和博選手擁するPL学園と
準々決勝でぶつかっての敗退。

二年の時は、準々決勝で九回表に逆転され敗退。
三年の時は、"隣のガッコ"っちゅうてもええ
カオを合わしたら生徒同士が一色触発になるガッコに敗退。
それからは、段々弱くなって行ってしもた。

ワシらは強い時代を知ってるさかいに
いつかは我が母校が甲子園に行くモンと信じ込んでた。
せやケドも、今のガッコの名前でその夢を果たすコト無く
来年にはガッコの名前が変わってしまう。

たしかに、場所は変わらんし
経営母体が変わるワケでも無い。

せやケドも実際に、ワシが居った"商業科"
っちゅうクラスも今はもう無いし
それに加えてガッコの名前まで変えられてしもたら
そのガッコを"母校"っちゅう風に思えるんやろうか…?

ワシにとったらいつまでも
出身高校は今のガッコの名前のガッコである。

ワシが居った当時は、ヒトに後指を指されるコトもあったし
とあるガッコでは、生徒手帳に記載されてる生徒規則に
名指しで交際を禁止されたコトもある。

せやケドも、今までの人生の中で
いっちゃん愛校心があり、愛着のあるワシにとっては
誇りを持てる大切な場所やった。

恐らく、時間が経ったら新しい校名のガッコも
"母校"として誇りを持てるんかも知れん。

せやケドも…

今のガッコの名前で、甲子園に行くコトが果たせんかった。
この無念は、恐らく消えるコトの無いモンやと思う。

最後に、球児の皆さんへ…

悔しいです。せやケドも最後に…

"此花学院"

…の爪痕をキッチリと遺してくれたコトに
OBとして、誇りを持つコトが出来ました。

ええ夢見させて貰たコト、大変感謝します。ありがとう…。

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