まほろばの泉

亜細亜人、孫景文の交遊録にある酔譚、清談、独語、粋話など、人の吐息が感じられる無名でかつ有力な残像集です

鈴木宗雄氏も綴る、佐藤慎一郎先生  お別れの言葉

2010-06-21 12:49:20 | Weblog
心より感謝し、理屈のない感涙を招いた師の言葉をお伝えいたします

好きでたまらないという生徒達に伝え、生徒も感応した。なかには戦慄(わなな)き落涙するものもいた。あの人情豊かな鈴木宗雄議員も先生への思いを随時に綴っている。

筆者も多くの碩学といわれる人物に遭遇するが、背筋に冷たいものが走ったのは佐藤先生をおいてはいない。

ただ、下座において、吾が身を以って伝えることは、俗事小事にまみえる小生にとって終生解けぬ難問でもある。時おり学徒に無学を晒しつつも師の追従模倣でしかない。

春、秋と津軽の墓前に参するも、照れくさくも恥ずかしい雄の児があるだけだ。

最後は病室を退く背に『後は頼みますよ・・』といわれたが、なぜか振り向けなかった。
同行の王荊山の遺子が覚ったように身を震わせた

悲しい、淋しいより、悔しかった。

それは、゛まだ早い゛、゛いつでもいる゛という甘えだったのか・・・




                





【心の講義】

最終講義の二、三十分間を借りて、思いつくままのお別れの言葉を云わしてもらいます。
私が社会に出ました頃は、不況につぐ不況、おさき真暗な時代でした。五・一五事件、二・ニ六事件、満洲事変、北支事変、大東亜戦争、そして敗戦、そうした激動の中で生きてきました。机に座ったことなどなくして、教壇に立っていたのです。

私は、満洲国で、初めて人間の素晴しい生き方を見ました。すがすがしい死に方を見ました。そうした方々の中には、諸君の大先輩、拓大の卒業生の方々もおられました。私は感動を覚えました。また他の一方では敗戦という極限の状態における、人間のあけすけな醜悪面をも見せつけられ慄然(りつぜん)としました。

 私も敗戦後、共産軍に捕らえられ、死刑の判決を受けること二回、二回とも中国人に助けられました.三回目は国民党に逮捕され、九分通りは死刑であるとの内示を受けていたのが、判決直前釈放されました。私は留置場の中で、または死刑執行場で、自分で自分の入るべき墓穴を掘りながら、本当の学問というものは、書物以外の所により多くあることを体験させられました。

「吾れ汝らほど書を読まず、然るが故に吾れ汝らほど愚かならず。」

「物知りの馬鹿は、無学の馬鹿よりもっと馬鹿だ」

という言葉の意味を本当に知ったのは、日本の敗戦によってでした。いかに素晴しい言葉であっても、それが信念と化し、好意と化するまでは無価値であることを知ったのです。






               

       孫文側近 山田純三郎  先生の叔父




 では教育とは何だ。祖先から承け継いだ民族の生命をはぐくみ育てながら、次の代に伝えていくことだと信じます。教育とは、民族の生命の承継である。生命、それは魂と魂の暖い触れあいの中でしか育たない。愛情のないところに生命は育たぬ。誠意と献身のないところに生命の成長はない。

 男女の結合によって、子供が生まれる。生命の誕生である。親と子供は、同時に生まれるものです。親の無い子はなく、子のない親はない。親子関係は、西欧思想のように、「自」と「他」という二元的なものではない。親子の関係には、自他の区別がない。




                







無条件だ。あるものは愛情だけだ。

しかも打算のない愛情だ。真の愛情には終りがない。

これこそが人間存在の原点だ。

人間と人間関係の出発点だ。

私はとくに母親というものの姿から、純粋な人間愛に生きる、人間の本当の生き方を教えられた。

これこそが隣人愛につながり、社会愛・民族愛、そして人類愛にまでつながる根源である。

自分と他人とは別物ではない。自分と学生とは別物ではない。

学生の悦びを己の悦びとして悦ぶ。学生の苦悩を自らの苦悩として、共に苦しむ。自他の一体視だ。そうした暖いものこそが、人間の本質である。しかもこれこそが現代の社会に、最も欠けているものの一つである。

学生という生命体を育てるには、魂と魂の触れあいしかない。道元禅師は「自をして他に同ぜしめて、初めて他をして自に同ぜしむる道あり」と教えておられる。

また夏目漱石の「三四郎」とかいう本に、三四郎が東大の図書館から本を借りて来たら、落書がしてあった。
「ベルリンにおけるヘーゲルの講義は、舌の講義にあらず、心の講義なりき。哲学の講義は、ここに至って始めて聞くべし」とあった。





                






そうだ。 これだ。私にできることは、舌の講義ではない。心の講義だ。体ぜんたいで学生に、ぶっつかることだ。私は拓大に来て一六、七年間、実によく学生と遊んだ。飲んだ。歌った。語った。そして叱った。怒鳴った。励ました。

そのようにして私は私自身を語った。私は「口耳(こうじ)四寸の学」は教えなかった。耳から聞いて、四寸離れた口から出すような浅薄な学問は、教えなかったつもりである。「口耳(こうじ)の間は即ち四寸のみ。なんぞ以て七尺の躯を美とするに足らんや」(荀子)である。私は体ぜんたいで「吾れ」を語ったのです。

【食・色は人の性なり】

 私は初めて社会に出て、小学生の先生をした。三ヵ月目で首になった。若い女の先生と海岸へ遊びに行って首になったのです。駆け落ちしたのではありません。自動車で行ったまでのことです。二回目の就職先でもまた半年たらずで首になった。

 誰かの本に、こんな話があった。ある家に青年僧が下宿していた。実によく修業に励んでいた。宿の小母さんは、末頼もしく思っていた。小母さんには娘さんがあった。ある日娘が青年僧の食事を運ぼうとした時、母親は娘に、青年僧の気を引いてごらんと、けしかけた。娘は悦んで青年僧に抱きついてみた。青年僧は姿勢を正して

 「枯木(こほく)寒厳(かんがん)によりて、三冬(冬の一番寒い時)暖気なし」と答えて、娘を冷たく突っ放した。

それを聞いた母親は、「この糞坊主が」と怒って、青年僧を追い出してしまったというのです。若い女性に抱きつかれても、冬の一番寒い時に、一木の枯木が寒ざむとした岩肌に生えてでもいるように、私には一向に感応はありませんよ、とでも云って入るのでしょう。こんな男は、人間じゃない。「停電」しているのだ。




                  

      整理、整頓 倹約、津軽の教育




ところで、この佐藤先生なら、こうしたばあい、どういう反応を示したと思いますか。
佐藤先生は、待っていましたとばかり、「漏電」してしまったのです。

後始末は大変でした。とにかく私は、女には間違う。始末におえない先生だったのです。

「少(わか)き時は血気未だ定まらず、これを戒(いま)しむること色にあり」(論語)です。

 しかし私には一つの救いがあった。それは最初から最後まで、学生が好きだった。好きで好きでたまらんのだ。この拓大にも一人ぐらいは、徹底して学生と遊び通す先生がいてもよかろう。

 ところが、自分の未熟さ、能力、学問を考えると、それは恐ろしいことでもあった。そのため私は自分自身に厳しくした。

私は諸君に対して「私の講義を本当に学ぶ気持ちがあるなら、先生より先に教室に入って、心静かに待っておれ」と要求した。

この諸君に対する要求は、実は私自身に対する要求であった。与えられた貴重な時間だ。一秒たりとも、おろそかにはできないぞと、私自身にたいする誓いでもあった。そのため私は朝の始業時間よりは、三十分か四十分前には、必ず学校に到着しているように心がけた。

そして十七年間、この小さい小さい事をやり通した。

「初めあらざることなし、よく終りあること鮮(すくな)し」(詩経)。

何事でも初めのうちは、ともかくやるものだ。それを終りまで全うすることは、むずかしいものです。





           

        在学中の想い出に師を綴る
   





【私心を去れ】

 王陽明は「則天去(そくてんきょ)私(し)」天理にのっとり私を去る、と自戒しています。毛沢東は「則毛去(そくもうきょ)私(し)」を要求しています。つまり俺を模範として、お前らは私心を去って、俺のために尽くせと要求している。中国大陸の今日の混乱・闘争の根源は、毛沢東の私心にある。

 中国は何十回となく、革命をくり返してきた。しかし中国の独裁体制そのものを打倒することはできなかった。

つまり革命のない革命を、くり返して来ていたのです。

ところが中国近代革命の目標は、そのような独裁体制が強まれば強まるほど、逆に民衆の自覚、目覚め、起ち上りの力が強くなり、独裁体制を打倒しようとするところにある。毛沢東の独裁体制が強まれば強まるほど、逆に民衆の自覚、目覚め、起ち上がりの力が強くなり、独裁体制を打倒しようとする革命の力が育っているのです。

毛沢東という人は、かつて三国志の英雄曹操が「俺が天下の人に背(そむ)いたとしても、天下の人々が俺に背くようなことは許さぬ」とうそぶいたように、今では毛沢東一人を以て天下を治め、天下をもって毛沢東一人に奉仕させているのです。要するに毛沢東は、中国近代革命の本質を知らない男です。中国の真の革命はこれから始まるのです。



 とにかく王陽明も「山中の賊を破ることは易く、心中の賊を破ることは難し」と云っているように、私心を去ることはむずかしい。しかし私心を断たぬ限り、世の中は明るくならぬ。私心を去るということは、自己との永遠の闘いでしょう

 殷の湯王が自分の洗面器に「まことに日に新(あらた)に、日に日に新(あらた)に、また日に新なり」(大学)と彫(ほ)りつけておいて、毎朝洗顔する度に、自分の心の汚れ―私心をも洗い流して、毎日が生まれ変った新しい人間として、政治を執るように自戒し努力し續けたと云われています。


 私も自分を反省し、私心を棄てようと、私なりの努力と自戒を續けてきたのでしたが、人間ができずして、非常にかたくなな人間に変わった。しかし「誠は天の道なり。誠を思うは人の道なり」(孟子)です。私にはやろうとする気があった。愛情と誠意と献身のあるところ、万物は育つというのが、私の信念であり行動の基準でもありました。それが多少なりとも、自分の欠陥を補ってくれていると思います。



【国家衰亡の徴(しるし)】

そうした気持ち現在の拓大を見るばあい淋しい気持ちがしないでもない。拓大は長い間数多くの業績を残してきた。しかしながら現在の学生の中には、はつらつとした自己の生命力を自覚し、国際人としての教養を身につけ、使命感に生きようとする気魄に欠けている学生が多いように見受けられる。


現代の学生は感性的な欲望を追求することはいても知って、学問を以て自己の本質を見極めつつ、生きがいのある使命感に生き通そうとする気概が薄いようである。


人間の幸福を、人間の欲望を追求することに求めた近代文明が、その欲望をコントロールすることができずして、ついにその欲望に支配されている。不幸の根源は、そこにある。しかも現代の教育は、このような病理現象に対しては、あまりにも無力である。


日本の現状を正視してごらんなさい。
「天下は攘攘(じょうじょう)(集まるさま)として皆利の為に往き、天下は熙熙(きき)(喜び勇むさま)として皆利の為来たる」(六韜)

世の中は挙げて、利益・利益・利益。勢利のあるところに蟻の如くに群がっている日本人の姿を見なさい。

「上下交交(こもごも)利を征(と)れば、国危し」(孟子)

上の人も下の人も、正義を忘れて利益だけを追求するようになれば、その国は危うくなると教えています。今から二千三百年も前に死んだ荀子(じゅんし)が、「乱世の徴(しるし)」として、次のような「徴(しるし)」が現われてくれば、その国家は「衰亡」に傾くと警告しています。

「その服は組」-人々の服装がはですぎて、不調和となってくる。

「その容(かたち)は婦(ふ)」-男は女性のまねをしはじめ、その容貌態度は婦人のように、なまめかしく軟弱になってくる。拓大にもそんな亡国の民がおる。ところが国が亡ぶ時には、女までも堕落する。女性は、そのような男か女かわからんようなニヤケタ男を好きになる。そして女はついに「両親を棄てて、その男の所へ走る」と荀子は書いている。

次は「その俗は淫」―その風俗は淫乱となってくる。

「その志は利」―人間の志すところは、すべて自分の利益だけ。まさしく「小人は身を以て利に殉ず」(荘子)です。利のためなら死んでも悔いがないのです。

身を以て天下に殉ずる日本人は、少なくなりました。

その次は「その行(おこない)は雑」―その行為は乱雑で統一を欠いている。喫茶店で音楽を聞きコーヒーを飲みながら、勉強している。一つのことに専念できなくなっている。

「その声楽(せいがく)は険」―音楽が下鄙てみだらとなり、しかも雑音なのか、騒音なのか、笑っているのか、泣いているのか、とにかく変態となる。音楽を聞けば、その民族興亡の状態が分るのです。

荀子の言葉はまだ続くのですが、結局、「亡国に至りて而る後に亡を知り、死に至りて然る後に死を知る」、これが本当の亡国だと警告しています。

現在の日本の国情と比べてごらん。まさしく「驕(おご)り亡びざるものは、未だこれあらざるなり」(左伝)です。漁夫が屈原に「なぜあなたは世の中から遠ざけられたのか」と問われて、屈原は

「世を挙げてみな濁(こご)る、我れ独り清(す)む」

と答えて、ベキラの淵に身を投じて死んでいます。日本の現状も諸君が歌っているように、ベキラの淵に波騒ぐ状態です。しかし私たちは屈原のように、自殺して苦難を避けることはできないのです。





【魂の承継】

 私には父から貰った素晴しい財産がある。父は不自由な手で一幅の書を遺してくれました。
 「富貴も淫するあたわず、貧賤も移すあたわず、威武も屈するあたわず、これこれを大丈夫と謂う。」
 孟子の言葉です。私はこれを父の遺言であると信じています。富貴は我れにおいて浮雲の如しです。

また母の実家の真向いは、陸羯南(くがかつなん)先生の家でした。陸先生は、とくに日本新聞を通じて、一世を指導した大思想家でした。先生は
 
「挙世滔滔(とうとう)、勢い百川の東するが如きに当り、独り毅然(きぜん)として之れに逆(さから)うものは、千百人中すなわち一人のみ。甚しい哉。才の多くして而して気の寡(すくな)きことを」と、信じた道に命をかける人間が少なくなったことを叱咤(しった)しておられます。

 日本は国を挙げて、挙世滔滔として中国へ中国へと流れていった。私は日本を愛し、中国をも愛する。なぜ日本人は中国人を、かくまでも軽侮し殺さなければならないのか。

私は滔滔とした日本の巨大な流れを、阻止するすべを知らなかった。

私は北京大学の学生たちが、排日・侮日・抗日に起ち上る姿に感激した。私はなんらの躊躇することなく、彼らの抗日の波に飛びこみ、「打倒日本帝国主義」を叫んだ。

私の力は大海の水の一滴に過ぎなかった。完全に無力であった。しかし私には無力を知りつつも、そうせずにはおれないものがあった。

 弘前中学の先輩岸谷隆一郎さんは、終戦のときには満洲国熱河省次長(日計官吏の最高職)でした。八月十九日ソ連軍が承徳になだれこんで来た。岸谷さんは日本人居留民を集めて、

「皆さんは帰国して、日本再建のために力を尽くして下さい」と別れを告げ、数人の日系官吏とともに官舎に引き揚げた。岸谷さんはウィスキーを飲みかわしながら、動こうともしない。人々は再三に亘って、「ソ連からの厳命の時間も過ぎた。一緒に引き揚げましょう」と促した。岸谷さんは「そんなに云ってくれるなら・・・」と起ち上って、奥の部屋のふすまを開けた。部屋ではお子さんと奥さんが死に赴く姿で端座していた。

・・・・・
 

さあ、私も諸君から「おれたちの清純な頭に、くだらん講義を詰めこむのは、やめてくれ」、そして「そこを退いてくれ」と云われんうちに、この辺で自ら去るのが賢明のようです。
 
そこで最後にもう一度言う。皆さん、大志を抱いて下さい。諸君は民族の生命を継承するのです。新しい歴史を創るのです。それに起ち向かうだけの気魄をもって下さい。生きがいのある使命感に生き通して下さい。がん張って下さい。
 私は拓大を去っても、私の心は諸君の上から離れることはないでしょう。
 皆さん、さようーなら。
(昭和五十一年一月二十四日)
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家督と家業、そして国家を担うこと

2010-06-05 17:08:29 | Weblog



昨今の権利意識は家督と家業を混在させ血縁親族が相争う様相である。
とくに、「経済生活での競争は人情薄弱な世の中をつくるだろう・・」と、以前に拙章で記した社会の構成と流れがその因だろうが、民主と自由という恣意的な喧伝は人々を、゛易きに流れる゛方向に向かわせている。

つまり家督でいえば、親子や兄弟姉妹の分裂を招き、「個」の発揮というこれまた自由の屏風をたてに個別財の確保、あるいは家財の分散確保に向かうようだ。もちろん財を税務管理する「法」を建前として個別権利、個別相続といったことがしごく当然といった考えで個々の齟齬を発生させ、より分断や分裂を進捗させている。

ここでは成文法の「清規」と掟や習慣にある「陋規」の分別の無理解であろうが、そのことの有ることすら認知しない人々の煩い事でもある。

よく長兄の家督というが、商人の家業においては能力ある実子の中から長兄でも次男、三男でもその任に就かせたが、肉親に相応しいものがいなければ娘に婿養子なり、あるいは夫婦養子なりを縁戚に入れて家業を継がせている。

よく、商人でも資本なり家督を預かる本家といわれるものは家業と家督を明確に分け、家業においては支配人、社長、、あるいは御用商人は官吏の天下りなり、警備に岡っ引き、いまでは警察OBなどを雇用し、家督は血縁によって護持してる。

家督においては祭祀を司り、家業は創業なり伝承された規範の倣いとして商いのバックボーンを護り、互いの相互関係の補完を担っている。












武術、技芸など和芸には「一子相伝」というしきたりがあった。だれでも超えられない、触れられない立場を構成するすることによって術なり芸を伝承してきた。
近頃ではその、゛一子゛が放蕩で財を欲しがるようになると、相伝も名を売り、褒章をねだり、弟子の優劣より多少にこだわる妙な跡取りが増えてきた。

政治家も同様で、口数の多い雄弁家も煩いではあるが、長(おさ)の人情、忠恕の涵養に有る世襲の優れた姿が乏しくなり、都会育ちのひ弱な官製学校の在籍を屏風に立法すらはかどらない稼業政治家が多いが、これも善き家督の相伝を無意味とする部類である。
゛でしゃばり゛゛派手好み゛を選挙サポートの雄弁家、活動家と女房を表に出すのもこの類に多い姿だ。
ここでは善き習慣性が世俗に阿諛迎合した、つまり芯を軟弱にして家督を稼業にした政治家の行く末は昨今の二世政治家にみられる姿でもある。






台湾で殉難した六人の教師 「六士」




ある碩学と謳われた父をもつ家族のことだが、長兄は他界し妻と嫡男が家督を相続している。相続といっても敷地は次男と長女で分割し、碩学の形見は夫々が分け合っている。
だだ、碩学の膨大な著作の権利が問題となった。税務上相続者が保有するという建前だが、一部は関係する団体の運営に、他は兄弟で分け合うことになっていた。

長兄がなくなると何ら碩学の薫陶も受けなかった次男が団体の責任者に就任。学問に相伝は無いと父も再三厳言していたが、名前がブランド化しているため、ついつい次男も呼び出され亡き父の逸話を弄して、ときには相伝されたかのような学識を口耳四寸の言として吹聴し、聴衆も有り難がって傾聴する姿が常態化した。

父母の生前は「あの子だけは心配だ・・」と、官域に入れず民間に就職させたが、その会社の研修会にはその碩学の父を懇請して研修会などを開き、自らの保全と出世の助けにしているような目先の利く人物である。

企業でも創業家の名前はブランド化しているようで、中身の無い軽薄な経営者はブランド頼りに床の間の石の如く利用しているのを散見するが、碩学の次男は名利に目ざとい性格なのか、父の兄であった高僧ゆかりの本山に分骨安置してあった「骨」を分家である次男の墓に移動を謀っている。

父である碩学の学風からすれば、世俗の筋違い、そこは道理に適わない名利を意図した邪な所業である。
望むところは碩学の名跡を、鎮まりを以って護持する本家家督の強奪である。

長兄が亡くなったときは父の所蔵していた遺品や父の著した軸装などを自宅に持ち出している。

商業出版が持ち上げ、ただ名を冠しているだけの形骸のような人物を利用して監修に名を記し、本人も錯覚する人生は父母が「心配だ・・」と漏らしたことが的中した。




                    

            日露出征  松下、山縣、児玉、大山
           
                   横浜 野島 伊藤博文別邸蔵




この類のことは各種技芸や芸能、はたまた政治の分野に蔓延している。これらが走狗に入ると、漂流するかのごとく寄生する、゛すきもの゛にとっては金で買える学識、技芸となり、社会悪の家元、本家の類になってしまう。

これも時代風潮といってしまえばその通りと納得する事柄だが、先に記した善なる習慣性の護持を知らず、また触れることさえ避けてきた世代が不特定多数を担う国家の指導者になったら、その混迷は将来を逆賭(先見)するまでもなく国民の錯誤を一層深いものにしてしまう恐れがある。

それは些細なことだが習慣は面妖と音声と眸に表れる。
時宜に合うので名を記すが、先の鳩山内閣の閣僚新任記者会見のとき、その設定は壇上と講台と背後の国旗があった。
内容はともかく福島議員と管議員は国旗には一瞥もせず演台に向かい、終わるとそのまま下がった。




                 






台湾の民進党の陳総統ですら国民党の創立者であり両岸から国父と仰がれている孫文の掲額に拝礼して誓いを宣誓している。台北の小学校の朝礼も国家と国旗掲揚を生徒が行なっている。
米国も、いや大部分の諸外国のおいてもその姿はある

日本国内での日の丸談義に埋没するつもりは無いが、ふと国家の家督を担う長(おさ)の修治した姿への潜在する敬重の心に満たされないものがあったと同時に、この人物の危惧する闇路が予見できるのである。
もちろん、それらは往々にして面妖はオボロゲで、音声は多弁で軽薄、眸は落ち着きが無い。

宰相は家業ではない。家督の代行者である。
多くの縁者の羨望と嫉妬に晒され、真意を理解されることも乏しく、だからこそ財利の詮索と無理解な説明責任とかいう亡羊な淵に置かれるのだ。

ならば何の代行者なのか。
それは「本(もと)」を前提として初めて習慣性の意味が理解され、過去の善例に倣うことができるとしたら、国民の下支えとしての辛苦を共にして、国家を多面的に俯瞰することができるだろう。

ちなみに市川房江氏は赤尾敏氏と昵懇の仲だった。
表層ではない。本当に気が合った仲だった。市川氏のことを語るとき、あの赤尾氏の好々爺のような顔は印象的だった。

彼等は面妖は善かったし音声は厳かだった。もちろん眸は透きとおり奥は優しい。
そして両氏は夫々の一家言を家督として護持してきた。
くわえて、何よりも日本人としての矜持をもち不特定の庶民がつねに描かれていた。
衆愚を恃むような反対や反抗のみではなく,魂の発する反骨の気概だった。


果たして家業を継ぐのか、家督を護るのか、国家を担うということは舌でいう「話」ではない。吾をいう「語り」でなくてはならない。

安岡氏はある社長が就任挨拶に訪れたときこう告げた。
「辞めるときのことを今から考えて励みなさい」

見事、家督を相続して、果たして悲哀か賛辞か・・・
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連続した短期政権崩壊の根本要因は、「四患」にある

2010-06-04 18:56:50 | Weblog
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まず、四患を除け

この患いが政治、官吏、司法、経済、民心に蔓延すると優れた政策も財政も行き渡らなくなる。いやそれでも不安と不満がとめどもなく湧き出てくる。

 「政を為す術(すべ)は、先ず四患を除く」
 と云う言葉がある。後漢の荀悦(148~209年)という人の教えである。

彼は後漢第十四代献帝(189~220年)の時、進講申上げている。その彼が漢の政治の乱れを正すために書いた「新一」(五巻)という本の中で「政を為す術(要諦)は、先ず四患を除く」と、主張している。政治を行なう要諦は、まず四つの病根を取り除くことから始めなければ、ならないと云うのである。
 








その四つの病根とは「偽、私、放、奢」の四つである。

政治の「政」という字の本義は、天下万民の不正を正すということである。

孔子も
 「政とは正なり。君、正を為せば則ち百姓(ひゃくせい)(人民)故(これ)に従う」(礼、哀公開)と教えている。
 



「偽」と。は、「化ける」と云う意味。偽せものの人という意味。
 政治とは、まず自らを正して、しかる後、世の中を正すのではないのか。とにかく、日本は上から下まで、「偽」が、蔓延している。にせ物が本物を乱しているのだ。



「私」、公を忘れた私、私意、私欲に翻弄された日本人が、日本国中に氾濫している。特に上に立つ人こそは、私心を滅して公に奉ずるのが本当のはず。ところが彼らは、天下、国家の公論を借りて、私情を満足させようとしているではないか。

私心を抱くことなく、誠心誠意、社会のために、そして仕事のために、尽し切るからこそ、その人間がはしめて生かされてくるのではないのか。自分を忘れた日本人の氾濫。自があっての分、分があっての自ではないのか。
  


「放」とは、棄てるということ。子供らを勝手気ままにさせるのは、わが子を棄てることだ。慈母に敗子あり。必らず締りのない、目標のない子に育つ。
 放埓の埓とは、馬場の囲い。かこいを取り除いて馬を放つと、馬は、本能のままに飛び歩く。放埓息子、放蕩息子が必らず育つ。
  


「奢」とは、ぜいたく、おごる。
 俺の金だ。俺がかってに使って何がわるいと、傲然として、ぜいたくした気分になっている。そんなものは、ぜいたくでも何でもない、浪費だ。
 本当のぜいたくとは、金で買えないような悦びを味うことだ。

それを「窮奢」--ぜいたくを窮めると云う。 奢る者は、その心は常に貧しい。
偽私放奢、この四恵有りて存するものなし。生きた歴史は、この警告は真実であることを証明している












四つの病患の第三は「放は、軌(軌道)を越える」である。
  
「放」の原典は、「はなす」ことであるが、「放は、逐なり」(説文)で、追い払う(放逐)とか、「放は棄なり」(小爾雅)で、棄てる(放棄)とか、また勝手気まま、欲しいままにする(放縦)といった意味がある

 「厳家に格虜なく、しかも慈母に敗子あり」(史記、李斯)
 厳格な家風をもった家庭では、気荒い召使いでも、手に負えなくなるようなことはない。ところが慈愛に過ぎた母のもとでは、かえって、やくざな、どうにもならぬ放埓息子ができる。
 
 放埓の「埓」とは、馬場の囲い、柵のことである。この囲いを解かれて放たれた馬は、本能のままに、勝手気ままに飛び回れるが、その馬は馬としての用はなさない。
 放蕩息子とは、そのように軌道をそれて、かって気ままな振舞いはするが、人生に対する方向のない、志のない、全く締りのない悪子のことである。自分で自分を抑えることが、できないのである。
 











 前漢の第九代宣帝(前74~79年)の時、侍御史。その後河南の太守として、河南の民政を委された人に厳延年という人がいた。彼は厳しい母に育てられた人であったにもかかわらず、彼は人民を刑殺すること頗(すこぶ)る多く、冬でも殺された人々の血が数里も流れたという。それで河南の人々は、彼のことを、「屠伯」殺し屋の親玉と呼んでいたと記録されている。

 そのような様子を見ていた彼の母は、「お前のように人を多く殺せば、やがては自分も殺されることになるだろう。私は故郷に帰って、お墓を掃除して、お前が殺されてここに来るのを待つことにしょう」と云って息子を諌め責めたてて、故郷へ帰った。
 果して、彼は、死刑に処され、その屍は街に晒された。(後漢書、酷史、厳延年)

 「厳母、墓を掃く」
 という言葉が残っている。継母に育てられた子においてすら、この始末。まして、骨のない慈母に放縦に育てられた子供たちの将来は、まともではあるまい。

「温室に大木無し。寒門に硬骨有り」
とは、苗剣秋が、私に語ってくれた言葉である。要するに「放は軌を越える」からである。
 いかに日本は豊かではあっても、子供たちが駄目なら、そんな国に明るい未来は望めまい。そのような子供を育てているのは、私たち大人、親たちである。











 本当の亡国とは、国が亡んでしまってから、亡んだことを知ることである。今なら、まだ救う道はある。

 
第一は「偽は、俗を乱す」である。

  「偽」という字は、「人と為」でできている。つまり人為、作為が加わっているということであろう「偽は、詐なり」(説文)とか、「偽は欺なり」(広稚)などと解されている。

 「詐」とは、あざむく、言葉を飾る、落し入れる。
 「欺」とは、あざむくという意味ではあるが、欺の「欠」(かける)という字は、心中にひけ目があることを表わした字である。入を騙しながらも、心中にひけ目がある間は、少しは望みがあろうというものである。入間はその心根を誠にしておりさえすれ、ば、自分を欺き、他人を欺くようなことは有りえないはずである

 「偽は俗を乱す」の俗は、一般には、習俗、風俗といった意味に使われてはいるが、これには、もう少し深い意味がある。
 「俗は、欲なり。入の欲するところなり」(釈名)と解されている。
 「俗」という字は、「人と谷」。「谷」とは「穴から水が自然に沸き出るかち」を表わした文字。この谷の水が欠けると、自然に不足を満そうとする「欲」が生まれてくる。
 
 人間には、そのように生まれながらにして、穴から自然に沸き出て来る水のように、自らの生を全うするために、自らなる生への意欲が、こんこんと沸き出て来ている。それが社会一般の本然的な習俗を作りあげているのである。
要するに生命の自然現象が「俗」である。

 人間の本性は、性善説か性悪説かは、私には分からないが、自然の天理に背き、私意私欲から出た悪意ある作為は、たしかに「偽」であると云ってよかろう。
 そのような私意から生まれた「偽」がこの世に横行するようになれば、偽は真を乱す。偽物が本物を乱すようになるのは、理の当然のことだろう。










 ところが、このような悪意ある「倫」を弄ぶことのできる生物は、人間だけである。まさしく
  「智慧出でて大倫あり」(老子、十八)
 日本の政界の実状は、智識は己れの非を飾る道具であることを、はっきりと示している。貪るからこそ、姦智が生ずるのである。政界が国家百年のために雄大な国策実施に専念することなく、基地だ、手当てだ、献金だと、次々に天下に示している事実は、はっきりと、「偽り」そのものである。

 上の好むところ、下またこれを好む。それはまさしく、政界の「偽」が、民俗を乱している」からである。

 四つの病患の第二は「私」は、法を壊(やぶ)るである。
「私」という字、「禾」は穀物の一番良い「いね」のこと。その収穫されたいねを囲んで、自分一人のものとする。それが「私」という字の原義である。

  「公」とは、そのよい穀物を一人占めしないで「ハ」、つまり、それを公開して公平に分ける。「公は、共なり」、(礼記、礼運)で、みんなの物にする。公平無私だとか、公を以て私を滅する、とか云われている。それが「公」の意味である。

  「私は邪なり」(准南子、注)で、「私」という字には、よこしま、かたよる、いつわる、ひそかに……といった意味が含まれている。
人間には、どうしても、こうした私意、私欲というものが、つきまとう。

  「私意は乱を生じ、姦を長じ、公正を害する所以なり」(管子、明法解)
 と云われている。
 私意、私欲を以て、物事を見たり聞いたり、考えたり、行なったりすれば、どうしても物事の是非善悪の正しい判断をすることはできない。それで、遂には乱を生じ、三人の女性を合して私するような、姦悪不正不義が多くなり、結局は公正を傷つけることになる。

  「公は明を生じ、偏は闇を生ず」(荀子、不易)
 公正であ・ってこそ、始めて明智を生じ、偏頗なればこそ、闇愚を生ずるのは、理の当然のことであろう。
ところが「私」を離れて「公」はありえないし、また「公」を離れて「私」もありえない。
「天に私覆なく、地に私載なく、日月に私照なし。この三者を奉じて以て天下に労す。これを之れ“三無私”と謂う」(礼孔子間居)
 











 天には私心がなく、あらゆる物、を公平に覆うている。地もまた偏頗(へんぱ)に物を載せるようなことはなく、万物を公平に載せている。日月もまた私意によって、かたよった照し方をするようなことはなく、万物を公平無私に照している。天と地と日月は、このように公平無私であればこそ、その生命は永遠に不変なのである。

 大自然そのものの一部である我々人間は、このような天と地と日月のあり方を、そのまま奉戴して、天下のために全力を尽す。公を以て私を滅し、小我を乗り越えて大我の世界に生き続ける人間の在り方。それこそが人間自然の当然の生き方であろう。


四つの病患の第四は「奢は、・制を敗(やぶ)る」である。

 「奢」という字は、古文では「」と書いていた。つまり「大」プラス「多」の会意文字である。大きいうえに更に多くの物を寄せ集める意味だという。
欲張りということだ。
どうするか、救うしかない
 
天下を憂いることは簡単だ。天下を救うことは、むずかしい。しかし救うしかない。



佐藤慎一郎先生 寄稿

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