まほろばの泉

亜細亜人、孫景文の交遊録にある酔譚、清談、独語、粋話など、人の吐息が感じられる無名でかつ有力な残像集です

師弟の淡い交わりと烈行 08/2再

2018-06-02 08:27:59 | Weblog


老人の名は岡本義雄という。

奈良の石屋の大店に生まれたが、両親とは死別、兄弟も無く、遺された財産(店、営業権、工場)とともに親戚に預けられる。

 

       

岡本義男氏     

先ずは子守だった。まだ明け切らぬうちに起きて鞴(ふいご)作業である。石工に使う鉄製道具を手入れする火おこしである。

あるときかまどの傍にお金が落ちていた。子供ながら大金である。岡本は訳もわからず、いや辛苦ゆえの「マ」なのか少し離れた目印になる石の下に隠した。
毎朝、ふいご番をするたびに石の下を覗いていた。何か安心と不安が入り混じったという。或る日、いつものように覗いたら隠してあったお金が無くなっていた。
そのとき、ホットしたという。そしてこれからは自分を欺かないことを誓った。その苦しみは自身を不安にさせ、あるいは悪心に慣れさせてしまう一種の怠惰を感じたという。

預けられた先は岡本の実家の財とともに裕福な生活があった。
学年が上と、下に挟まれるように岡本は生活した。
雨が降れば先に授業を抜け出して傘を取りに帰宅し、親戚の子のために傘をもって学校に戻った。弁当も届けた。帰れば幼子を背に負って子守である。食事は二番席、残り物しかなかった。そして、冷たかった。

 

        

    子守っ子  イメージ


岡本とて強靭ではない。子守の順路は決まっていた。いつも小高い丘に登って生まれた家を眺め、親を懐かしみ、そして声を出さずに泣いた。背ではすやすやと眠る幼子の温もりが親の膝に抱かれたときと同じ暖かさだった。そして朝の釜焚きがやってくると、まだ明けきらぬ暗闇の中、今焚いた火の明かりを頼りに教科書を読んだ。

筆者は岡本の好物であったキンミヤ焼酎の紙パックを傾けながら、息を殺して聴くのが倣いになった。きっと安岡氏もそうだったのだろう。

面前で漢詩を詠みスラスラと筆を運ぶ岡本にも驚愕した。
「なぜ?・・」と下世話にも尋ねた。

岡本らしい答えだった。
「東京に出てきて生活も落ち着いた或る日のこと、みすぼらしい男がウロウロしていた。狭い家だったが招き入れて話を聴いた。すると心地いいんだ。その男は漢籍に詳しく、しかも至誠の塊のように見えた。それで泊まっていたが、自分も離れがたくなった。それから何年もいた。亡くなってから古本屋に行ったらその男の分厚い本が貴重本の棚に並べてあった。そんなことを聞きもしないし、男も話さなかった。だが、その間、その男から教えてもらったお陰で、身についた。自己流だったが、男はいつもそれでいい、それでいい、と焼酎を飲んでいたょ・・
ついぞ、男の名前を聞くことを忘れていた、いや聞く必要も無かった」

以前にも記したが60数回の転居中、白山に住んでいた頃、当時の町会長だった安岡氏の下を尋ねている。
「先生! 先生は偉い人だと聴いているが、いま国は聖戦といいつつ多くの国民が死んでいる。勝つと判れば我慢もしよう。しかし多くの住民が家を焼かれ、死んでゆく。どうにかならないのですか・・・」

 

       

 

 

当時、安岡氏は大東亜省の顧問をしていた。
早朝、迎えの車が待っているところへ岡本の突然の訪問だ。
いかし安岡は「来客中!」と迎車を制して、岡本の話を出掛けに40分あまり費やしている。

後日、岡本の家に安岡の秘書が持参したものは一幅の漢詩だった。
゛春宵、夢を破って空襲を報ず゛から始まる安岡の答えだった。
訳すと
゛殺到する敵機は雲のようだ゛
゛一面を焼き尽くす炎が上がるが、君、歎くことはない゛
゛塵や芥のようなものを掃って、忌まわしい気が、これで絶えるだろう゛

【敵の攻撃は激烈だ、しかし、歎いてばかりではいけない。これを招いてしまった日本にも、その忌まわしいものがあった。それは変質した日本人に向けられるものでもある。この炎はそれを祓うものでもある。そしてその艱難辛苦の後、忌まわしい気は絶えるだろう】

初対面の岡本の至誠に疑いすらなく、反戦、あるいは見ようによっては財閥,軍官吏の堕落や腐敗から生じた欲望のコントロールの欠如が多くの国民を途端の苦しみに陥らせたと、心底考えていた。そのような漢詩である。しかも縁の薄い岡本にその真意を託しているのである。

また、それを汲み取る共通の意志と、敢えて淡くも緊張した両氏の「間(マ)」は人物の交誼と応答の妙を教えてくれる。

 

       

    毎朝のように届けていただいた    紙は広告チラシの裏面

 

     

 


幼少の「ふいご」と「子守」、そして放浪の男を招き入れた寛容は、ことを処するときの烈行の座標となる「義の薫り」とともに、両氏に合まみえ、戯れた若輩の筆者にも懐かしい遺訓として己を走らせているようでもある。

試されている、行き着くところに待っている、そんな明治の人たちだ。

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