昭和43年・斎藤弓弦画伯に描いて頂いた
「曲水の宴」の風炉先屏風(お茶お手前用)
先日、郷土が生んだ日本画家 斎藤弓弦画伯の
講演会がありました。
歴史画 武者絵 風俗画 花鳥画 縁起物 仏画等を描、
美術展にも入選し学校の教科書の押絵にも採用され、
昭和49年、94才で亡くなられたそうです。
かけ軸を数点、見せて頂きましたが、保管状態も良く、
汚れがなく、見事なものでした。
文部省美術展入選の「桃の宴」はテレビのお宝探偵団で
200万と鑑定されたと云うことでした。
我が家でも義父が弓弦画伯の絵を集め、屏風(曲水の宴)や
かけ軸、(高砂、ひな人形)、色紙(長男の誕生祝に兜があります。
当時画伯の娘さんと交流があり描いていただいたものです。
町内にも所蔵している人が、随分いたらしいのですが、
代替わりによる放出が続いていて、美術史上では忘れられた
存在で骨董市場では時々流通しているとのことです。、
又建築様式が変化し飾る床の間も少なくなったのもその
理由だそうですが何時までも大切にしたい、貴重な日本画で
大切にして行きたいと思います。
弓弦は私の大叔父にあたります。
他界したのは昭和49年でしたか・・。
当時、祖父と祖父の兄とが父の引率で、東京から丸森に弓弦おじに逢いに行く前夜、急に亡くなってしまい、死目に会えなかったことを記憶しております。3人兄弟それぞれ違う道(牧師、議員、日本画家)と、それぞれ全く違う道を進んでいましたが、親族にとってはいつも話題になりとても偉大な存在であったことを幼少の時ながら今でも記憶にあります。
そうでしたか・・・
小原きく様と義父が懇意にしていて、
私の長男誕生の時も色紙を何枚も
描いて頂き、今も大切に保存して
あります。
画伯の画集(写真)も購入しましたが、
その中にも数点、今もっているものが
掲載されています。
画集の冒頭に「常磐御前」も我が家に
ありましたが義父が元気な頃、その絵と
何かを骨董屋さんに交換してしまい今は
なく、とても残念に思ってます。
画伯には一度もお目にかかったことは
ありませんがこうして絵を通してお身内の
方からその時の様子などをお聞かせ頂き
うれしく思っております。
遺作をいつまでも、大切にしてまいります。
これからもよろしくお願い致します。
コメント誠にありがとう
ございます。
そうですね・・・弓弦画伯の
絵をみなさん大事に保管して
欲しいですね!
画伯の絵は、我が家の唯一の
宝ものです。
美しい日本画を、残し続ける
のは私達の責務できないかと
思っています。
郷土が生んだ日本画の大家
斎藤弓弦画伯の絵よ永遠なれ!