みなりんの紀行文

写真とともに綴る、旅の思い出を中心としたエッセイ。
主に日本国内を旅して、自分なりに発見したことを書いています。

深谷見学記~誠之堂、清風亭

2014年04月23日 05時36分19秒 | 旅行記

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誠之堂と、清風亭は、東京都瀬田にあった第一銀行の保養・スポーツ施設「清和園」の敷地内に建てられたものを、現在の埼玉県深谷市起会に移築復元したものです。

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当初は、銀行関係者の集会施設として長い期間使用されていたものの、昭和46年、清和園の敷地の大半は。聖マリア学園に売却され、昭和50年には、誠之堂は外国人教師の校宅として、清風亭は集会所として貸し出されました。

しかし、学園の施設拡充計画に伴い、取り壊されるところ、深谷市が移築して、地域の中に生きる文化財として活用しています。

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誠之堂は、1916年初代頭取の渋沢栄一の喜寿(77歳)を記念して第一銀行行員の出資により建築されました。

「誠之堂」の命名は、栄一自身によるもので、儒教の「中庸」の経典の一節、「誠は天の道なり、これを誠にするは人の道なり」にちなんだものです。

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681設計者は、田辺淳吉。当時「清水組」の技師として数多くの建築家を育てる一方で、晩香廬、青淵文庫など、多くの栄一ゆかりの建物に携わりました。

煉瓦は、深谷で造られたもので、色合いがすべて違っていて、壁面に、凹凸の形で組まれ、真横から見ると、斜めに石が出っ張っていて、雨水などが流れやすいように工夫されていて、建物が傷みにくいようになっています。

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・また、中のステンドグラスは、森谷延雄による、漢代の貴人の饗応する歌舞奏者と厨房の人物像。

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690女性のお化粧室の扉にステンドグラスがあって、 鳳凰と龍の文様。

日本で、女性のための本格的な化粧室があったのは、欧米で得た知識と、女性への思いやりだそうです。

 

 

 

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さらに、清風亭は、1926年、当時第一銀行頭取であった佐々木勇之助の古希(70歳)を記念して建てられました。これも第一銀行の行員の出資のものです。大正初期流行のスペイン風用式の鉄筋コンクリート造り。

設計者は、西村好時(よしとき)。清水組。

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アール・ヌーボーの影響か、いたるところに、昆虫などのレリーフが見受けられました。たとえば、蜘蛛、蝉といった具合です。

この電気も、どこかそういう雰囲気です。

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713ふたりの頭取は、行員から親しまれて敬慕されていたのでしょう。

しかし、渋沢栄一は、昔、もう産業革命の終えたイギリスではなく、遅れて急速に発展したフランスへ行って、勉強してきたことが、日本に近代産業の礎を作る上で重要なことだったと書に述べられていました。

渋沢栄一をただすごいと讃えるだけではなく、実際本を読んでみて、日本の近代の企業モデルを実際ひとりで造ってしまったようなので、非常に感心しました。

一度は生まれ故郷の深谷に行ってみようと思い、伺えて良かったと思います。

続く。

 

 

 

 

 



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