日々の寝言~Daily Nonsense~

日々の出来事への感想、雑感、思いつき、ぶつぶつ・・・

会議の目的

2017-02-26 17:42:41 | 雑感
会議を開くのが苦手だ。

こちらのサイト(田中和彦氏の著書からの引用らしい)によると、
会議の目的は以下の5種類に分類される。

1.決める会議
2.伝える会議
3.(情報を)集める会議
4.(アイデアを)広げる会議
5.(モチベーションを)上げる会議

うまく分類されているような、
されていないような・・・

大きくは、決める会議か伝える(伝え合う)会議か、で、
多くの会議では両方が含まれていることが多い。

この二つがごっちゃになりがちなのが
問題かもしれない。

決める会議の場合には、
事前に情報は共有して、ある程度考えて
素案を作っておいて、選ぶ、という形だが、

伝える会議の場合には、
その場で情報を伝える。
(もちろん、資料は作っておくほうがよい)

と思ったら、こんなサイトが。

会議、と、打合せ、と、連絡会は違う、という。
会議の目的は、PDCA を回すことである。
なるほど・・・

プロジェクトが計画どおりに進捗しているのかを
確認して、対策を決める、というのが会議か・・・

そもそも、ある程度の人数が協力しないと
できないことをやっているから、会議が必要なわけだ。

で、PDCA を回すためには、
まず計画がちゃんとあって、
それに対する進捗が報告されて、
遅れ等への対策を決めて共有されて、
フォローアップがなされて、
いないといけない。

ということで、結局のところ、
会議を開くのが苦手というのは、
単に、計画をしっかり作ったり、
事前の報告準備を依頼したりするのが苦手、
ということなのかもしれないなぁ・・・

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わたしの神はどこにいるのか?

2017-02-26 17:38:53 | 生きるヒント
心の弱さ、と関連して、
自分の価値観がはっきりしていない
ということもある。

つまるところ、
好きなもの、でも、良い師、先輩、でも
なんでもよいのだが、
自分にとっての神がいるかどうか。

自分の神がはっきりしている人は、
それをベースに団結できるし、
強いのではないかと思う。

 * * *

神というと、死後の世界での救い、
と結び付けられることが多いが、
「サピエンス全史」でも書かれていたように、
それ以前に、人々を結びつける媒介
という役割も大きい。

今は、科学的価値や経済的価値がその役割を
かなり担っているのだが、
それはなんだか殺伐としているように
思えてならないのだが・・・
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この世界の片隅に

2017-02-26 17:08:12 | 映画・ドラマ・テレビ
「夕凪の街 桜の国」のこうの史代さんの漫画で、
今、劇場アニメが公開されている。

「君の名は。」に隠れているが、
地味にロングランしているようだ。

評判はかなり良いので、
時間があれば見に行きたいなぁ。

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心が弱い

2017-02-26 17:03:02 | 生きるヒント
このところ、マネジメント的な仕事で
大変苦しい思いをしているのは、
いろいろな意味で心が弱いためだ。

傷つくのが怖い → 八方美人
損するのが嫌 → 優柔不断、取捨選択できない

何かを判断しなければいけないとき、
小さな可能性を捨てられない。

それではいけないというのは
わかっているのだが、でもできないのだ。

小さな人間なのだなぁ・・・

で、心を少しでも強くするには??

このページがよくまとまっている。

でも、書いてあることは
だいたい理屈としてはわかっている。

それを実体化するには、
やはり、すぐれた師の下で
修行するしかないのだろうか?

もう遅いなぁ・・・

それ以前に、まず、
強くならないといけないのか?
と疑ってしまうからなぁ。

確かに、今の社会では、
強くないとかなり生きずらいのだが、
でも、それは社会のほうが変、
ということもあるわけで・・・

ひとりひとりが、病んでいることや
弱さも含めて、ありのままで
尊重される社会であって欲しい、
というのは、絵空事なのだろうか?
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すき焼きの食べ方

2017-02-19 18:48:45 | 食べ物
すき焼きはおいしいのだが、
なかなか納得のゆく食べ方がわからない。

割り下で煮るタイプの関東風の場合、理想的には

1)肉を少しあぶり、割り下で煮て食べる
2)野菜、焼豆腐、しらたきなどを煮て食べる
3)肉を割り下で煮て食べる
4)野菜、焼豆腐、・・・

を繰り返すのが良いのではないかと思うのだが、
どうしても、肉と野菜類が混じって
同時に鍋の中に存在するようになる。

料理写真でも、そういうのが多いし。

もう一つの問題は、割り下が煮詰まること。

これについては、今半のホームページを見て、
薄割というのがポイントのような気がした。

割り下はもともと味が濃いので、
煮詰まるとよろしくない。

そこにさらに割り下を投入しても、
どんどん味が濃くなる理屈だ。

そうではなくて、昆布だしの汁や、
それで割り下を割ったもの(薄割)
を足すのだという。

なるほど・・・

今度家ですき焼きするときは
昆布だしも用意しておこう。
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やらない善よりやる偽善

2017-02-18 20:16:58 | 生きるヒント
感動についての検索で見つけたサイトに、
「やらない善よりやる偽善」という
エントリーがあった。

わかりやすい。

ひとつ前のエントリーの
「雑念」=「下心」

人に下心があるのは、あたりまえで、
たとえば、チェリビダッケとミュンヘンフィルの
ブルックナーがどんなに感動的だったとしても、
それは興業でもあり、音楽家にとっては
稼ぐための行為でもある。

純粋に利他な、自己満足を含まない行為
などというものも考えにくい。

純粋な感動、のようなものは
そもそも存在しえないのだろう。

つまり、下心があるからだめ、
というようなこともあまり意味が無い
ということだ。

 * * *

人には、生得的に、
甘いものを求める欲求がある。

これは生きてゆくために
必要なこととして組み込まれている。

人は環境を自分で変えられるので、
この欲求をより多く満たすような
スイーツを開発してしまう。

そこに、辻口さんのような英雄も現れる。

コンビニスイーツのように
誰でも甘いものを食べられるのは幸せだし、
それで産業もできているが、
その結果、糖尿病になる人も増えている。

人は中毒しやすい動物なのか・・・

「恋愛中毒」というのもあったなぁ。

という状況でどうすればいいのか?

欲求を抑制して生きる
欲求に素直に生きると搾取されて、
馬鹿をみるという構造があることを自覚する。

ということ?

でも「我慢する」というのも
なんか自然ではないのだよなぁ・・・

どこかすっきりとしない。

まぁ、人間自体がそんなにすっきりと
していないからしかたないのだが。
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感動中毒

2017-02-18 18:51:38 | 生きるヒント
最近、ふと感じた疑問に、

人はなぜ感動するのが好きなのだろう?

がある。

背景のひとつは、
だいぶ前に見たNHKの「バリバラ」で
取り上げていた「感動ポルノ」。

「感動」が商品化されて、
安いジャンクな感動があふれていて、
ちょっと感動中毒のような状態にあり、
それによって見えなくなっているものが
あるのではないか、ということ。

もうひとつの背景は、これもだいぶ前に読んだ
「反応しない練習」。

「サピエンス全史」にも書かれていたが、
仏教においては、感情を動かすことが
苦悩の源であり、そこから解脱することを
目指すとされている(誤解がありそうだが)。

 * * *

感動することが好きな理由というか仕掛けとしては、
脳科学者風に言えば、感動するとエンドルフィンや
ドーパミンなどの脳内麻薬が出て・・・

みたいな説明になるのだろうが、
なぜ、感動することが快につながるのか?
なぜ、その連関が進化の中で生まれたのか?
人間が生きるためにどう役立っているのか?

 * * *

試みに検索すると、茂木健一郎さんが
こんなことを書いている。

わかったような、わからないような・・・

感動こそが生きる力、変わる力の源泉、
というのはわからなくもないが、
感動こそが悩みの源泉でもある。

感情が動くことと、感動は違うのか?

センセーショナルな安易な感動、
安い感動と本当の深い感動、
みたいなものはあるのか?

なかなか疑問は尽きないので、
しばらく継続的に考えてみたい。

 * * *

追記:

仁志田博司さんという方が
人間はなぜ感動するのか、について書いていて、
人間が群れとして生き残るための共感する心、
と関連させているところは、少し説得力が感じられた。

感動する能力は、人間を生き残らせた、
共感する能力がもとになっている。

しかし、人間はそういう本能的な能力を
より大きな(過剰な)快楽を得るなどの
別の目的のために活用する力が大きい動物であもある。

たとえば、

身体を動かすエネルギーを得るための糖質代謝回路や
甘いものがもたらす快楽をとことん追求して、
さまざまなスイーツを開発してしまう。

セックスもそうだ。
本来は子孫を残すための能力を、
より大きな快感や共感、社会的絆を
生み出すために活用して、いろいろな
商品を開発してしまう。

すべてを商品化する市場主義が絡むことで、
事態がさらに加速されている。

その結果として、我々は、
糖尿病になるのと同じように、
感動中毒のような状態になっている。

結局のところ、過ぎたるは及ばざるが如し、
ということなのだが、これもまた
人の本能のようなところがあるのがややこしい。

仏教との関係はもう少し掘り下げることが
ありそうだ。

 * * *

追記2:
こちらのブログはさらに深い。

確かに、善と偽善の線引きが難しいように、
自然な感動と、作りこまれた感動の線引きも難しい。

現象としては同じことが、
善だったり偽善だったりする。

強いて言えば、そこになにか雑念的な要素が
入っているかどうか、なのだろうか?

たとえば「自己満足、自己慰撫したい心」とか、
「感動を売って儲けたい心」とか。

「雑念」という言葉を使うと、
仏教との接点も少し見えてくるのかもしれない。



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音楽のような人生

2017-02-18 18:42:11 | 生きるヒント
久しぶりに、チェリビダッケについて検索して遊んでいたら、
渡邊順生さんという方が、チェリビダッケに指揮を習ったという
ヴィオラ奏者の方をインタビューした記録があった。

その中で、

チェリビダッケは言いました。
「モーツァルトには調和している部分とそうでない部分がある。
それがハーモニーなのだよ」と。

そして、これが人生なのだ、とも言いました。

いい時もあれば悪い時もある。しかし、人生には、
真に悪いことは何もない、全てはいいことである、と。

というくだりがあり、ちょっと心に響いた。

 * * *

人生と音楽とは、瞬間、瞬間に生み出されるものの
積み重ねであるという点では似ている。

だから、良い音楽(というか、チェリビダッケ風に言えば、
「悪い音楽」とう概念はなく、「音楽」であるものは
既に良いに決まっているのだが)において、
全ての音、響きに意味があるように、
人生のすべての瞬間に意味があるように生きられたら、
人生の最後にあたり、自分の人生に真に悪いことは何もない、
と感じられたら、素晴らしことだと思う。

省みて、悔やむことばかりが多い人生だが、
少しでも、音楽のような境地に近づければ、と思った。



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骨ホルモンの力

2017-02-16 23:21:51 | 健康
録画してあった「ためしてガッテン」
を視ている。

テーマは「骨ホルモンの力」

骨は一見、ただの物体のようだが、
たくさんの骨細胞のネットワークで、
体にかかった力をセンシングして、
成長したり、破壊されたり、
ホルモンを分泌したりしているという。

確かに、骨はそこにかかる力によって
変化するので、センサがどこかにあるはすだが、
骨自体がセンサだったとは。

脳のようだ・・・

 * * *

骨を刺激するための運動として、
かかと落としが紹介されていた。

かかとをあげてつまさき立ちになり
かかとを落とすだけ。

1日30回以上で、骨ホルモン(オステオカルシン)
が増えて、血糖値改善効果などもあるという。

主にふくらはぎを鍛えるために
カーフレイズはよくやっていたが、
かかとを落とすのも重要とは思わなかった。

体にいろいろな刺激を与えることは
いろいろな意味で重要だ。

日常体操に取り入れてみたい。

しかし、最近は、ストレスで
体操もなかなかできていないのだよなぁ・・・
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真理は神なり

2017-02-14 21:53:17 | 生きるヒント
「100分で名著」の「ガンジー」
の録画を視ている。

人間は不完全な生き物であり、
人間がつかみとったどの宗教も
また不完全である。

しかし、その背後には真理があり、
真理こそが神である。

対立している考え方も、同じ真理を背景として、
私たちに違って見えているだけなのではないか。

 * * *

すべてに仏性は宿る。

我々はすべて仏の子供であるが、
同時に、不完全な存在である。

そう思っていても、
すぐに忘れてしまう。

いつも思い出さなくてはいけない。
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小さな幸せを数えて

2017-02-12 09:14:12 | 生きるヒント
世界にはたくさんの小さな幸せがあります。

生きている幸せ、手足が自由に動く幸せ、
目が見える、耳が聞こえる幸せ。

それ以外にも、あなたならではの
小さな幸せはたくさんあります。

あなたの暮らしの中に
宝石のように輝いて。

抱きしめておくりたい
柴田久美子 愛のことば より

 * * *

以前にいただいた日めくり式の冊子を
壁にかけている。

村上春樹さんの「小確幸」もそうだし、
ハラリさんの本の幸福論にも同様のことは
書かれていた。

世界中の人がみんな
小さな幸せで満たされていれば、
世界はもっと平和な場所に
なると思うのだが・・・

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サピエンス全史(3)

2017-02-11 15:29:54 | 
やっと一通り読み終わった。

かなり飛ばし読みしたので、
いつかもう一度読みたいが、
その時間があるかどうか。

近代の成り立ち以降のところは、
今の社会の基盤を形作っている「妄想」「信仰」が
どのようなものか、を突き付けられて、
かなり鬱勃とした気分になるが、面白かった。

その後の、人類の幸福、と、人類の未来、
についての章は、ちょっとおまけという感じ。

特に、人類が超人になるという後者は
私が生きている間にはあまり関
係がなさそうな気もする。

もちろん、医療や介護の資源分配の問題は、
既に起こっているが・・・

 * * *

この本によると、人類は2度、
大規模な殺戮をしている。

1度目は、アフリカから世界に散らばったときで、
多くの動物種を絶滅に追い込んだ。

2度目は、ヨーロッパから世界に散らばったときで、
多くのローカルな文化を絶滅に追い込んだ。

そして今は、グローバル資本主義、自由主義、個人主義と、
科学主義が全世界の基本的宗教として信仰されている。

個人の創意による科学技術のイノベーションによって
世界は進歩するものであり、資本が増殖し、
経済が成長することが是である、という妄想。

人為による進歩や変化をそれほど望まない私は、
そういう価値観に十分に適応できていない、
昔の人、なのかもしれない。

 * * *

人類史的に見ても特異な宗教であるとういう
仏教についての記述も、面白かった。

―――
人間は、あれやこれやのはかない感情を経験したときではなく、
自分の感情はすべて束の間のものであることを理解し、
そうした感情を渇愛することをやめたときに初めて、
苦しみから解放される。

それが仏教で瞑想の修練を積む目的だ。

瞑想するときには、自分の心身を念入りに観察し、
自分の感情がすべて絶え間なく湧き起っては消えてゆく
のを目の当たりにし、そうした感情を追い求めるのが
いかに無意味かを悟るものとされている。
―――

お金や地位などの客観的条件はもとより、
快や不快につながる主観的な幸福感とも無縁になったところにこそ、
真の幸せと安らぎがある、というのが仏教の教え
ということになる。

理屈ではわかるのだが、刹那的快楽主義者としては、
それでも生きている意味があるのだろうか・・・というのが疑問。

でも、きっと、そうした雑音を絶った境地には
大いなる悦びがあるのだろうなぁ・・・

他にもいろいろ面白いことが書かれていて、
ベストセラーになっているだけのことはある。

相対主義や唯幻論も含めて、
書かれていることには違和感はあまり無い。

自分でこういう本が書けたらよかったのに・・・
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今年のチョコレート

2017-02-10 20:46:16 | 食べ物
今年もあっとう間にチョコレートの季節になった。

一つ目は
Marc Ducobu
ベルギーのブランドだが、作っているのは日本?

グローバル社会だなぁ。

もう一つは
SHAPON
こちらは国内に上陸したばかりのようだ。
マーブルなチョコが綺麗。

最後は定番の
Charbonnel et Walker
イギリスのおみやげ。
ピンクシャンパンが好き。

追記:
Pascal Caffet
フランスの最高峰ショコラティエ、だそうな。

Arcachon
練馬区にあるスイーツ専門店。
凝ったデザインのチョコレートでした。

ありがとうございます!




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