日々の寝言~Daily Nonsense~

日々の出来事への感想、雑感、思いつき、ぶつぶつ・・・

プーチンのロシア

2009-03-24 00:09:31 | 雑感
NHKスペシャル
「プーチンのロシア」

強いロシアの復活・・・

なんだか怖い話だった。

カーターさんのときのように、
オバマさんが平和主義を打ち出す間に、
中国やロシアが軍備増強をしてしまいそうだ。

やれやれ・・・

インターネットの力をもってしても、
世界はなかなか変わらないようだ。

人類はいつまでたっても
新しいステージに進むことは無いのだろうか?
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ハルキ・ムラカミと言葉の音楽

2009-03-22 21:34:11 | 
村上春樹作品の翻訳者でもある
ジェイ・ルービンの村上春樹論。

それこそ星の数ほどある
村上春樹論の中でも、
最も優れたものの一つだろう。

個々の作品の成り立ち、
執筆過程などについても
詳しく書かれている。

村上さんは外国のほうが
素直になれるようで、
プライベートなことなども結構書かれているし、
米国の大学での自作解説なども優良な資料として
使われている。

日本の大学では
なんでやらないのだろう?

最も評価が高いのは
「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」

「ねじまき鳥クロニクル」「海辺のカフカ」は
やや評価が低いようだ。

長編を書くときでも、
最初に計画を立てたりせずに、
自分の奥から物語を汲み出す、
という村上さんの流儀は、
巫女さんのようだ。

文学の神に仕える巫女さん。
男だから神主か。

浦沢直樹さんも、
漫画の神にお願いする、
というようなことを言っていた。

そうやって自分の奥から
物語を汲み出して、
それが人に語れるような価値のあるものになる、
というのはすごいことだ。

ストイックな生活は、
自分の精神の奥底を
豊かなものにしておくための、
禊のようなものなのかもしれない。
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努力する才能

2009-03-21 19:46:20 | 生きるヒント
パラリンピックのメダリストを
取材した番組を見た。

記憶障害、両足切断、
多発性硬化症という難病。

そうした重い障害を、
周囲の協力で克服してゆく姿は
シンプルに感動的だ。

インタビュアーも言うように、
高い目標をもって努力する姿の気高さは
オリンピックもパラリンピックも変わらない。

それにしても、こういう姿を見ていると、
「努力する才能」というものを感じざるを得ない。

それは、数ある才能の中でも、
最も重要なもののひとつだろう。

こういう言い方は、
あまり努力していない自分への言い訳になってしまうのだが、
やはり人によって多寡があるのは事実だと思う。

だから、身の回りに「努力する才能」
に恵まれた友人がいたら、
大切にするほうがよい。

多かれ少なかれ、
振り回されるかもしれないが・・・

もうひとつ感じたのは、
「目標を持つこと」は、
絶望的な状況の中でこそ重要だ、
ということ。

逆に言えば、うまくいっているときには、
目標を持つ必要すらないのかもしれない、
ということだ。

目標というのは、他を捨てて
そこに集中するということだ。

過度に集中するのは、
非常手段であり、
自然な生き方とは言い難い。

実際、一生涯にわたって
それを継続できる人は少ないだろう。

しかし、苦しい状況ではそれが有効であり、
だからこそ人間にはそういう能力が
プログラムされているのだと思う。

番組を通じて一番印象に残ったのは、
記憶障害になった夫を支えた
気丈そうな奥さんの笑顔。

なにか、忘れてはいけないものを見た、
という感じがした。
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資本と市場

2009-03-20 22:11:52 | 生きるヒント
池田信夫さんが「アゴラ」で
資本と市場について書いている。

資本は差異を独占して
大きな鞘を抜こうとする。

自由市場は競争を通じて差異を平準化し、
均衡に収束させようとする。

つまり、資本と市場は、
ちょうど反対の働きをする。

その結果、資本は差異の平準化から逃れるために
イノベーションを強いられることになる。

> 等価交換を原理とする市場と
> 不等価交換を原理とする資本主義の矛盾です。
> 資本家は必ず競争によって等価交換に引き戻されるので、
> つねに非市場的な「外部」を作り出し、
> 搾取しなければ生き延びることができない。

> 市場が同化のメカニズムだとすれば、
> 資本主義は差異化のメカニズムであり、
> 経済のエンジンは後者です。

なるほど、この見方は面白い。
ちょっとわかりやす過ぎる感じはするが・・・

本来、差異を同化する安定化の仕掛け
であるはずの自由市場が、
イノベーションも何も生まない投機によって、
むしろ不安定化の仕掛けになってしっている
という点については、どうなのだろうか?
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院政

2009-03-20 20:42:38 | 雑感
なにかの事情で、
権力者が表に立てなくなると、
自分の権力を分割禅譲して、
院政を敷こうとするのは世の常だ。

そうなってしまうと、
裏で糸を引いている人には
何の責任も無くなってしまうので、
組織としては最悪なのも、
これまた歴史の教えるところだ。



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打ち方の欠陥

2009-03-20 19:22:08 | テニス
ドライブボレーがどうして
うまく打てないのか考えてみた。

・打点は体の前(打点が見える位置)が望ましい
・軸足(パワーの起点足)を壁にして、
 その少し前で打つときに一番力がボールに伝えやすい。

この二つから自然に導かれることは、

たとえばフォアハンドの場合、

1)右足を軸足にする場合には、
右足を体の後ろに引いてはいけない。

後ろに引いた右足軸で打つと、
打点が後ろになって見えなくなってしまう。

無理に前で打とうとすれば、
軸足から離れ過ぎて力が入らない。

軸足になる右足を
体の前に出すくらいにすれば、
自然に体の前に打点がくる。

2)左足を軸足にする場合には、
左足をボールの近くまで寄せる。
踏み込んだ左足より前で打つ。

この場合、踏み込む左足で調節できるので、
右足の位置はそれほど重要ではないのだが、
踏み込むためのマージンを取るために
あまりボールに近づき過ぎないことが大切。

 * * *

当然、左足を踏み込んで軸足にするほうが、
時間的な余裕が必要になる。

サービスリターンなどの場合には、
左足を踏み込む余裕は無いのが普通で、
右足でブロックするようにするしかない。

ドライブボレーを打つ場合には、
打点が高いので、普通よりさらに
前で打たないといけない。

従って、
左足を踏み込んで打つ場合には、
踏み込んだところからさらに前に出て打つ
ことになる。

右足を軸にして打つ場合には、
右足を体の前に出すくらいでないと
軸足から打点が離れてしまう。

クローズドで右足を軸にして打とうとすると、
完全に見えないところで打たなくてはならず、
うまく打てるわけがない。

つまり、右足を前に出して軸にするか、
左足を踏み込んで軸にして、
そこからさらに前に出てゆくか、
どちらかしかないのだと思う。

 * * *

当然、右足を軸にする場合には、
左足を軸にする場合よりも、
より強いひねりが必要になる。

なぜなら、右足が前に出た状態で
打たないといけないので、
ひねり込みが無いとそもそも打てない。

余裕を作ろうとして
軸足を後ろに引いてしまうと、
そこから踏み込んでしか打てなくなるので、
逆に余裕が無くなる。

しっかり踏み込んで打てない場合には、
結果的に打点が後ろになり、
見えないところで打つことになるので
ミスが増えるし、打球も安定しない。

 * * *

まとめると、時間を作ろうとするために、
つい右足を体より後ろに引いてしまうこと。
これが、これまでの打ち方の致命的な欠陥だと思う。

差し込まれて下がる場合はしかたないが、
右足は体の真下より後ろには
もっていってはだめだと思う。

左右どちらを軸にする場合でも、
軸足を体の下から前に置き、
その軸足の少し前で打つことが大切。

しかし、5年くらいやって
やっとこれに気づくというのもなぁ・・・
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日本のITの悪循環

2009-03-20 00:27:36 | PCやIT
SEやプログラマなど、
日本のIT技術者の生活水準が
かなり低いということをよく聞く。

一部の花形を除けば、
残業や納期のストレスばかり多く、
給料は少ない、3K仕事だという。

ITコンサルが仕事を請け負って、
そこから下請け、孫請けで
仕事が流れる構造が理由のひとつだが、
本当の問題は、そうやって作られる
日本のITシステム、ソリューションが、
社会的な価値をあまり生んでいない
というところにあると思う。

特に、官公庁、自治体関連のITシステムの
不出来ぶりを見れば、
いかに末端技術者が無駄な、
シジュフォスのような労働を強いられているか
一目瞭然だ。

それはつまり、最上流である
ITコンサルの平均的な能力が低い、
ということだと思う。

社会全体での成功事例が少ない→
成功体験のあるITコンサル、設計者が少ない→
既存の事例以上のことができない→
同じようなレベルの低いシステムつくりが繰り返される→
末端の技術者は全く報われない→
最初にもどる

という悪循環がありそうだ。

だから、プログラマやSEなどの技術者が
報われる社会になるには、
優秀な上流設計者が必要なのだ。

技術者を生かすか殺すかは、
それを使う経営者、設計者次第なのだから。

しかし、それを教育、養成する機関が
日本には全くといっていいほど存在しない。

多くのITコンサルは、
既存のコンサルティングファームで
経験を積むだけなので、
既存の事例以上のことが
できるようにはならない。

アメリカで成功経験を積んだ人が
日本に戻ってくればよいのだろうが、
中国とは違って、そういうふうには
なっていないようだ。

そもそも、アメリカで成功した人の数も
とても少ない。

戻ってきて会社を興そうとしても、
既存のITer を保護する政策が
いろいろな形で取られていて、
暗黙の参入障壁が高い。

外資系にとっても、
言語の壁などがあって、
グローバルなシステムを
そのまま使えない部分が大きいので
参入へのインセンティブが小さい。

明治維新の時のように、
優秀な人をどんどん海外に送って、
ITによる生産性向上とはどういうことかを
しっかりと勉強してきてもらって、
ITにかかわる人たちの努力が
報われるような、新しい会社を作り、
価値を生むシステム設計をしてもらわない限り、
今の状況は変わらないのだろうと思う。

やれやれ・・・
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学びの機会が失われていく社会

2009-03-20 00:16:38 | 生きるヒント
子供のことを話ていて、
「今の子供はかわいそうだ」という、
よくある話になった。

世の中全体の多忙化、
危険化、住宅高層化、など
いろいろな理由で、
学校や塾以外での「学び」の機会が
大幅に失われていると思う。

結局、知識はある程度得られても、
それ以外の、より良く生きてゆくために必要な
智恵のようなものを学ぶ機会がほとんど無い。

最近の学生は無気力だ、
などとよく言われるが、
もしそれが本当であれば、
そういうふうにしてしまったのは
大人の責任だろう。

学びの機会以外にも、
日本社会の老化現象なども
強く関係するとは思うが。

子供時代には、
そうやって学びの機会を得られず、
社会人になっても、
パートや派遣では
仕事のスキルを学ぶ機会が得られない。

そういう「学びの機会を与える」というのは、
短期的にはコスト=負担になることなので、
社会全体でそれを負担する覚悟をして、
半ば強制するくらいにして整備しないと
どんどん失われる方向に流れるのだろう。

それでも、優秀な人間は、
世界のどこに行っても暮らしてゆけるだろうが、
普通の人間は社会全体が沈下すれば、
一緒にずぶずぶと沈んでゆくしかない。

明治維新くらいの社会変革が起こらない限り、
先行きは全く暗いと言わざるを得ない。

社会の中の「溜め」が
どんどん少なくなっていると思う。

それでも、うわべに見えている部分は
あまり変化していない、というのも
かえって不気味だ。

特定の世代、年代など、
どこか、見えない部分に
大きなしわ寄せが行っている
ということなのだと思う。
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52日間連続フルマラソン

2009-03-19 21:29:18 | 雑感
65歳で52日間
連続フルマラソンに挑戦。

修行ですね。

三浦雄一郎さん並に、
ただただすごいです・・・
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テレビ局が製作する映画

2009-03-18 22:59:59 | 映画・ドラマ・テレビ
「おくりびと」を見ていて、
最初にTBSのロゴが出たのに驚いた。

てっきり松竹製作と思っていたら、
どうも松竹がメインの製作ではないらしい。
松竹は配給元に過ぎないということか。

数年前くらいから、こういう
テレビ局が製作する映画が
増えてきたように思う。

目だってきたのは、フジテレビの
「踊る大捜査線」あたりからだろうか?

もちろん、それ以前にもあったのだろうだが、
いかにもテレビっぽいというか、
安っぽいつくりのものが多かったように思う。

しかし、今や、
旧来の映画製作会社との地位は
逆転しつつあるのかもしれない。

TBSで言えば「おくりびと」だけでなく
「チーム・バチスタの栄光」
「ジェネラル・ルージュの凱旋」
などを製作しているようだ。

TBSの映画製作を率いているのは
間瀬泰宏さんというプロデューサーらしい。

「ヤッターマン」は日本テレビ。

そういえば、NHKの
「ハゲタカ」も映画化されるようだ。

日本の映画製作現場も、
かなり変わってきているのかもしれない。
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資本と市場の発明

2009-03-18 22:45:41 | 生きるヒント
銀行にお金を預けると、
置いておくだけで何故利子がつくのか、
長い間不思議だった。

それはつまり、
誰かが発明した仕組みということだ。

貨幣を発明し、
さらにそれを自己増殖させる仕組みを
思いついた時点で、資本が生まれた。

剰余生産物を換金するために市場が発達した。

そうして資本主義経済が生まれた。

このとき、人類は
はずみ車の檻に閉じ込められたのだと思う。

資本主義経済は生産性を向上させ、
より多くの欲望を充足してきた。

しかし、生産性の高い、効率化された社会とは、
才能ある人間にとっては素晴らしいが、
多くの「普通」の人間を疎外する社会でもある。

豊かな生活を享受できる人の数は
全世界では増えているのだろうが、
(もちろん、日本では減っている)
世界全体がそうなる日はおそらく来ない。

マルクスは労働価値説をはじめとして、
いろいろな点で間違っていたが、
資本、そして、商品の背後にあるものと
その将来の可能性を見抜く目は、
確かだったのではないかと思う。
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おくりびと

2009-03-17 22:55:04 | 映画・ドラマ・テレビ
やっと「おくりびと」を観た。

平日の夜ということで、
さすがに空いていた。

期待を裏切らない、
良く出来た映画だった。

本木さんの演技力が素晴らしい。
映画全体の演劇空間を完全に支えていた。

そこに、山崎さん、余さん、吉行さんらの
脇を固めるメンバーがしっかりと絡む。

テンポ良く展開する脚本。
手堅く感動的な音楽。

テーマの意表さと、
作りの職人的な手堅さが
高い評価の理由ではないかと思う。

 * * *

死は偏在している、
ということを改めて思った。

そして、死には、
安易な意味づけや総括を拒む
何か絶対的なものがあると思う。

後に残された人ができるのは、
丁寧に「おくること」「悼むこと」
だけなのだ。

その一方で「死は穢れ」
という考え方もあるわけだが、
これだけ偏在している重要なものを
「穢れ」という形で過度に隠蔽してしまうのは、
やはり不自然なのではないだろうか?

もちろん、過度に露出する必要もないが、
今の世の中は、隠蔽が強すぎるような気がする。

不必要に荘厳化・厳粛化するのも、
隠蔽と同じことの裏返しだ。

あえてステレオタイプに荘厳化しなくても、
きちんとまじめに向き合いさえすれば、
人の死とは十分に荘厳なものであるはずだし、
それがあたりまえであって欲しい。

そうした「死」があるからこそ、
「生」が引立つ。

「死ぬつもりがないなら、
食わなくちゃならない。」

「どうせ食うなら、
うまいほうがいい。」

コメント

小心者

2009-03-17 22:53:31 | 雑感
まじめにコツコツ小金を稼ぐことはできても、
大きなことをする度胸と才覚が無い。

まあ親戚を見回しても似たようなもので、
そういう性格というか家系なのだが、
ちょっと寂しい。
コメント

ドライブ・ボレー(再)

2009-03-16 23:44:43 | テニス
久しぶりのテニススクール。

いつものドライブ・ボレーが、
いつものように打てない。

やれやれ・・・

体の前で打てずに
横で打っている。

打点が見えていないから
ミスが多い。

前で打とうとすると、
力が入らない。

軸足が後ろにあるのが
問題なのだと思う。

フォアハンドの場合、
右足を軸にして打つか、
左足を軸にして打つかは
どちらもありえる。

しかし、どちらにしても、
軸になる足が前に出ていて、
そこからさらに前に出てゆかないと、
体の前で打つことはできないと思われる。

右足を軸にする場合、
オープン、あるいはセミオープンで、
最後は左足を前に出して打ち終わる。

クローズドで左足を軸にする場合には、
体重を左足に移した後
そこからさらに前に飛ぶような感じで
打つことになるのだと思う。
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本気で望む

2009-03-16 23:40:17 | 生きるヒント
本気で何かを取りにゆく、
勝ちに行く。

それを達成する歓び。
失敗したときの悔しさ、
悲しさ、切なさ、遣る瀬無さ。

若いときにはできるだけ経験するべきだ。

失敗を怖れていては何も得られない。

これまでは、本気で望まなくても
全体が成長していたので、
牡丹餅が落ちてくることがよくあった。

これからは、本気で望まないと
報われにくい時代になるだろう。

すべて本気では疲れるが、
何かひとつは譲れないものが無いと、
生活が崩れやすいと思う。

自分は本気でチャレンジはしない。
本気の人のサポートに回る。

というのもひとつの生き方だが・・・
最初からずっとそれでよいのかは疑問だ。
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