日々の寝言~Daily Nonsense~

日々の出来事への感想、雑感、思いつき、ぶつぶつ・・・

評伝ドストエフスキー

2007-09-30 19:22:37 | 
久しぶりに図書館に行った。

機会があれば読みたいと思って、
PCのメモ帳に本のリストを作ってあるのだが、
図書館に行って大量の本を目の前にすると、思い出せない。

衝動的に、ドストエフスキーの評伝を借りたのだが、
これが、754ページもある。

さっそく読み始めるも、
数ページで眠くなる。

カラマーゾフの兄弟より大変そうだ・・・
コメント

富の分配とリスクの分配

2007-09-29 12:15:01 | 生きるヒント
朝日新聞朝刊の論壇で、
政治学者の杉田敦さんという人が、
社会的連帯の再興について書いている。

共同体の崩壊、格差拡大、自己責任論、
という流れは不可避なのか?
それで大丈夫なのか?
という問題についての現状分析だ。

その中で、リスクの分配、という論点があげられていて、
久しぶりに大切な論点を思い出させられたような気がした。

確かに、共同体は、富の生産・分配と同時に、
リスクの分配(ヘッジ)という機能も持っていたわけだ。

端的に言えば、人間には一定の割合で
障害者が出るわけだし、ある時点での
社会に適合している人と不適合な人との
割合もだいたい決まっているだろう。

そういうリスクを個人で引き受けるのは無理がある。

富の生産・分配のほうが、会社組織の高度化などで、
ますます個人化する方向に向かっていて、
その結果として、自己責任論などが出ているわけだが、
その一方で、リスクヘッジという共同体の役割が、
どんどん失われてしまっているのが、
大きな問題なのではないか、と思った。

資本のリスクに関しては、それを補完しているのが、
ヘッジファンド、なのかも・・・

よく言われるように、共同体は、
喜びも悲しみも分かち合うものだ。

誰しも、悲しみの部分は見たくないものだが、
喜びの部分だけ見ているのは片手落ち、
ということだろう。
コメント

物価上昇

2007-09-28 09:06:09 | 雑感
NHKのニュースで、
肉・玉子類の値上げの話をしていた。
ガソリンも、最高値を更新するらしい。

それでなくても手取りが減っているのに、
困ったものだ。

元をただせば、原油価格の高騰だ。
さらにその元をただせば、
中国やインドの発展だ。

もちろん、発展するな、とは言えないが、
ずっと昔から懸念されていた、
「発展途上国がみんな先進国並になったら、
資源はもたない」ということが、
いよいよ現実になってきた、ということなのだろう。

資源も国土も少ない日本はどうなるのか?
どうすればいいのか?

ちょっと考えただけでは、
あらゆる分野で、とことんこだわった
高級品戦略を取る、くらいしか思いつかない。

お金持ちが増えるのだから、
彼らを相手に商売すればよいのだろう。

しかし、ということは、逆に、
とことんこだわれる少数の人以外にとっては、
なかなか厳しい世界になる、ということか・・・

やれやれ・・・
コメント

構造改革とか民営化とか

2007-09-27 23:56:51 | 雑感
福田首相になっても構造改革路線は継承するが、
改革の影の部分にはきめ細かく対処する、らしい。

ところで、構造改革って、結局なんだったんだっけ?
というと、一言で言えば「民営化」だったわけだ。

政府のサービスの一部を民間に任せる。
そうすることで、競争の無い非効率な状態から脱して、
生産性が上がり、サービスも向上する!

素晴らしい!

消費者サイドから言えば、
給料の中から、税金が引かれて、
生活費が出てゆくわけだが、
その比率が変わる、ということだ。

しかし、実際には、最終的に民営化組織をデザインするときには、
サービス向上とかよりは、既得権維持の方向に行きがちで、
民営化はしたものの、中途半端に終わっているケースが
多いような気がする。

そういう組織はいずれ市場から退場させられる、と言うのだが、
独占分野だったり、郵貯銀行のようにとにかく規模が大きくて、
自分の尻尾を食べているだけでもかなり生き延びられたりして、
なかなかすぐには淘汰が効かないことも多そうだ。

だいたい、組織を作るときに、
そうそうすぐには倒れないように作るし。

税金と生活費の比率にしても、
構造改革で税金は特に減っていないし、
社会保障費は増えているので、
手取りはどんどん減っている。

やれやれ・・・
なんだかなぁ。

もともとが、債務超過の政府の債務対策なので、
うれしい話ではないのだから、しかたないのか。

要するに、程度の差はあれ、
日本全体が夕張市のような状態ということなのだ。
それをなんとかしよう、というのが
「構造改革」の真の姿なのだろう。

だから、民営化してサービス向上、なんて、
まったくお馬鹿な期待だ。
生産性向上も、その名のもとに、
労働者搾取がまたひどくなっているだけだし・・・

後になって振り返ると、
これまでの30年か40年くらいが変だった、
ということになるのかもしれない。
コメント

どんど晴れ

2007-09-27 22:26:30 | 映画・ドラマ・テレビ
目の敵にしてきた「どんど晴れ」もやっと終わる^^;

細腕繁盛記の次は、ハゲタカをパクッているのだが、
あいかわらず、リアリティが全く無い内容で、
きっちり演技している俳優がかわいそう、
なのに、先週の視聴率は 21%台とか。

うーむ・・・・
日本人は結局、水戸黄門が好きなのだなぁ。

比嘉愛未さんはどんどん可愛くなってきているので、
もしかしたら結構いい女優さんになるかもしれない。
コメント

深浦新王位おめでとう!

2007-09-26 23:06:51 | 将棋・ゲーム
将棋の王位戦第七局は、
深浦康市八段が羽生王位を破り、
悲願の初タイトル獲得となった。

振り駒で深浦先手となり、
後手番の羽生王位はゴキゲン中飛車を連採。
(羽生さんをしても、相居飛車での後手番は
勝ちにくいということか?)

深浦は居飛車穴熊で対抗、
難解な大熱戦となり、形勢判断も揺れたが、
最終盤、どうやら羽生勝ちになった、と見えたところ、
深浦八段が詰めろ逃れの詰めろの勝負手をひねり出した。

それに対して、羽生王位が、
どうも自玉の詰みを見落としたようで、
深浦玉に詰めろをかけてしまい、
即詰みに討ち取られて頓死。
劇的な決着となった。
(19手詰めは頓死とは言わないか・・・)

深浦さんは、ここに来るまで、
何度もこの一番というところで苦渋を舐めたのだが、
それにめげずに精進し続けた賜物なので、
心からおめでとうと言いたい。

将棋の神様もついに微笑んでくれたようだ。
まさに、「勝つまで負ける」、
という闘魂を見せてもらった思いがする。

中盤、囲いが未完成の状態から果敢に仕掛け、千日手を打開し、
終盤、羽生王位の超怪しげな1三金打ちにも惑わされず、
猛ラッシュに押され、時間に追われながらも
しっかりと7七桂を見出したのは、素晴らしかった。

一方、羽生さんは、順位戦の郷田九段戦に続いて、
最終盤で相手に読み負けるという形となり、
ちょっと残念というか、なんというか・・・

以前なら専売特許だったマジックを、
自分が食ってしまうとは・・・

勝ったと思い、相手玉の詰みを確認していて、
自玉のほうをついうっかりしてしまったのだろうか???
こちらは、まさに「猿も木から落ちる」だ。

王座戦と並行していて疲れている、
さすがの羽生さんも歳には勝てない、
と言うことはできるし、以前のコメントにあったように、
羽生さんが周囲のレベルを引き上げた結果、
と思えばいいのだろうが、
それにしても、この感情は何なんだろう?

一つの時代の終焉、というか、
偉大なものが崩れていくのを見るようで、
寂しい、ということなのか?

9/30 追記
深浦さんの応援HPに、なんと、
ご自身のコメントがあり(こういうところも深浦さんらしい)、
それによると、7七桂を打った瞬間は、
詰めろとは思っていなくて、後手玉が詰んでいることは
王手をかけ続けている間に気づいたという。

そうだとすると、上に書いたように、
羽生さんも詰めろと思っていなかったという
可能性がますます高まったと思う。
相手が気づいていないことは、
自分も気づいていないことが多いものだ。

渡辺竜王のHPにも、7六桂について言及があり、
後手勝ちだが、そうとう際どい変化でぎりぎり、
ということらしい。

7七桂が詰めろになっていることを見落として、
7六桂か、6九銀不成か、どちらか考えて、
渡辺竜王の言うように、
7六桂の筋にきわどい変化が見えたので、
安全なほうを選んだつもりが、
逆転されていた、というところか。

本当に、将棋の神様が今回は深浦さんに微笑んだ、
と言うしかないような結果だ。
コメント

辺境生物学者 長沼毅

2007-09-25 01:47:25 | 今日のひとこと
思い込みを捨て、
思いつきを拾う。

勝つまで負ける。
コメント

「カラマーゾフの兄弟」続編を空想する

2007-09-23 21:58:14 | 
最近話題の新訳を出された亀山郁夫先生の新書。

「カラマーゾフの兄弟」の二つ目の小説は、
ずっと気になっていたので、楽しみに読んだのだが、
ちょっとがっかり、というか、かなりがっかり。

さすがに専門家で、ネタは山ほど揃っていて、
それらについては素直にとても面白かった。

しかし、全体としての構成があまりにひどいと思う。
冗長な繰り返しが多く、流れも感じられず、
ただ、断片を寄せ集めた、という感じで、
読みにくいことこの上ない。

ネタはたくさんあるから、ということで
気楽に企画したのに、いろいろ忙しくて手がつかず、
タイムリーに出さなければ、というプレッシャーで
完全に崩壊してしまった、というところか。

これだけのネタがあるのに、
もったいなさすぎる。

全体としてミステリー仕立てにしたかったようで、
空想の結果を最後まで出さずに引っ張るのだが、
いっそのこと、ある程度最初のほうで、
空想の結果のプロットを全部出してしまって、その後に、
主要論点を一つづつ証拠で固めてゆく、というほうが
よかったのではないかなぁ・・・

外語大学長なので忙しいのはよくわかるが、
それにしても、さすがにここまでひどいものを
出版してしまうというのは、なんだかなぁ。
研究者としてのプライドとモラルを疑ってしまう。

編集者も、もっと手伝ってあげればよかったのに。

専門書ではなくて、どうせ新書だから、
という感じなのかなぁ。
その割りに、内容はかなりマニアックで、
一般読者に親切とは言いがたいのですが・・・

9/26の追記
池田信夫さんが、ブログでこの本を取り上げていた。

そこで書かれている「大審問官のあたりのやりとりは、
社会主義の末路を預言していたのでは?」
ということは、確かに、カラマーゾフの本編を読んた時に感じた。

だから、ロシア革命こそがカラマーゾフの続編、というのは、
皇帝殺し、という意味ではそのとおりだし、
それが人間の現実だ、ということも確かなのだが、
もしも作品が書かれたとしたら、逆に、
そうならないような世界像を描かれていたはずだ。

皇帝殺しのテロルが未遂に終わって、
どんなふうに落とし前がつくのか?
どんな哲学、世界像が提出されてくるのか?

小説のプロットなどではなく、
そここそが、続編(というか、本編)に対する興味の核心なのだが、
この新書の言うように「肉体の物理的復活」の思想なんだろうか???

近代に超克、という観点からすると、
漱石の「明暗」と並んで、未完に終わったのが全く惜しまれる。

しかし、社会主義は負けてしまい、
「近代の超克」は結局未だに実現されていなくて、
資本はますます猛威を振るっているわけだから、
どちらの作品も、未完に終わる運命だったのかもしれない。

9/28にさらに追記:
finalvent さんのブログでも取り上げられていて、
そこでは、福音書との対応関係などから、
アリョーシャ=キリストという論点が強調されていた。
イワン、リーザ、ドミトリー、スメルジャコフ、
そして、コーリャ・・・は、
みんなキリストを試み、誘惑する悪魔、ということらしい。
ゾシマは賢者か。

確かに、言われてみると、
これはとてもすっきりくる。

そう思ってみると、ドストエフスキーの作品は、
みんな福音書的なわけで、さらに一般化して、
「西欧文学の大半は、福音書か黙示録だ」、
などと言ってみたい気持ちになったりする^^;

いずれにせよ、近代的人間に絶望し、
生涯をかけてキリスト教の根本思想の復活を
願ったドストエフスキーが
満を持して構想した新しい福音書。

ますます、未完に終わったのが惜しまれる。
コメント

自分の親より豊かになれるか?

2007-09-21 23:36:54 | 雑感
バブル前くらいまでは、
人並みにがんばっていれば、
結婚した子供のほうが親よりもよい生活をしている場合が、
その逆よりも多かったのではないか、と思う。

今では、普通にやっていては、
親よりも豊かな生活を手に入れることは
なかなか難しくなっているのではないか?

いろんな意味で大変だが、
まだまだこれから、なのかもしれない・・・
コメント

コンビニでおでんが売っている

2007-09-21 20:20:57 | 今日のひとこと
中島聡さんのブログで、ちょっと前に、
「そこのコンビニでおでんが売っている」
という表現が取り上げられていた。

正しい表現は、
「コンビニでおでんが売られている」あるいは、
「コンビニでおでんを売っている」
なわけだが、ちょっとおもしろいのは、
「コンビニでおでんが売っている」
は、違和感があるものの、わりと自然に感じられるのに、
「工場で部品が作っている」
はとても不自然なこと。

「売っている」以外に、こういう微妙な例を
考えてみたのだが、すぐには思いつかない。

ちょっと不思議。

「売っている」という言葉が、
「売られている」という意味を兼ねるように
なったのかなぁと思ったのだが、
他に例が無いとすると、
もっと特殊な現象なのかもしれない。

問題:以下を違和感が少ない順に並べてください。
①コンビニでおでんが売っている
②工場で部品が作っている
③駐車場に車が駐めている
④畑でトマトが植えている
⑤田んぼで稲が刈っている

コンビニでおでんが売っている、は
コンビニ<に>おでんが売られている、にすると
ちょっと変な感じがするのに、
畑でトマトが植えているは、逆に、
畑<に>トマトが植えられている、にしないと
ちょっと変な感じがする。

うーむ・・・言葉は難しい。
コメント

伊藤園の和漢人参茶

2007-09-21 09:25:20 | 食べ物
伊藤園の「和漢人参茶」というのが
コンビニで売られていたので、買ってみた。

Arizona Green Tea との出会い以来、
緑茶+朝鮮人参+甘さ、の味に惹かれて、
自分で作って飲んでいるので、
こういう製品が出るたびに、
世の中で一般的にならないかと期待してきたが、
これまでに成功した例は無い。

最近では、たしかコカコーラも、
はちみつ緑茶を出していたと思ったが、
流行らなかったようだ。

やはり、日本人の緑茶に対するこだわりは
大きなものがあるわけだが、
伊藤園の健闘に期待したい。

それにしても、最近のペットボトル飲料の多様化は、
進化的爆発を見るような感じだ。

各社、ベースとなる多品種生産の体制が
できあがった、ということなのか?

特に、キリンの攻勢に目を見張る。

なんにせよ、選択の範囲が広がるとすれば、
良いことだ。

個人的には、沖縄ポッカの「うっちん茶」
の全国展開も期待している。
コメント

日本に資本はあるか?

2007-09-21 09:18:49 | 生きるヒント
日本には、「資産」はあっても、
自律的に、自由に、敏捷に動き回れる「資本」
というものが無いように思える。

それは、戦後の復興、高度成長期に、
資本を満遍なく分配する、
という社会主義的方針を採ったためだ。

それは大きな成功を収めたのだが、
その結果として、日本には、
大きな「資本」が存在していないのではないか?

巨大「資本」が世界を駆け巡っている現在、
それが日本の基本的な弱点になっているように思われる。

所得配分を少々いじっても、
格差が拡大するという負の方向だけが
強調されてしまい、あまり効果は無さそうだ。

村上ファンド程度の資本でも、
バッシングを受けてしまうような民意が強い。

後の人が歴史を振り返ったとき、
日本が没落したことが、
社会主義の最終的な敗北を決定づけた、
ということになるのかもしれない。
コメント

人の価値

2007-09-21 09:09:50 | 生きるヒント
自分が何人の人を、楽に、幸せに、笑顔に
しているかを考えてみる。

自分自身や、身の回りの家族さえ
幸せにできずにいる人もたくさんいる。

一方では、複製可能芸術のクリエーターのように、
何十万、何百万の人に、感動を与える人もいる。

うまくいっている会社経営者は、
その製品やサービスを買う人を幸せにし、
給料日には、数百人、数千人の社員に
笑顔をもたらしているだろう。

農家は、自分の作物を食べる人たちを
幸せにしている。

結局のところ、人の価値とは、
その値なのではないだろうか?

自分の幸せをまず最初に考えるのは当然で、
自分が幸せでないのに他人を幸せにしても、
どこかに無理があって、続かないことが多い。

しかし、自分の幸せだけを考えた人生は寂しいものだ。

それ以前に、親の遺産や行幸な特権、
あるいは借り続けられる借金でもない限り、
自分だけの幸せを続けることは難しい。

自分から始めて、周囲の人、そして、
うまい仕組みを作ったり、利用したりして、
それを何十人、何百人、と広げてゆく。

もちろん、なにごとにも影が伴う。

ある人が幸せになるということは、
別の人がその機会を奪われることでもあるだろう。

ある会社が儲かる影で、
別の会社が傾いていることもあるだろう。

極論すれば、日本で多くの人が幸せな暮らしをして、
資源を消費しているいる影で、
世界の多くの国では貧困や飢餓に苦しむ人はまだまだ多い。

そこのところを、なんとか工夫して、
できるだけマイナスを出さないように、
全体としてプラスになるようにするのが
考えどころ、ということか。

もちろん、今生きている人だけではなく、
未来の人を幸せにする、ということも含めて。

それができれば、たとえ数はそんなに多くなくても、
人として一番幸せなことだろう。
コメント

ピアノでバッハ

2007-09-20 21:32:40 | 音楽
アンジェラ・ヒューイットという女性ピアニストの
"Bach Arrangements" というCDを聴いた。

グールドの演奏はもちろん素晴らしいが、
こういう、ピアノらしさ満載で、
楽しく弾いているのも、なかなか良い。

これに触発されて、バッハの音楽のピアノ編曲
について少し調べてみよう、としたら、
こんなサイトが一発で出てきた。

インターネットはすごい。

ブゾーニやケンプ、リストの編曲は知っていたが、
そのほかはほとんど知らない人ばかり。

曲としては、オルガン曲をピアノで弾けるように
しているものが多いようだが、
Godowsky などは、無伴奏バイオリン組曲や、
チェロ組曲もピアノにしている。
うーむ・・・ちょっと聴いてみたいような。

CDは、HMV で "Bach Transcription" で検索すると
いろいろ出てきた。オーケストラ編曲やギターなども混じるが、
やはり、ピアノへの編曲が多いようだ。

中でも、ヒューイットのCDも出している、Hyperion が、
Bach Transcriptions というそのままのシリーズを出していて、
ブゾーニから始まり、フェインベルグ、フリードマン、
グレインジャー、ロシアの音楽家、と
Vol.6 まで出ているらしい。

いろいろ聴き比べてみると面白そうだが、
その前に、ストコフスキーのオーケストラ編曲版も
聴いてみたいし・・・

コメント

I am a boy.

2007-09-18 23:10:30 | 雑感
英語を習い始めたばかりの子供をからかった。

"I am a boy." の "I" を訳して。

「わたし」でしょ?

そしたら、"am" は?

「は」

"a boy" は?

「少年です」

ふーん・・・そしたら、

"I eat an apple." の "I" は?

「わたしは」

さっきは、「わたし」って言わなかった?

あれ???

"I" は、主語だから「わたしは」であり、
"am" は、「である」
と対応づけるほうが、正解に近いと思うのだが、
本によっては、「少年です」が全体として補語、
というような説明をしているものもあって、
(この場合、"is" に対応するものは無くなる)
結構わかりにくい。

コメント