日々の寝言~Daily Nonsense~

日々の出来事への感想、雑感、思いつき、ぶつぶつ・・・

羽生三冠の苦悩

2007-08-29 22:03:08 | 将棋・ゲーム
羽生三冠の将棋が冴えない。

このところ、タイトル戦や順位戦で、
「羽生マジック」がほとんど見られない。

ここ一番での圧倒的な強さも陰をひそめ、
むしろ、ここ一番で脆さが出ている感じだ。

先日の竜王戦の決勝トーナメント準決勝、佐藤二冠との対戦も、
永世竜王になるためには負けられない、ここ一番の戦いだった。

序盤、相手の研究に飛び込んでやや不利に。
ここまではいつもどおり。
その後、佐藤二冠の攻め急ぎで、差が縮まり、
逆転したとも言われた。

こうなると、絶対に負けないのが
以前の羽生さんだったのだが、
しかし、この将棋は、終盤の入り口で
あっけなくぬるい手を指してしまい、
再逆転で佐藤二冠に押し切られる形になった。

らしくない。

思えば、三期前の名人戦七番勝負の最終局、
永世名人を目前にして、森内名人との
ぎりぎりの勝負を落として以来、
昨年の春には、谷川九段との順位戦プレーオフを落とし、
そして、今回もまた、竜王戦の事実上の挑戦者決定戦を
落としてしまった。

衰えは隠しようがない。

羽生さんが圧倒的に強かったのは、
もちろん、特異的な読みの能力もあったのだろうが、
それに加えて、将棋の情報化の最初の波を
最も巧みに利用したことが大きかったのかもしれない。

過去の棋譜が簡単に参照できるようになり、
膨大な情報が利用可能になったとき、
誰よりも、そうした情報を柔軟に消化し、
自らのものにしてゆくのが速かった、
ということではなかったか?

いまや、情報はありふれたものになり、
それを利用するやり方も、
平準化したように見える。

そこで、どうやって差をつけるのか?

王位戦でも苦しんでいる羽生さんが、
このまま下降していってしまうのか、
それとも、今は次の段階への移行期なのか、
予断を許さない。
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安倍新体制

2007-08-27 19:33:27 | 雑感
石原伸晃氏などごく一部以外は、
安倍カラーは一掃されたように見える。

派閥会長に代表される実力者を重用した
重厚で手堅い布陣で、
不祥事発生確率は低そうだし、
個々の仕事的にも期待はできそうだ。

鳩山氏や増田氏など、
民主党との関係も意識されているようだ。

結果的にはかなりよく考えられていると思うし、
これだけのメンバーが揃ったということが、
自民党の危機感の強さを表している。

しかし、それぞれ自分の意見のある人ばかりで、
安倍さんの意見は、ほとんど表に出なくなるだろう。
その意味では、安倍内閣というよりは、自民党内閣だ。
実質的な采配は、麻生氏、二階氏、与謝野氏が
握ることになるのだろう。
特に、与謝野氏の調整力がキーになりそうだ。

「民意をよく聞く」がひとつのキーワードのようだが、
難問山積の中で、多様な民意を相手に、
どれだけのことができるのか、実力者内閣であるだけに、
「政治の力」が改めて評価されることになる。
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童画家 中島潔さん

2007-08-27 18:58:29 | 今日のひとこと
風の画家 中島潔の世界展@上野の森美術館

生きているっていうのは、
とってもいいことだなぁ、

暮らしているっていうのは、
とってもいいことだなぁ、

みんなに囲まれているというのは、
とってもいいことだなぁ、

私の絵を見て、そういうふうに
感じてもらえれば、と思っています。
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代理母

2007-08-24 23:25:13 | 雑感
祖母が娘の子供を産んだ、というニュースがあった。

代理出産に賛成か反対か、といわれると、
どっちかといえば反対だし、自分ではやらないと思うが、
でもまあ、こういうケースについては、
本人たちの判断に任せる、
としか言えないような気もする。

子供がかわいそう、親子関係がややこしくなる、
という意見もあるのだろうが、とりえあず常識を離れられば、
自分のことを子供と思ってくれる人が3人いる、
というのは、ある意味、幸せかも。

祖母にあたる人が、養育方針などについて
過剰な干渉をしなければ、
特に大きな問題は無さそうにも思える。

女性を産む機械として利用していることに他ならない、
という批判もあるようだが、
身内が代理をするケースはかなり微妙だろう。

それにしても、人間は、
可能性のあることはやってしまうものだなぁ・・・
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とっさの一言

2007-08-24 23:20:40 | 雑感
瀬川晶司さんのブログに、結婚式の二次会の余興で、

デートで終電まであと10分。あなたは彼女を絶対に帰したくない。
そのときのとっさのひとことを言ってください。

という質問をされた話があった。

瀬川さんがどう答えたかは書いてないので、
ちょっと想像してみた。

あともう少し一緒に居たい/顔を見ていたい/
手をつないでいたい、などなどは普通すぎるから、

あと10分で終電が出るけど、一緒に見送らない?

というのはどうかなぁ、と思ったのだが、
やっぱり瀬川さんだったら、

将棋を一局指しませんか?

あるいは、

この詰め将棋を一緒に考えませんか?

だろうか・・・
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機械翻訳の現状?

2007-08-23 21:54:46 | 雑感
ホテルを検索していて偶然、
このページを見つけた。

Asia rooms という予約サイトらしいが、
日本語のページは、完全に機械翻訳だけで作られている。

これが、抱腹絶倒の翻訳だ。

水酸化カリウム溶液の Samui島のホテル、って何?と思ったら、
Koh Samui island Hotel の訳だった。
Koh は、確かに KOH だから、水酸化カリウムだ^^;

このほかにも、
毛衛星結合性等のドライヤーおよびテレビ
(hair dryer, and television with satellite connectivity, etc.)
元の満足を見るためにはここにかちりと鳴らしなさい、とか
すごい訳が並んでいる。

私達に連絡しなさい (Contuct us)
あなたの費用を点検しなさい (Check your cost)
予約と進みなさい (Proceed with booking)
と命令口調なのも面白い。
宮沢賢治の「注文の多い料理店」みたいだ。

ほかにも、こんなページもあった。
これもかなりすごい。

Papillonあなたのグランドキャニオン旅行およびラスベガスのツアー・ガイド グランドキャニオンの底で 3つの排他的な上陸適地が付いているグランドキャニオンの南および西の縁を飛ばすために証明される! 経験の42+年によって私達は旅行の価値の最もよいのを私達のゲストに与えることに努力している!

うーむ・・・

Booking の Book を、すべて「本」と訳している。

知らない間に、こういう機械翻訳を使うのが
あたりまえになってきているのだろうか?
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鈍感力

2007-08-20 20:21:40 | 
「鈍感力」というタイトルは、
鈍感なほうが良い、と誤解されそうで、嫌だ。

本を読んでないので、良く知らないのだが、
たぶん、精細な感受性は保持しつつ、
それに過敏に反応してしまわない野太さを
併せ持つ、というような意味なのだろうと思う(期待)。

これだけ情報や刺激が多く、
価値感の対立や競争が多い世の中だと、
鈍感なほうが楽な部分もかなりあると思うのだが、
にもかかわらず、あえて感覚の精細さを保つ、
というのが人間らしくて好きだ。
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プラネタリウム

2007-08-18 13:23:12 | 雑感
とても久しぶりに、
プラネタリウムに出かけた。

最近はみんなそうなのかもしれないが、
宇宙の起源、のような解説番組だった。
もちろん、星も映すのだが、
映画のようなものも映すのだ。

技術は進歩しているのかもしれないが、
どうも素直に楽しめない。

内容も、キャラクターなど出てきて、
見かけは易しそうに説明しているが、
きちんと理解しようとすると難しくて、
夏休みに来ていた小学生には
ちょっとつらかったんではないか?

「宇宙の起源」に興味を持ってもらいたい、
それが最新の宇宙論のトピックだ、というのはよくわかるが、
でも、それって、専門家の視点すぎるんでは?
どれだけの人が、そういう話題に興味を持つと
思っているのだろうか?

懐古趣味かもしれないが、
昔の、五島プラネタリウムのように、
日が暮れて、星がでてきて、
やがて満天の星空になって、
その季節に見られる星座の紹介があって、
そして、夜が明けて終わる、
というシンプルなプログラム
のほうが、100倍よいと思った。

あの、日が暮れてゆき(家やビルの影絵がきれいだった)、
一番星が見えて、という導入は大好きだった。

そして、空の闇が濃くなり、満天の星が見えてくる。
最初見たときには、知っている星座がどこにあるかは
ほとんどわからない。見えるのは、ただただ、
とにかくたくさんの星なのだ。

それが、ひととおり説明された後では、
まとまって見えるようになるのが、
とても不思議だった。

プラネタリウムなんだから、
星をメインにして欲しいものだ。
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夕凪の街、桜の国

2007-08-17 05:44:50 | 映画・ドラマ・テレビ
「夕凪の街、桜の国」を観てきた。

この映画については、音楽を担当している
村松崇継さんのブログで知って、
こうの史代さんの原作も読んでいた。

物語は、被爆から現在まで、
被爆者の三世代に亘る視点から、
原子爆弾の悲惨さについて、
実に優れたやり方で語っているもので、
まだの方は、ぜひ原作を読んでいただきたい。

映画は、Yahoo 映画などでもわりと好評のようだ。
確かに、映画としてのつくりがあまりよくないことを
引いたとしても、原作の良さをよく伝える佳作だ。

映画館は4割くらいの入りだった。
平日の昼間にしては健闘していると言えるだろう。

特に、既に多くの人が書いているように、
皆実さん役の麻生久美子さんが、はまり役で、
原作のキャラクター設定の素晴らしさ
(素晴らしい、という言葉は不適切なのだが)
をそのまま伝えていて、これはもう、
涙なくして観ることはできない。

皆実さんが原作から抜け出て来たようだった。

観終わった後、目が赤く腫れてしまい、
恥ずかしかった。

約1日経って、これを書いている今でも、
思い出すだけで、涙が出てきてしまう・・・

すごいことだ。
これだけで、十分に一見の価値はあった。

村松さんの音楽は、ハープの使われているメインテーマと
エンディングのピアノソロがかなり良かった。
ただし、他の、場面背景の音楽については、いまひとつ。
映画背景音楽として、重要な何かが欠けている感じがした。
場面を盛り上げる力になっていないような気がした。
耳あたりがよければよい、というものではないので、
武満さんの音楽などを研究してはどうか?

このページによると
広島、長崎での原爆による死者、<殺された>人の数は、
アメリカの教科書などでも、広島で8万人、長崎で4万人。
これは、投下直後数ヶ月くらいの死者数と考えられる。
日本からの数字としては、広島14万人、長崎7万人が
よく使われているらしい。

このほとんどが一般市民だ。
そして、その後、数十年、数世代に亘り、
多くの人が苦しんでいる。

南京大虐殺で日本軍は30万人を殺した、と言われているが、
(実際はもっと少なかったようだ)
そういう意味では、広島・長崎の大虐殺、
と十分に言える規模だ。

ちなみに、東京大空襲でも、10万人規模の
一般市民が殺されている。

いろいろ厳しい現実はあれども、
世界唯一の平和憲法保持国、
という日本の立場は、これからもずっと
守りぬいて行くべきだろう。

それが、世界唯一の被爆国である日本の、
人類史における歴史的使命だと、
月並みだが、思う。

映像的にどうこう、という映画ではないので、
DVDが出たら、家で一人のときに、
思いっきり泣きながらまた観たい^^;

それから、京花さんの子供時代役の笑顔が
とても輝いていたので(こちらは原作のイメージとは全く違うのだが)、
ネットで調べたら、小池里奈さんという人らしい。

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売れるものと売れないもの

2007-08-15 21:27:36 | 生きるヒント
売れるものと売れないもの、
その境目はどこにあるのか?

趣味で絵を描く。
趣味で作曲する。
趣味で小説を書く。
趣味で草野球する。
趣味で将棋をする。

しかし、それでは、甲子園には出られない。
ましてや、プロ野球の選手にはなれない。
それでお金を稼ぐことは、なかなかできない。

売れるためには、
どこかで「突き抜けていること」が必要だ。
最低でも、日本全国レベルで目立たないと、
そこにつく需要はとても限られる。

精密さ、アバウトさ、どちらの方向でも良い。

凡庸さにおいて突き抜ける、という方向すらある。

しかし、それは逆に、針の穴を通すように難しい。
完全に自分を滅してしまわないと、
どこかで自分の色が出てしまう。
そうすれば、非凡な凡庸さ、ではなくなってしまう。

そもそも、情報コンテンツは供給過剰になっている。
過去に遡って、膨大なコンテンツが蓄積されているのだ。
もう新しいコンテンツなんていらないのかもしれない。

だから、コンテンツを作ることでお金を稼げるのは、
ごくごく一部のコンテンツ製作者だけだと思う。
一発あたれば大金持ちかもしれないが、
競争はものすごく激しい。

自分の書いた携帯小説がヒットする確率なんて、
宝くじ並みかもしれない。

自分でコンテンツを作る仕事よりは、
コンテンツと人をつなぐ仕事のほうが需要は大きい。

「人をつなぐ」部分で、ある個人のある状況に即した
サービスが必要になるので、状況の数だけ需要がある。

いずれにせよ、デジタル複製できないサービス、
コンテンツを提供してゆかない限り、
お金を稼ぐのはなかなか難しい時代のようだ。
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偽善と偽悪

2007-08-14 21:23:51 | 生きるヒント
他人のために、と言えば、偽善的と言われる。
自分のために、と言えば、偽悪的と言われる。

どっちにしても、何か言われるのだから、
他人がどう言うか、他人にどう見えるか、ではなくて、
自分で自分を偽っていないか、
自分で自分の動機を見ないふりしていないか、
だけを気にしていればいいのだろう。

多くの場合、実際のところは中間にあるので、
そのバランスに素直に目を向けていればいいのだ。

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カラオケの料金

2007-08-13 23:38:55 | 雑感
とても久しぶりに、
家族でカラオケに行った。

いつも思うのだが、カラオケの料金が
人数に比例するのは、どうも納得できない。

一定時間内に歌える曲数は変わらないのだから、
一室あたりいくら、という料金体系に
なっているべきだと思うのだが・・・


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高い打点で打つ

2007-08-10 23:56:14 | テニス
久しぶりのテニススクール。

もっと高い打点で、もっと前で打つように言われる。

これでもずいぶん前で打てるようになったのですが、
もっとですか・・・

ベースラインから下がらないで打てるように、と言われる。

うーむ・・・

自然に手首が返るところに打点を決めて、
そこで打てるように、と言われる。

いままでの打ち方と、またイメージが
全然違ってしまうのですが・・・

半年くらいがんばると慣れます、と言われた。

わかりました・・・

テニスはどんどん進化しているらしい。
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見えない学びの機会の消失

2007-08-07 00:58:13 | 生きるヒント
「オーラの泉」は、配偶者が好きなので、
ときどき見ている。

スピリチュアルなテイストを除けば、
ゲストによっては割りに楽しめることも多い。

前回は、小林幸子さんがゲストだった。

10歳?で単身東京に、ですか。
将棋もそうだが、特殊技能の世界は厳しいですね。

その中で、若いときの苦労が、
今ではとても役に立っている、というような話になり、

昔は、貧しくて、地方廻りの時などは、
旅館の大広間で食事や雑魚寝することが多かった。
でも、そういう場こそ、学校では学べない、
社会的マナー、つまり、たくさんの人間が集まったときに、
喧嘩しないでうまくゆくための智恵、を学ぶ、
とてもよい機会だった、と言う話が出た。

でも、今はみんなホテルで個室だから、
そういう機会があまり無い、と。

確かに、そうかもしれない。

自分を振り返っても、クラブ活動で
合宿などしているときに、
いろいろ教わったことは多い。

こういうのは、先輩が威張り、下級生をいじめるための仕掛け、
という面もあるので、当時は嫌だったが、
でも、そうした害を割り引いても、
確かに貴重な機会ではあったのだ。

学習・勉強といえば学校の教室でするもの、
と思っている子供が多いかもしれないが、
(自分もそうだった)
実は、そうでない部分のほうがずっと大きいのだと思う。
そして、今は、その部分が減ってしまっている。

テストなどでは測れない、
見えにくい学びの機会の消失。

働く中での学習についてもそうだ。

松下幸之助ではないが、すぐれた経営者にとって、
人を雇うということは、その人を育てる、
ということでもある。

特に、終身雇用の場合には、会社にいる人に
成長してもらわないと困るので、
雇った人に、給料で報いることに加えて、
その人を育てるということについても、
意識的、無意識的を問わず、熱心にならざるを得ない。

それはいわば、見えない給料のようなものだ。

しかし、派遣などの非正規雇用が広がり、
労働者は、まさに、労働時間を売って生活を維持するもの、
というマルクスの定義に近づいてしまっているようだ。

ワーキング・プア、といわれて、
賃金の低さ、生活水準の貧しさが取り上げられるが、
それよりも、見えない学習機会が失われていること
のほうが、社会的には大きな問題のような気がする。

たとえば、最近、爆発事故など、
明らかな人為的ミスによる事故が増えているように感じる。
単に、報道される機会が増えただけなのかもしれないが、
学習機会の消失によって、社会で働く人の、
基本的なマナーやスキルが失われている
ということはないのだろうか?
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カフカ「審判」

2007-08-05 21:35:39 | 
というわけで?
カフカの「審判(Der Prozess)」(原田義人訳)
をとても久しぶりに読み返した。

ヨーゼフ・Kが突然巻き込まれる不可解な「裁判」
についての話は、

「誰かがヨーゼフ・Kを誹謗したにちがいなかった。
なぜなら、何もわるいことをしなかったのに、ある朝、
逮捕されたからである。」

と始まり、

「まるで犬だ!」と、彼は言ったが、
恥辱が生き残ってゆくように思われた。

で終わる。

カフカらしい悪夢のような話だ。
悪夢らしく、不思議なリアルさをもっていて、
いろいろと考えさせる。

それが暗示しているのは、
肥大化し、腐敗した官僚機構なのか、
やがて来る、相互監視、密告社会なのか、
あるいは、神無き世の最後の審判なのか・・・

もちろん、カフカ自身は、何かを暗示しようと
思って書いたのではないのだろう。

顕微鏡で細胞を眺めているような文章だが、
以前に読んだときよりは
読みやすく感じたのはなぜなのだろう?

ヨーゼフ・Kの自意識、あるいは理性が
からまわりしている様子は、
漱石「行人」の一郎を思い起こさせた。

久しぶりに、読み返してみようか。
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