日々の寝言~Daily Nonsense~

日々の出来事への感想、雑感、思いつき、ぶつぶつ・・・

渡辺竜王3連覇

2006-12-28 19:28:39 | 将棋・ゲーム
すっかり遅くなってしまったが、
竜王戦の最終局は、振り駒で先手をとった渡辺竜王が
佐藤棋聖を下して、見事に3連覇を成し遂げた。

佐藤さんもよく頑張ったと思うのだが、
竜王の強さが印象的だった。

佐藤さんは、手が見えすぎてしまうのかもしれない。
それは、将棋を解明するという観点からは
よいことだが、限られた時間の中での勝負では、
脆さにつながるのだろう。

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人生80年時代の死生観

2006-12-28 19:21:40 | 生きるヒント
車でラジオを聴いていたら、
宗教学者の山折哲雄さんが、
人生80年時代の死生観について話されていた。

その中で、神仏のひとつの役割りとして、
普通の人間が言うと自己矛盾してしまうメッセージを
代弁する、というものがある、というような
話があって、なるほど、と思った。

たとえば、「殺すな」というメッセージを
普通の人が言えば、
「自分だって、虫や魚や家畜を普段から殺しているだろう」、
と言われてしまう可能性がある。
でも、神がそうおっしゃっている、と言うことはできる。

しかし、死が日常から切り離され、
「生きること」と「死ぬこと」のバランスが
「生きること」のほうに大きく偏った。

死の恐怖が隠蔽され、薄れるとともに、
神も仏も必要とされなくなった。

長期的、広い範囲の視野で語る主体が失われ、
短期的な利益ばかりが語られ、
命さえもが利益と換算される。

そうした中で、引き伸ばされた死である、
老いや病にどう前向きに向かうのか?

昔、インターネットが普及すれば、
今、この瞬間にも、飢えや災害や戦争で失われている命がある、
というようなことが、もっと身近に感じられるようになり、
地球全体を見るような視野も育つ、という説もあったが、
結局、人間は、見たくないもの、
見ないでもすむものは、あまり見ないものらしい。

誰にでもやってくる、老い、病、そして死。
それはわかっているのだが、
それを見ぬ振りをするのでなく、
どう向かい合えばよいのか?
確かに、大きな問題だと思う。
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羽生強し! 将棋順位戦A級6回戦

2006-12-19 22:23:13 | 将棋・ゲーム
将棋の名人位への挑戦者を決める順位戦A級の6回戦、
羽生三冠対藤井九段の対局が先週の金曜日にあった。

ここまで、羽生三冠は3勝2敗、藤井九段は4勝1敗。
羽生三冠が名人挑戦に絡むためには、
もうひとつも負けられない。

朝10時に藤井九段の先手で始まった双方持ち時間6時間の戦いは、
両者の「負けたくない」という気持ちを反映するように、
お互いの動き探り合う、じりじりとした駒組みが延々と続き、
戦いが始まらないまま、対局開始から10時間半後の20時33分、
千日手指しなおしとなった。
ここまでの消費時間は、羽生4時間23分、藤井3時間45分。

30分の休憩の後、21時3分から開始された指しなおし局は、
先後を入れ替えて、羽生三冠の先手。
羽生の居飛車、藤井九段の四間飛車で、相穴熊へと進行した。

羽生が果敢に仕掛けた後、お互いほぼ最善の戦いが続いたが、
73手目の羽生の手がやや悪かったようで、藤井が優勢となった。
角金交換から馬を二つ作った藤井が羽生の飛車の動きを
押さえ込もうとし、あわや完封かと思われたのだが、
そこからの羽生の凌ぎがすごかった。

先に一分将棋になっているにもかかわらず、
なんとか飛車を逃げ回りながら、勝負手を連発し、
相手に、容易にはあと一歩の踏み込みを許さない。
あれこれと手を作り続け、ついには、
自陣の穴熊を崩して攻めに出る。

攻めると見せては受け、受けると見せては攻める、
という幻惑的な手の流れが藤井の判断を狂わせたのか、
あるいは、長い対局による疲労からか、
0時をとおに回った112手目、千日手局と通算では186手目、
ついに藤井が痛恨の悪手を指してしまう。

それでも、まだ形勢は互角かと思われたのだが、羽生は、
そこから、一気の端攻めで藤井の王に猛然と襲いかかる。
少ない手駒を文字通り駆使して攻め続けるる中、
藤井のミスもあって、双方一分将棋の末、2時45分に、
181手までで藤井九段が投了。
今期一番の逆転劇、藤井九段の言によると、
「生涯でベスト1の逆転負け」となった。

普通、投了の際には、駒台の上に手を軽く
触れる程度なのだが、駒台のの駒を盤上に投げて、
文字通りの投了をしたというから、
藤井九段の無念さが察せられる。

羽生三冠も、さすがに疲労困憊したのか、
月曜日に行われた、棋王戦の敗者戦決勝では、
佐藤に敗れている。

竜王戦第5局の渡辺竜王、
竜王戦第6局の佐藤棋聖、
本局の羽生三冠、と、立て続けに、
本物の勝負への執念を見せてもらった感じ。

そして、明日からは、いよいよ竜王戦の最終決戦。
将棋観戦ファンにとって、至福の日々が続く。
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佐藤強し!-将棋竜王戦第6局

2006-12-15 07:55:15 | 将棋・ゲーム
将棋の竜王戦第6局は、挑戦者の佐藤棋聖が、
後手番ながら快勝して、カド番を凌いだ。

初手「3二金」を見て、
「おぉー、なりふり構わずに勝ちに来ている!」
と感じたのだが、その後も、
不慣れな局面へと誘導された竜王のとまどいを尻目に、
竜王の十八番である穴熊に組んだあとは、
一気の仕掛けから、相手に将棋をさせず、
危なげない形で押し切った。
佐藤ファンにはたまらない将棋だったと思う。

正面からの勝負を避けた、という意味で、
逃げている、という意見もありそうだが、
これも戦術、引き出しの多さ、なわけで、
総力戦にふさわしいと思う。

これで、ついに、両者譲らず、3勝3敗。
竜王位と賞金3200万円?の行方は、
来週水曜日からの最終局一局に託されることとなった。

佐藤棋聖にとっては、ある意味、
これまでの佐藤将棋の総決算のような意味の
一局になると思う。

羽生さんですら、昨年の名人戦で、
永世名人を賭けたそういう一局に敗れた例もあるから、
勝敗の行方は、もうほんとうにわからない。

どちらが、より「勝ちたい」と思っているか、
そう思いながらも、自然に、普段の実力を出し切れるか、
の勝負になるだろう。

大一番にふさわしい力と力がぶつかりあう
名局が見られることを祈りたい。
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「思い」の力

2006-12-15 07:40:54 | 生きるヒント
「オーラの泉」を、同居している人が見ていたので、
(自分で見たかったわけではない、という言い訳)
何気なく見ていたら、三輪さんが、
「霊魂がいっぱい飛んでいる」というようなことを
言っていた。

それを聞いて、ふと思ったのだが、
千住博さんの「叫び」ではないが、
身の回りのいろんなものには、それを作った人や、
それを買って、使ってきた人たちの「思い」が
あると思う。

より正確に言おうとすれば、
そういうものを見ると、私たちは(少なくとも私は)、
自然に、そういう「思い」や「記憶」を感じる。

「霊魂」というと、超自然なようで、
私は信じないのだが、でも、
結局、そういう「思い」のことだ、
自分の脳が感じてしまう「情報」のことだ、と思えば、
そういうものが「見えてしまう」ことも、
それほど不思議なことではない、ような気がした。

いつでも、いろいろな「思い」に
包まれて暮らしている、
と考えるのは、
そんなに悪くないような気がした。
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千住博「絵を描く悦び」

2006-12-15 07:33:23 | 
千住三兄弟の長男で、美術家の千住博さんが書いた本。

副学長をしている京都造形芸術大学での
授業にもとづいて、美大をめざすような人に対して、
絵を描くとはどういうことか、
についての<自分の>考えを、単純明快に説いている。

美術家で、ここまで自分のやっていることを
言葉にできている人は珍しいように思う。
あれこれ言うより作品で勝負、
というのがあるせいもあるのだろうが、
千住さんは、美術家と教育者の両方の才能を兼ね備えた、
稀有な例ということになのかもしれない。

それにしても、熱血である。
そして「世界で通用している」という自身に満ちている。
書かれていることも、すべて自分の体験に根ざしているので、
説得力がある。

高校生くらいの人が読むと、
いろいろ得るものがあると思う。

基本は、芸術はコミュニケーションだ、
これを伝えたい、という魂の叫びだ、というもの。

自分を他の人と間違えられることはあまりないように、
個性とは、作品の中に、自然ににじみでてくるものだ、
というのも、うなずけた。
養老さんの個性論とも通じる。

自分としては、こういう熱血なものを、素直に「すごいなぁ」
と思えてしまうのが、ちょっと不思議。

昔だったら、こういう人を見ると、
青春もののドラマのように、
なんか気恥ずかしいような感じがしたものだが・・・
もっとクールに、何気なく、いい仕事をするのが
かっこいい、と思っていたような気がする。

なんでだろう?
自分の中で何が変わったのだろう?
上のような思いは、どこから来ていたのだろう?

うわべだけの熱血、ステレオタイプの熱血の模倣、
と、根拠のある熱血の違いなのか?

梅田望夫さんなんかにも感じることだが、
日本人の多くが激しく屈折した敗戦から50年以上を経て、
自分の体験だけに根ざして、しっかりと
熱血に自分を語れる人が、やっとまた、
日本にも生まれ始めた、ということか?

こういう人こそ、教育再生委員会に入ってもらいたい。
ただ、エリートにありがちな誤解として、
誰でもがんばれば自分のようにできる、と思われると、
ちょっと困ることは困るのだが・・・

エリートを育てる教育と、
エリートを支える側の人を育てる教育と、
二極分化するのでなく、グレーに混じりながら、
それぞれにあったバランスで両方が受けられるとよいと思う、
って、これは違うエントリーの話題か。
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サラバンド

2006-12-13 23:28:12 | 映画・ドラマ・テレビ
ベルイマンの映画「サラバンド」を観た。

「サラバンド」は、バッハの時代の舞曲の一種で、
二人でゆっくりと踊る曲、らしい。

映画は、バッハの無伴奏チェロ組曲の中の、
5番のサラバンドを基層として作られている。
映画の、10個の章のそれぞれが、たった4人の
登場人物のうちの2人ずつの対話になっている。

その対話を、クローズアップを多用した、長まわしのカメラが、
二人の感情を抉り出すように描写する。
その描写の緻密さを、ディジタル技術が影で支える。
(上映は、プロジェクタで行われている)

そこに描かれているものは、
なんという濃密な時間だろう。

人間の憎しみ、孤独、そして、愛らしきもの・・・

観終わったとき、普通の映画を10本くらい
まとめて観たかのように疲れていた。
そのあと、二日ほど、頭痛がした。

しかし、観ておいてよかったと思う。
あのデジタル映像の美しさは、
巨大プロジェクタを持つ映画館でないと体験できない、
(麻倉さんは、いつもあんなのを見ているわけだ・・・)
という意味もあるが、映画としても、
ここまで深く、真摯に、ストレートに、
人間、特にヨーロッパ近代の人間、の孤独と愛の不可能性を
描いている作品はあまりないと思う。

愛の不可能性・・・
ずいぶん久しぶりに、この、
福永武彦さんの言葉を思い出した。

漱石がイギリスで感じた孤独も思い出した。
ベルイマンも、漱石と同じように、
孤独で過酷な幼年時代を過ごしたらしい。
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渡辺強し-将棋竜王戦第5局

2006-12-07 21:39:40 | 将棋・ゲーム
将棋の竜王戦は、渡辺竜王が、手に汗の熱戦を制した。
これで2連敗からの3連勝となり防衛に王手。

挑戦者の佐藤棋聖にとっては先手番でもあり、
絶対に負けられない戦い。
一方、竜王にとってもまた、流れを変えないためには
負けられない一局。
というわけで、両者の気合が正面からぶちあたった
ガチンコ勝負の名局だった。

終盤までは棋聖がほんのわずか優勢に進めていたようだが、
最終盤、秒読みに追われたこともあり、
難解な勝負を勝ちきることができなかった。

こうなってみると、
第3局を勝ちきれずに落としたのがとても痛い。
そこから竜王の流れになり、
本局もまた、それをとめられなかった、という印象だ。

それにしても、竜王の強さが光る。
勝負師として、一局一局、修羅場をくぐるたびに
強くなっているという感じで、
まだまだ伸び盛りを感じさせる。

相手の切っ先をぎりぎりで見切り、かわしつつ、
じりじりと間合いを詰める勝負術。
そうやって相手が焦り、自滅するのを誘う。
そういう手が、それほど深く読むこともなく、
自然に、直感にしたがって指せているように見える。

それはあたかも、
将棋なんて、最善を尽くさずとも、
悪手を指さなければ容易には負けない、
と悟った老練な指し手を思わせる。

反面、棋聖のほうは、勝負どころで
最善を求め過ぎたあまりに、
かえって悪くしてしまったような感じだ。

今日の将棋を見ていると、
棋理を探求し、最善を求めるでもなく、
新手を試み、定石を開拓、整理するでもなく、
パズルのような奇想と戯れるでもなく、
ただ、淡々と、勝負して、勝つ。
そういう印象の大山康晴に、今一番近いところにいるのが
渡辺竜王かもしれない、と改めて感じた。

三強の一角であり、
現時点で最も充実しているはずの佐藤棋聖が、
ここから意地を見せるのか、
それとも、森内名人に続いて、
若くして既に老練の趣のある竜王の軍門に下ってしまうのか。
来週水曜日からの次局もまた、見逃せない戦いだ。

こんな熱い戦いが、毎週のように無料で、
リアルタイムに、解説つきで観戦できるのだから、
ほんとうによい時代になったものだ。
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