日々の寝言~Daily Nonsense~

日々の出来事への感想、雑感、思いつき、ぶつぶつ・・・

芸術の秋

2006-10-29 10:37:40 | アート
久しぶりにのんびりと新日曜美術館を見た。

今日のメインは奈良で行われている正倉院展。
聖武天皇と光明皇后の生涯もあわせて詳しく
解説されて、大変勉強になった。

蘇我氏、そして聖徳太子以来の、
「仏の慈悲による護国」という精神が大きく花開き、
国分寺、国分尼寺、そして、
東大寺の大仏、正倉院として結実する。

ゲストの立松さんも言っていたが、
正倉院の宝物に象徴されているものは、
あの時代から、末代までにわたる私たちへの贈り物であり、
今の日本の精神的な土台の多くもそこにあるのだなぁ、
と思ったら、長い歴史を貫く想いのようなものが感じられて、
すごく見に行きたくなった。

正倉院展は、なんかいつもやっているなぁ、という
印象があったのだが、毎年、展示品を変えて、
開催されているらしい。なるほど。

やはりこの季節は芸術の秋、ということなのか、
アートシーンも、見に行きたいと思うような
美術展が並んでいた。

滋賀で開催されている、有吉利夫さんの展覧会や
愛知で開催されている、荻須さんの展覧会は、
近くだったらすぐに行くのだが・・・

高崎の、アイヌ女性の手仕事を集めた展覧会は、
担当の方の熱意が感じられるようだった。

さて、何を見にゆこうか?
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瀬川さんC2への道

2006-10-28 13:29:13 | 将棋・ゲーム
将棋ネタをしばらく書かなかった。
その間に、あいかわらず佐藤康光棋聖が爆走している。
竜王戦は初戦を勝ったし、順位戦でも羽生三冠に勝ったし、
昨日も、王将戦リーグで、久保八段を力でねじ伏せた。
これで破竹の9連勝中。
この後どうなるにせよ、今年度は佐藤康光(と糸谷四段)の年
として記憶されることになるだろう。

ところで、プロ試験でフリークラス編入となった瀬川さんは
どうしているか、と見ると、現時点で9勝5敗、
勝率6割4分程度。これはそんなに悪くない。
レースクイーンに将棋を教えたり、まめにブログを書いたり、
アメリカ出張したり、いろいろ多忙と思われる中、
とても健闘していると思う。

しかし、フリークラスからC2への昇格条件を見ると、
これが結構厳しい。

いくつか条件があるのだが、最初にあげられているのは、
年間成績で参加棋戦数+8勝以上で、勝率6割以上。
瀬川さんの場合、下に書く10棋戦に参加できるので、
18勝10敗(原則トーナメントなので、負けて終わる)、
なら勝率6割4分となってOK,ということになる。

通常の棋士は9棋戦なので、17勝以上かつ6割以上を
2005年度の成績で満たしている人を調べてみたら、
森内、渡辺、羽生、佐藤、谷川、森、南、藤井、丸山、
郷田、森下、深浦、真田、畠山(鎮)、佐藤(秀)、山崎、
田村、窪田、小林(裕)、松尾、佐藤(紳)、宮田、
伊奈、阿久津、飯島(栄)、橋本、安用寺、大平、
村山(慈)、佐藤(和)、片上、村中
のようだ。連盟HPの成績欄に載っている棋士
156名中32名、上位約2割ということになる。

思ったより少ない。
ちょっと目だって活躍しないと難しいという感じだ。
Aクラスでも満たしていない人は結構いる。
対戦相手のレベルが高いから、これはまあしかたないのだが、
もうちょっと緩く、全体の上位3割くらいのレベルでも
よいのではないか、とも思う。

瀬川さんの今年度の各棋戦の成績は
竜王戦     1勝1敗(昇級者決定戦の分、トーナメントは12月頃から)
棋聖戦     3勝1敗
王将戦     これからスタート
王位戦     1勝1敗
王座戦     0勝1敗
棋王戦     これからスタート
朝日オープン  1勝1敗
新人王戦    これからスタート
銀河戦     3勝中(予選含む)
NHK杯戦予選 これからスタート
という状態ではないかと思う。

そこで、はなはだ勝手に、
C2へのロイヤルロードを想像してみた。
得意の銀河戦はあと2勝は堅いのではないか(西尾、増田)
新人王戦でも最低2勝はしたい(矢内、天野or片上)
片上戦はちょっと厳しいかもしれないが・・・
ここで貯金を溜めておけば、竜王戦で1勝、王将戦で1勝、
棋王戦で1勝、NHK杯予選で1勝
という感じで行けばよい。

ここまでの成績を見た限りでは、不可能ではないが、
楽勝というわけでもない。
このまま可能性を維持できれば、
年度末にはかなり大きな話題になるだろう。

二番目の昇格規準は、良いとこ取りで30局以上の勝率が
6割5分以上、というもの。
こちらは年間で、などのしばりはないようだが、
本戦リーグまで勝ち上がらない限りは
実質トーナメントにしか出られないのだから、
この条件を満たしている場合には、多くの場合、
結果的に1番目も満たしているような気もする。
年間では惜しかったが、年度をまたがって好調が続いた場合の
救済条件、という感じか?

いずれにせよ、早期のC2昇格をお祈りさせていただきます。
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ブログの炎上

2006-10-28 05:28:18 | 雑感
炎上しているブログを見ていると、
パターンはだいたい決まっているようだ。

最初の意見に対して、
ちょっと極端な反対意見のコメントがついて、
売り言葉に買い言葉でやりあって、
劣勢なほうに加勢が現れ、
部分的な揚げ足取りが現れて、
そのうちに、「そんなこと言ってない」「いや言った」になり、
「そんなことここで書くな」など、
コメントの書き方に文句が出て、
人格攻撃する人が現れて、
まあまあと宥めるひとも現れて、
後は延々と繰り返し・・・

これだけサンプルが集められるのだから、
何かおもしろい研究にまとめられるのではないか?

それにしても、他人のブログのコメント欄で
長々と自説を書くよりは、自分の意見は
自分のブログで自由に書いたほうがいいと思うのだが。
トラックバックという仕組みもあるのだし。

あと、ブログのコメント欄は、基本的には、
もともとの記事へのコメントを書くところで、
議論するところではないのだから、
議論をして深めたい、という場合以外は、
他のコメントへのコメント、は一切禁止にすれば、
だいぶ喧嘩は減るのではないか、とも思う。
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失敗のコツ

2006-10-27 00:16:00 | 生きるヒント
失敗するための3か条
1.見通しは甘く、楽観的に
2.自分は特別、他人の失敗を自分にあてはめるな
3.嫌な予感、を気にするな

もちろん、自戒を込めて。
やれやれ・・・
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本格小説

2006-10-24 23:05:42 | 
水村美苗さんの「本格小説」を読んだ。

とてもおもしろい、んだけど、
伏線もしっかり、なんだけど、
なんか足りない・・・

うまく酔えない。
ちょっとしか泣けない。
あまりにもかけ離れた世界だからか?

「カインとアベル」を思い出した。
「豊穣の海(春の雪、奔馬、暁の寺、天人五衰)」も思い出した。
「ブッデンブローク家のひとびと」も思い出した。
「絡新婦の理」も思い出した。

やっぱり「豊穣の海」は圧倒的によかったなぁ・・・
今読んだら、どんなふうに感じるのだろう?
思わず、文庫をアマゾンで注文してしまった^^;
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独裁者の現実

2006-10-23 09:28:13 | 雑感
世界の多くの人が北朝鮮の非核化と民主化を
望んでいるのは明らかだ。

だから、金正日が本当の意味で「独裁」者なら、
そっちの方向へ、社会の舵を切ることは、
そんなに難しくないはずだと思う。
それは、長期的、世界的に見れば、
金正日自身の保身にもつながる。
ノーベル平和賞だって取れるかもしれない。

経済的に自立するまでは大変だろうが、
中国の勢いをうまく利用すれば、
なんとかなるかもしれない。

それなのに、そうできない、ということは、
やはり、多くの現状維持、権力維持を図る人たちに
支えられているのであり、
「独裁」などではありえない、
ということなのだろうか・・・
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働くと休む

2006-10-20 20:00:32 | 生きるヒント
休んで気持ちよい。
働いて気持ちよい。

両方あるんだけど、
人によって、どっちのほうがより
気持ちよいかは違うようだ。
もちろん、年齢的な変化も大きい。

自分の場合は、
休んで気持ちよいほうが多いかも。

無理していると、
働いても疲れるし、
休んでも疲れる・・・
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チェリビダッケ没後10周年

2006-10-20 12:05:29 | 音楽
11月2日に、秋葉原UDXにある、アキバ3Dシアターで、
セルジュ・チェリビダッケ没10周年企画
「チェリビダッケの庭」記念上映会
というのが開催されるらしい。
チケットは Yahoo チケットなどで売っている。

「チェリビダッケの庭」は、指揮者の息子さんが
作ったドキュメンタリー映画。
ずっと見たいと思っていたのだが、まだ見ていない。
DVDは限定だったようで、もう売っていないようだ。
2500円は高いが、この機会に見ておこうか、と思う。

もう10年たったのか・・・とも思うし、
まだ10年だったのか・・・とも思う。
実のところ、生演奏を聴く機会はとても少なかったし、
死後、たくさんのCDが出たので、
亡くなっているという実感がまだまだ薄いのだ。

久しぶりに、チャイコフスキーの5番のCDを
取り出して聴いてみた。

チェリビダッケの晩年の演奏に共通しているが、
感情に流されず、それぞれの音を
しっかりと響かせることだけ考えているような演奏だ。
その結果として、とても雄大な音の風景ができあがる。
それが、心の奥深くを大きく揺り動かす。

全機すれば調和する。
みんながそれをめざしているはずなのに、
音楽の中でさえ、それはごく稀にしか実現しない。
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しゃぼん魂

2006-10-17 00:02:19 | 生きるヒント
ラジオを聴いていたら、
作曲家の宮川さんが、
童謡の「しゃぼん玉」について話をしていた。

この歌は、野口雨情が自分の子供を幼くして
亡くした後に作られていて、
だから、とばずに壊れて消えるしゃぼん玉は、
幼子の魂の喩えだ、というのだ。

ふーん・・・なるほど、と思った。
今まで、子供がしゃぼん玉を作って遊ぶ姿を描いた
無邪気な歌だ、と思っていたが、
がらっと印象が変わってしまった。
そうなると、最後の「しゃぼん玉とばそ」
がとても意味深い。

同じような解説がここにあった。
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ワーキング・プア(再)

2006-10-14 12:23:20 | 生きるヒント
頭痛がするので国会中継を見ていた。
日本共産党の市田書記長と社民党の福島党首が質問していた。
どちらも、偽装請負、ワーキング・プアの問題を取り上げて、
規制緩和、派遣法改正を批判していた。

大きな流れとしては、労働力市場に、
中国、インドなどの労働力が流入して、
労働力の価値が世界的にかつ一時的に下がっている、
ということがあるのだろうから、
10年前より給料が下がるのはやむをえない面もあると思う。

派遣の問題も、労働力の流動性確保、というのは
トレンドとしてはしかたがない面がある。

その分、そうした安い労働力流入の結果として、
物価も下がっているはずで、日常的な生活コストは
たぶん10年前より下がっていると思う。
(ただし、医療費などの問題は大きいが)

もう一方に、政府債務や年金の問題があり、
今までのようには、社会保障をしてゆけない、
という事情もある。

そういう環境条件を考慮すれば、
生活水準が10年前より悪くなっても、
しかがたない部分はある。

だから、ごく大雑把に、待遇悪化、サービス低下を
なんとかしろ、というのでは、議論にならないだろう。
国の経済力に限りがある以上、それが低下すれば、
切り捨てられる人が出てくるのは必然で、
それを防ぐには、国の経済力を上げることだが、
それがすぐに難しいとすれば、
全体として納得を得ながら少しづつ下げる、
以外には方法は無い。
問題は、それを、国の活力を奪わずに、
どううまくやってゆくか、だ。

逆に、規制緩和して市場原理に任せればよい、
というわけでもないのは当然だ。

池田信夫さんのBlogにも書かれているように、
一般論としては、規制緩和すれば、
それによって起こるさまざまな事態を
事後に取り締まる手間は増えるのだから、
規制緩和は、直接的には効率よい政府にはつながらない。

理想的な市場、理想的な労働力など存在しない以上、
市場原理でうまく調整できない部分が生じるので、
そこを法律でなんとかする、のが
国会のひとつの役割だと思う。
必要なことは、古くなった規制・慣習を適切に
アップデートしてゆくことなのだが、
これがなかなか難しいので、
衆知を集めましょう、というのが国会だ。

たとえば、偽装請負の問題についてみれば、
待遇の不平等が大きな問題で、
同じ場所で同じ仕事をしているなら、
同じ待遇、であるべきだろう。
そのためには、正社員の待遇が全体として低下する
こともしかたがない。それが現時点でのその企業の力、
ということになる。

しかし、今は、しわよせが、派遣される人にだけ
かなり偏っている、というのが問題だと思う。

さらに、朝日新聞で佐藤俊樹さんが
書いているように、世代間不平等があり、
ここ10年くらいに就職年代になった世代だけが
かなり割をくっているのも問題だ。
地域格差も大きい。

だから、派遣業者を規制するのも必要だろうが、
やはり、派遣法を再改正するなりして、
もっと、こうした点についての雇用企業側の
責任を強化し、罰則つきの規定を作ることが必要だと思う。

それにしても、国会なのだから、
「どうお考えですか」とか訊いて
政府の責任追及をするだけでなく、
具体的な改正法案の提出までいって欲しい。
政府側答弁も、「法令違反があれば厳しく
取り締まる」と言うのは、なんか変だと思う。

役所に文句を言ったときに、
「われわれは法律にのっとって仕事している」
と言われるのはやむをえない面もあるが、
法律を作ったり、改善したりする場である
国会で、「法令順守してゆく」は無いのではないか?
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見えるものを見ない力(再)-柄谷行人、漱石、村上春樹

2006-10-13 21:15:34 | 生きるヒント
「知的である」ということが、「見えないものを見る力を持つ」
ということだとすれば、逆に、知的であるからこそ、
「見えるものが見えなくなる」「見えるものを見ようとしない」
ことも起こる。

京極夏彦の最初の小説「うぶめの夏」は、
このテーマを正面から扱っているが、
こうした「隠蔽」、あるいは、集団的な無視、歪視、差別、
意味の「転倒」にとても敏感なのが柄谷行人だ。

たとえば、「マルクスその可能性の中心」に収められた
「階級について-漱石試論I」には、
有島と漱石を比較しながら次のように書かれている。

「漱石は、作品において、「中間階級」としての人間の葛藤
-自然と規範に引き裂かれた-をあたうかぎり描いている。
彼は一方で「自然」の衝動を肯定せねばならず、
他方でその結果としての「罪」をまぬがれない
という背反をくりかえし書いたのである。
だが、それは「人間存在」の普遍的なあり方だろうか。
むしろそれは漱石自身の「存在」あるいは「生活」にもとづいている。
そして、それは(当時の)「教育ある且尋常なる士人」
によって共有されたものなのだ。」

「性欲の自意識を露出した作家たちとちがって、漱石は抑圧された
欲望の象徴化機構を逆説的にとらえたといえる。「道草」という作品の
厚みはそこにある。しかし、「自然」や「不安」という
普遍的表現は、その転倒をそのまま形而上的におおいかくすのである。」

結局、漱石の葛藤は、急速に変化してゆく日本の中で、
「自然」(=地底)、あるいは、「自然主義的現実」
を無視することはできず、しかし、その一方で、
それを「獣に近い」と位置づけるしかなかった、
という点にあるわけだ。逆に言えば、そうした位置づけは、
漱石にとって「自然を馴らす」ための方法だった、のかもしれない。

漱石が、自身のそうした<やり方>に、
どれくらい意識的であったのか、は別として。

これに対して、有島は、「霊と肉」の葛藤を通じて
「最も深刻にキリスト教に内面を喰い破られた人間」として、
キリスト教を転倒することからはじめ、逆に、
プロレタリアート、という社会的観念に到達する。

「たぶん有島は漱石から何の影響もうけなかったが、その嫌悪は
ある認識を共有しているがゆえに生じたのである。この関係は、
いくらかショーペンハウエルとニーチェの関係に似ている。
ショーペンハウエルは、 will を、世界および自己の根底に
みとめた男であり、同時にそれを恐れて扼殺しようとした男である。
漱石も必死にそれを殺そうとした。そして、彼が実際の肉体的衰弱を
それの克服ととりちがえたとき、「則天去私」という神話が
できあがったのである。

この神話は1950年代に、江藤淳によって破壊された。
だが、やがて圧倒的にふくれあがった新中産階級によって、
新たな神話が形成されたのである。それは ”地底”の消滅の
結果にほかならない。この神話はもはや「則天去私」など信じない。
しかし、それは、漱石の苦悶、葛藤、不安、恐怖を
抽象的に昇華した上で、それを人間存在の普遍的な姿として
見出すのである。さらに、こうした非歴史的な思考は、
同時に、それ自身の歴史性を問わない歴史主義的な実証主義
によって補完されている。私が神話とよぶのは、
漱石論の基底にある、このような相補的なイデオロギーである。
漱石論の再考は、われわれがその上にある知的基盤そのものの
解体を迫るのである。」

”地底”は消滅したのだろうか?
現実的には、「抗夫」が働いた炭鉱は無くなり、
スラムもずっと小さくなった。喧嘩や暴力は減り、
人工的都市に暮らしていれば、恐ろしい、
獣のような「自然」を目にすることはほとんどない。

実際、漱石や有島にとっての葛藤のリアルさと、
現在の我々にとっての葛藤のリアルさには大きな違いがあるだろう。
我々は、ずっと文明化され、ある面では弱体化し、
不安、我々にとっての「地底」は、かなり抽象化されてしまっている。

しかし、もちろん、人間の中から「地底」が無くなることはない。
だから、それは、より巧妙に隠蔽されただけ、とも言える。

現在の我々の「文明基盤、知的基盤そのもの」を
疑わない人たちに、違和感を感じることがある。
まっすぐ素直に、自身の向上や成長、自身の属する組織の
成長、文明の向上を目指す人の姿は、
ある意味まぶしいのだが、しかし、やはり、
どこか違う、という感じがするのだ。

その一方で、疑い深い自分を省みて、
こんなにも疑い深いのは、愛が足りなかったからなのか?
愛とは信じること、なのだから・・・
などとも思うのだが。

それはともかく、村上春樹が漱石ととてもよく似ているのは、
第一に、こうした「地底=アンダーグラウンド」
への感受性であるだろう。

村上春樹も、おそらくは、疑い深い人なのだと思う。
(漱石に較べて、外からはそれほど不幸には見えないのが
不思議なのだが)そしてまた、その感受性にもかかわらず、
あるいは、それゆえに、そうした「地底」を、
野放しにはできず、扼殺、あるいは、慰撫するしかない。

それを不誠実、と言われることもあるのだが、
しかし、誠実に生きることは難しく、
大多数の日本人もまた、そうした不誠実さを抱えている、
という事実によって、村上春樹は読まれ続ける。

こうした観点から見れば、オウムが引き起こしたサリン事件は、
明らかに、こうした隠蔽に対して、突発的に現れた大きな亀裂、
意識的にせよ無意識的にせよ忘却していた「地底」の
「日常」への噴出であり、だから、村上が「アンダーグラウンド」を、
どうしても書かざるを得なかったというのは、とても自然だ。

村上の主観にとっては、それは、
デタッチメントからコミットメントへの移行、かもしれないが、
しかし、第三者的には、それは、やはり
地底を慰撫するための行為のように見える。

それはあたかも、荒ぶる神をあえて呼び出し、
そして、お鎮まり願う、ことによって、
それを封印し、心の平安を得る、という儀式に似ている。

文明は、地底=欲望をそのドライビングフォースにしているが、
その一方で、そのことを恥じ、
それを「野蛮」として隠蔽する方向に発展する。
逆に言えば、だからこそ、どんな文明も衰退する。
そして、辺境から、また、新たな地底、
新たな野蛮・野生が現れてくる。

しかし、そうこうするうちに、地球は温暖化し、
いまや、物理的な「自然」、が、再び、大きな牙を剥いて、
あらゆる文明を粉砕する日が近づいているのかもしれない。
だからこそ、そんな「文明」の知的基盤を疑っている場合ではなく、
とにかく、全力を尽くして自然の脅威と戦うしかない、のかもしれない。
自身の向上・成長、について真顔で語る、まぶしく輝く人々は、
それを察知しているのかもしれない。
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正義は自然には生まれない JFK

2006-10-12 01:03:10 | 映画・ドラマ・テレビ
「JFK」をレンタルして観た。

ケネディ暗殺の真実を求め、
その裏にあった陰謀を暴こうとする検事の物語。

オズワルドの犯行というのは怪しいらしい、
というくらいの知識しかなかったので、
こんなに大がかりだったとは、とちょっと驚く。

最後の法廷のシーンがクライマックスだが、
そこでの主人公の台詞が印象に残った(要旨だけ)

子供の頃、みんな、正義は自然に生まれると思っていた。
美徳だけが価値があり、善は悪に勝つ、と。

でも、今では、それは正しくないと知っている。

人間ひとりひとりが、正義を作らなくてはならない。
Individual human has to create justice.
そしてそれは、簡単ではない。

アメリカ的だが、しかし、
これが正しいのだろう。

人は、自然のみにては生きられない。
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閃輝暗点

2006-10-09 14:07:14 | 雑感
朝起きて、いつものように新聞を読んでいたら、
突然、視野の左側がチカチカしだして、よく見えなくなった。
片方の目を閉じてみても、どちらでもチカチカするし、
目を動かすと一緒に動くので、
どうやら、視覚第1次野の障害らしい。

脳梗塞だったりしたら、嫌だなぁ、
だいぶ老眼が進んでいるのに、これ以上目が見えにくくなると、
仕事に差し障るなぁ、などと思いながら、
横になっていたら、30分くらいで消えていった。
やれやれ・・・

そういえば、ずっーと昔にも一度経験したことがあって、
そのとき、頭痛と関連する症状だというのを読んだような
記憶がよみがえってきたので、Webで検索してみた。

どうやら、「閃輝暗点」という症状らしい。
まさに、この方のページにある図のとおりのチカチカだった。

このページには、発症の機序(についての推測の現状)
も書かれていて、大変参考になる。
血管の一時的な痙攣(というか狭窄?)によって、
血液が不足して起こる、
ということは、手足の一時的なしびれみたいなものか・・・
セロトニンが関係しているらしい。

昔、軽い鬱になったことがあって、それ以来、
秋から冬にかけては、毎年、うつっぽい気分に
なることがあるのだが、それとも関係するのかも。

上のページの下のほうには、誘因物質として
チョコレートがあげられている。
そういえば、最近、GABA強化のチョコレートを
毎日おやつに食べていた。これも関係するのかも。

幸い、引き続く頭痛は起こっていないので、
それはよかったのだが、でも、
頻発するようになったら大変だなぁ・・・

歳とともに、いろいろな不調が起きてくるのは
しかたがないのだが、このところ、ちょっと多い。
そろそろ一度、精密検査を受けたほうがよいのだろう。
でも、何か見つかると、それも嫌だし、
というわけで、延び延びになっている。
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シンドラーのリスト

2006-10-08 12:26:00 | 映画・ドラマ・テレビ
このところ、ちょっとだけビデオづいていて、
「シンドラーのリスト」をレンタルで観た。

実話にもとづいているので、こういう言い方は
とても不謹慎なのだが、お話としてみると、
戦争に乗じて、かつ、安い労働力を使って大儲けする、
というあざとい部分と、
それで儲けたお金でユダヤ人を救う、
という気高い部分が組み合わさっていて、
明瞭に善とも悪とも言い切れないところに、
妙味があると思う。

見ようによっては、終戦後の自己保身の一環と
言えないこともないわけだが、
しかし、うまくたちまわって大金を儲けることはもちろん、
収容所長たちと上手につきあうことも、
アウシュビッツまで行って交渉することも、
自分にはとうてい出来そうになく、
ただただすごい人がいたものだ、と思う。

破産とともに終戦がやってきて、よかった。
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クミョンの哀しみ

2006-10-08 12:03:09 | 映画・ドラマ・テレビ
チャングムの誓い第48話は、
ついにチャングムの復讐が成就した。
この回のためにこれまでの長い長いすべてがあった、
という感じ。
もうあとは、めでたしめでたしで終わってもいいのでは?

しかし、成就してしまうとかえって、
<どうだ!>という態度のチャングムがかわいく見えず、
今回いちばん心に響いたのはクミョンのセリフだった。

叔母様に燃やせと言われたけどできなかった。それが私。
一族の一員としては迷いを捨てきれず、
かといって自分の意志を貫くこともできず、
心から自分を信じることもできず、
心から自戒することもなく、
曇りのない才能を持つこともなく、
曇りのない真心を持つこともなく、
ひたむきな想いを寄せられることもなく、
ひたむきに恋に生きることもできず…

憶えきれなかったので、
参考にさせていただいたページはこちら

チャングムのような偉大な人間が作る影に入ってしまった
ごく普通の人間の気持ちが、完璧に言い表されていて、
とても哀しい、というか、なんかとっても共感してしまった。

すごい人って、もちろん必要だし、
遠くから見ている分には素晴らしいんだけど、
近くにいたら、けっこう迷惑、というか、
つらい部分があると思う^^;
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