日々の寝言~Daily Nonsense~

ブルックナーの魅力

このところ、ブルックナーの
交響曲第9番をよく聴いている。

音楽は好きで、基本的には何でも聴く
という性質だが、ブルックナーを
聴き始めたのはかなり遅い。

後期ロマン派を代表する作曲家の一人であり、
西洋古典音楽自体の一つの到達点、
ということで、あこがれてはいたのだが、
最初に聴いたときには全く理解できなかった。

とにかく長い。

そのうえ、メロディーがぶちぶち切れる。
そのメロディの並びに脈絡が感じられない。
部分的にはむやみに派手で感動的だったりするのだが、
それが唐突に出てくるという感じで、
全然、まとまった音楽として感じられない。

いったいこれは何?
というのが正直な感想で、
その後ずーっと聴かなかった。

その第一印象がひっくり返ったのは、
ライプチヒで、交響曲第7番を聴いたときだ。

ライプチヒには仕事で一晩だけ立ち寄ったのだが、
ちょうどその日の夜に、シノーポリが指揮する
シュターツカペレ・ドレスデンの演奏会があった。

ライプチヒといえば、ゲヴァントハウスのオーケストラが
世界的にも有名だが、そのゲヴァントハウスで、
隣町ドレスデンのオーケストラが演奏するという珍しい日だった。

地元びいきもあったのか、あまり人気が無かったようで、
チケットは当日の夕方でも余裕で買えた。
コンサートが始まっても、客席には空席が目立っていた。

しかし、演奏は素晴らしかった。
さすがシュターツカペレ、だった。

冒頭のチェロに支えられたホルンが
既にして天上的に美しく、
楽曲が盛り上がるところでは、
咆哮する金管とともに、
めくるめくように巨大な
音の壁が立ち上がるようだった。

オーケストラという楽器の表現力のすさまじさ。
手に汗を握りながら、身を乗り出すようにして
聴いていたのをよく覚えている。

こんなすごい音楽だったのか、と唖然とした。
(こういうのを「ブルックナー体験」と言うらしい。)

昔、脈絡が無いように思えた断片は、
相互に有機的に関係しているのだった。

それは、ちょうど、映画のシーンが切り替わるのと同じようで、
ひとつのエピソードが終わると、シーンが切り替わり、
別のエピソードが語られて、そしてまた、
元のエピソードに戻ってくる、というぐあい。
フラッシュバックやクローズアップ、あるいは
遠くからのショット、などが次々と入れ替わるのだが、
それが、全体としてまとまっているのだ。

それはまた、ある種のコラージュ、
モンタージュ、なのかもしれない。
激しく険しい断片と、穏やかで天国的な断片が
並置されることで、お互いの印象が強く引き立つ。

さっそくシノーポリのCDを買い、
さらに、シノーポリの演奏は標準的では無いらしい
ことから、他の演奏のCDも買い、それ以来、
4番、7番、8番、といくつかの演奏を聴いて、
最近、やっと9番に到達した。

第9番は、ブルックナーの最後の交響曲で、
第3楽章までしか作曲されなかった。
形式的には未完成である。

しかし、激しく躍動する第2楽章を挟んで、
感動的な第1楽章と第3楽章が対称的な
つくりになっているせいもあって、
未完成という感じは全くしない。

無駄なものが無く、全体的な完成度がとても高い。
(個人的には、8番は長すぎて、理解不可能なところが多い)
神に捧げられた音楽、とか、ブルックナーの「白鳥の歌」、
と言われているだけのことはある。

よい演奏で聴くと、
ブルックナー独特のピアニシモのトレモロ(原始霧)から始まり、
第三楽章の最後のホルンが静かに虚空に消えてゆくまで、
音のみによってつくられた宇宙に、完全に引き込まれる。
静寂に始まり、静寂に終わる。
曲全体が一つの生のようだ。

よいコンサートでは、曲が終わった後、
聴衆が現実に戻ってこれず、まったく誰も拍手できない、
という状態が数秒間続くことがあるようだ。

その重厚長大さのために、クラッシック音楽ファンにも
敬遠されがちなブルックナーだが、
ぜひ一度、よい演奏(できるだけライブ)
でお試しを。

9番の録音はいろいろあるが、
ジュリーニがウィーンフィルを指揮したもの、
ヴァントが北ドイツ放送響やミュンヘンフィルを指揮したもの
(年代が後のほうが良いらしい)
シューリヒトがウィーンフィルを指揮したもの、
チェリビダッケがミュンヘンフィルを指揮したもの、
などがお薦めらしい。

私がよく聴いているのは(チェリビダッケファンなので)、
チェリビダッケがミュンヘンフィルを指揮したもの。

むちゃくちゃ遅い(演奏時間最長)のだが、
ブルックナーの演奏でその名を世界に轟かせたオケが、
自信に満ちて、のびのびと、とてもきめ細かい表現をしているので、
音楽に全くたるみは感じられず、その宇宙に浸ることができる。
身も心も音楽に溶けてゆく、という経験が得られる。

追記:
交響曲第7番は、1884年 12月30日に、
アルトゥル・ニキシュが指揮する
ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団によって初演され、
大成功を収めて、ブルックナーが作曲家として本格的に
名声を得るきっかけになったらしい。
このとき、ブルックナーは 60歳!

7番をゲヴァントハウスで聴いて
ブルックナーに開眼?するというのは、
そういう意味では歴史的必然
だったのかもしれない・・・

追記2:
ブルックナーは 72歳で亡くなる間際まで
第9番の作曲を続けていて、残された様々な原稿や
スケッチを元に最終楽章を復元する試みが
継続的に行われている。

しかしまぁ、しょせんは復元で、
メジャーなところで演奏されることは
あまり無かったと思うのだが、
2015年にラトル+ベルリンフィルが、
補筆全曲版の録音を出していた。

YouTube で、楽章ごとに聴くことができる。

第1楽章
第2楽章
第3楽章
第4楽章

どうやら、2012年頃に新しい資料が出てきて、
復元が大幅に進んだらしい。

聴いてみたが、約22分の最終楽章は、
それまでのいろいろなモチーフを取り込みながら進み、
最後はかなり派手に盛り上がって、
神への讃歌のような感じで終わるので、
ブルックナーの最後の交響曲のエンディングとして
大変ふさわしいといえばふさわしい。

ただ、これまでの、3楽章のコーダで
消えるように終わってゆくのとでは、
全曲の印象が全く変わってしまう。

上に書いたように、3楽章で静謐に終わる、
というのに慣れてしまっているので、
なかなか素直には受け入れられない感じだ。
まぁ別の曲だと思えばいいのかもしれないが・・・
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