爆睡した翌朝です。
やっぱり曇天です。残念ですがこればかりは仕方がありませんね。
部屋からの瀬戸内の眺め
向きがよくわかりませんが
じーじのおばあちゃんが眠ってる
江田島はどっちかなあ・・・
ここは宇品島の南端やから
真南のこっちかなあとか思っています。
今ではおばあちゃんの家も更地になってるんで行きたくもあり行きたくもなし・・・・・
とりあえず良い天気は望めないんでまずは宮島に行ってから呉の叔母さんに会いに
ということに決めました。
今回のホテルここの12階でした。
懐かしい市電?宇品5丁目付近
このあたりに思い出が・・実はじーじですが
”スエズ運河”に行きたいと切望し
とある浚渫工事で有名な会社に入社。
導入教育をこのあたりで受講し
その会社でも楽しく過ごしたんですが配属先の船長とうまくゆかず退社し今の会社に
途中入社したという経緯でずーっと、サラリーマン生活を続けてきた次第です。
でも宇品の町が変わったのか、じーじの記憶が消えたのか当時の場所は
さっぱりわかりませんでした。時代は変わるもんですね。それよりも
2号線バイパスの便利なことと、みなさん凄い速度で飛ばすこと・・・あぶないですよ!
そんなこんな話をしながら宮島口に到着 さあ日本三景のひとつ宮島へ
この船で宮島へ
平日でしかも天気も良くないのに
結構な人出でした。
さすがに日本三景やねえ。
推古天皇のころやから1500年位前に
この社でないにしろ造営されてるんやねえ。
歴史・記録が残ってるのが凄いねえ。
じーじは、恥ずかしながら平清盛が造ったとばかり思ってました。
お腹も減ったし、宮島といえばあなご飯・・・・さあ昼食
おみやげ物店がいっぱいありました。
その中で目に付いた老舗風のお店に
おじゃましました。
外国人(西欧人風)の方も多かったですね。
天ぷらセイロに牡蠣ごはんを
あなごごはんに変更してもらい
いただきます!!!
ばーばが、一言”うなぎの方がおいしいね”。じーじも同感やねえ・・・・・。
しかもセコイ話ですが。あなごごはんに変更で500円アップ!!
どうも理解しにくいじーじでした。金額じゃあ無くって気持ちですわ。
別メニューにしときなさいよ。それが当たり前やろと思いました。
まあ、お店の考え方で、どうでもええことですけどね。
でもなんだかんだと言いながらも完食するじーじとばーばでした。
そしてお店を出るときは必ず言います。”ごちそうさまでした。”
この一言はどこでも必ず言っています。変にこの一言で気分が良いもんですよ。
この後ですが、上の写真の大きなけやきのしゃもじを見てから呉の叔母の家に。
何十年振りかでなつかしい呉のお宅にお邪魔しました。お宅の近所の石垣がはっきりと
記憶に残っていてそれがそのままだったので変にうれしいじーじでした。
ナビに関係なく”あぁ、ここや!!”娘の結婚式以来ですが叔母は元気そうで何よりでした。
叔父は、ショートステーにお願いしてるそうで、介護についていろいろお話でき
少しは叔母の話相手になれてほんとによかったと思いました。
叔母も持病があるので夕刻前にホテルに戻ることにしました。
部屋に戻ると、へえ。夕焼け・青空???
明日が楽しみやねえ。
と言ってると
従弟(呉の叔母の一人息子)から
夜に来るとのこと
彼は今日下関に出張のはずやのに
帰路わざわざ来てくれました!!!!うれしい奴ですねえ。
久しぶりに会えてほんとにうれしかったです。(彼も55歳・・あの頃は二十歳そこそこ)
彼が海洋学部の実習で神戸の海洋気象台で勉強していた頃
毎週のように洗濯物を持って奈良のじーじの実家に来てました。
昨日のように懐かしいもんです。
季節に関係なく親父の好きな湯豆腐でお酒を楽しんでましたね。
ポン酢の作り方の親父の講釈から始まってたねと奈良の頃の話やら何やらと
楽しい時間をばーばと三人で楽しめました。
下関から呉に帰る途中やのに、わざわざ来てくれてほんまにうれしいじーじでした。
なんか叔母にあえて従弟にあえてこれで充分満足やねえ・・・・。
明日はどうしようかなんか・・・・
岩国によって錦帯橋を見物してとっとと博多に帰るとするか・・・
ばーばと話しています。”今日は充実の一日やったねえ”