めぐみのひとりごと

これからどうしよう~。。。

という日記です♪

この世界に入ったきっかけの続き

2005-03-23 15:22:23 | Weblog
アメリカ旅行から帰ってきたら、周りは皆、就職活動で忙しそうにしていたのに、私は今、思えば何を考えていたのか・・・。アメリカ留学したいからお金を貯めるという口実で夜のバイトを続けていたけど、一向にお金は貯まらなかった。そりゃぁそうだよね。当時は自分を飾る事が一番大切に思っていたので、ほとんどはお洋服だの靴だのDCブランドに注ぎ込んで。それと、平行して、JALのスッチーになりたくて、全く就職活動をしなかったのです。結果は・・・。惨憺たるもので。卒業と同時に南のラウンジは辞めたものの、今でいうプー子になってしまったのです。もちろん、JALの試験も落ちていました。一緒に南でバイトしていた友達はしっかり貯金してNYに旅立ってしまい、仲の良かった友人は皆、一部上場会社に就職していました。一ヶ月間引きこもり状態。南の夜が忘れられなくて、おごってあげるから付き合って~と寂しい誘いを友達にしていた。あ~、なんか思い出したら惨めになってきた。。。そんなある日、南のラウンジ時代のお客様が新地のバーに連れて行ってくれたのです。そこのママに声を掛けられて、気軽な気持ちでアルバイトに行き始めたのです。高槻から電車で毎日夜の12時まで。新地という土地柄、お店の雰囲気、お客様の層が自分にピッタリあったのか、まるで水を得た魚のように、毎日が楽しくて堪らなくなったのです~。こんな自分が一流のビジネスマンの方に仕事のお話を聞かせてもらったり、行った事もないところにお食事に連れて行ってもらったり。もう好奇心の塊でした。色んな方に色んな事を教えてもらって感謝しなければ。そして、その年の秋にもう一回、JALの既卒の試験で落っこちて、スッチーへの憧れはキッパリ捨てたのでした。というか、さすが、面接官は見抜いてらっしゃると今になると思います。お勉強してきました!頑張ります!なんてフェイクは通じなくて当たり前だと本当、思うな~。その後、早く自立したくてラストまでのレギュラーにしてもらって、単身20歳の私はテンロクの公団の1ルームに越したのが、そもそも本当の意味でのキッカケだったような気がします。うん。独立した頃は2トントラックがガラガラだったのに、今やもう、荷物が山のように・・・。周りを見渡して、全部自分で働いて買ったもの。。。本当言うと、ちょっとは昔の彼氏に買ってもらったものもあるけど、いや~、ここまで来たか、という感慨がありますな~。微妙に悲しいけど。トホホ。。。