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第36期棋王戦予選▲加藤一二三九段-△佐藤秀司七段

2011年12月14日 | Weblog
【第1譜】
▽加藤の棒銀
 対局室に入った加藤は、まず盤の位置を調整。中腰になってズボンをずり上げ、ウンと頷きネクタイの結び目に手をやる。ややあって佐藤が入室すると、大きく丸い手で素早く駒箱をつかみ、勢いよくパカンと開いた。棋王2期の貫禄、2回戦では前年度新人賞の戸辺誠六段に、「加藤先生は強い。当たり前のように負かされました」と言わしめた。
 盤上に散らされた駒。早く並べ終えた方が勝ちという体で、次から次に手を伸ばしていく加藤。途中はきちんと升目に入っている駒がほとんど無いという有様だったが、並べ終えてから一枚ずつ「ハロー」と声を掛けるように、すべての駒の位置を直してゆく。佐藤はそのあたりで、ようやく大駒を手にしていた。
 両者のこれまでの対戦は佐藤5勝、加藤1勝。戦型は角換わり、矢倉、相掛かり、横歩取り、振り飛車とバリエーションに富んでいる。この日は途中図をご覧の通り、佐藤の四間飛車。加藤は右銀を3七から2六へと進めていく。その駒音は、騎士が馬にムチを振るうような迫力がある。
 2六に銀を進出して速攻を目指す棒銀は、加藤が長年指し続けている代名詞的な戦法。ふと目をやると佐藤が笑みを浮かべている。初めて体験する加藤の棒銀に、一人の棋士として胸を躍らせているのかもしれない。

【第2譜】
▽師匠の仇討ち
 指し始め図のあたりで塾生が入ってきた。加藤はピンと姿勢を正し、メニュー表も見ずに「寿司、特上」と、札入れから千円札を4枚取り出した。塾生は少し困った素振りを見せて、1300円の釣りを渡す。加藤は何事もなかったように札を受け取る。うな重の場合はあらかじめ背広のポケットに代金を入れておくのだが、寿司はまだ定跡化していないようだ。佐藤は静かに親子丼の上を注文した。
 佐藤は宮城県古川市(現在の大崎市古川)の出身で、同じく宮城県出身の中原誠十六世名人の一番弟子。地元支部では師範を務めるなど、普及にも力を入れている。
 本局は居飛車党の佐藤が四間飛車を選び、加藤の棒銀を誘った。ちょっと不思議に思い過去の出来事を調べてみると、その裏に隠された壮大な仇討ちの舞台設定が見つかった。指了図は平成10年と12年にA級順位戦で指された▲加藤-△中原戦の2局と同一で、いずれも加藤が棒銀の傑作と言える内容で勝利している。しかも後者の将棋は、中原のA級以上在籍29年間(名人15期)の最後の一局だった。それを見た一番弟子はどう感じていたか。
 佐藤の次の一手を見た加藤は大きく目を見開いた。現役生活55年強、これまでの研究にも実戦にもついぞ出たことのない局面が眼前にある。

【第3譜】
▽佐藤の新趣向
 昼食休憩後の対局室。加藤の脇にはスーパーの袋が置かれていた。最近は1リットルパックのりんごジュースがお気に入りのようで、これを矢継ぎ早に湯呑みに注いではクッパクッパと飲み干していく。斜めになった袋からは、出番を待つかのようにアンパンやチーズが顔をのぞかせている。その食欲に感心しながら控え室に戻ると、手付かずの特上寿司がポツンと置かれていた。考えたいときに考え、食べたいときに食べたいものを食べるのが加藤流のようだ。
 △5二金左と陣形を直したのが佐藤の新趣向。1筋を放置するのは危険なようだが、▲1二香成なら△同飛で振り飛車が素軽い陣形になる。
 ここからは未知の局面。▲1四歩に31分、△5一角に29分、▲4五歩には56分と両者とも慎重に駒を進めていく。▲4五歩では▲1八飛も自然に映るが、△1五角の鬼手がある。▲同銀は△3五飛、▲同飛は△1四香▲同飛△1二香の筋で後手が指せそうだ。
 △4五同歩に▲3七桂が加藤らしい本筋の駒さばき。こういった場面での遊び駒の活用は非常に参考になる。
 指了図の▲1四飛も飛車の働きを高める手。部分的には有効だが、ここではやや悠長に過ぎた。佐藤は扇子をパチリと鳴らし、強手をはなった。

【第4譜】
▽佐藤優位に立つ
 師匠の中原十六世名人が「道法自然」と揮毫した扇子を鳴らし、佐藤は△3五角と踏み込む。加藤は瞬間的に腰を浮かしたが、すぐに気を落ち着けるため席を立った。
 振り飛車対棒銀では、2六の銀がさばけたら居飛車成功。残ったら失敗とされている。佐藤の△3五角は居飛車にとっての懸案である銀と、自分の角を交換する大胆な発想。結論から言えば、この手は成立している。
 その要因は美濃囲いと舟囲いという玉形の差にあり、感想戦では指し始め図の▲1四飛が緩手とされた。図からは▲1一角成が優り、△3五角には▲同銀△同飛▲1二馬。△4四角なら▲同馬△同銀▲1四飛と銀取りで飛車を浮くことができ、まだまだ難しい戦いが続いていたはずだ。ここでのミスを境に、加藤には長く険しい苦行が課せられることとなる。
 対局室に戻ってきた加藤は後方の荷物入れを開け、何かしらの液体をジュッと吸い込んだ。小さな容器は持ち帰り用の液体調味料が入れられる「たれびん」のよう。まさかうなぎのタレ?いや、おそらくなんらかの甘味だろう。
 指了図は加藤が一直線の攻め合いを目指したところ。自玉は7筋、相手玉は8筋と一路の差は大きいが、受け一方では勝ち目がないと判断。佐藤はわずか1分の考慮で4筋に手を伸ばした。

【第5譜】
▽その判断は
 指し始め図を前にした佐藤の当初の読み筋は、△4八と▲5二成香△7六香▲7七歩に△5八とが詰めろで一手勝ちというもの。しかし読み直してみて誤算に気が付いた。次に△6八とと迫っても、▲8八玉と逃げられて先手玉は詰まないのだ。本譜の△4三同金は予定変更の妥協。もちろん、これで悪くないという読みの裏付けはある。
 指し始め図に話を戻そう。ここでは、やはり△4八との寄せ合いが正着だった。以下▲5二成香のときに△7六香ではなく、△5八と▲6一成香△6八と▲同玉△8五桂で後手勝ち筋。先手玉は△5九銀からの詰めろ、後手玉は7四香と8五桂がよく利いて詰まなくなっている。
 最速の勝ちは逃したものの、△4三同金と取ったところで佐藤の腹は決まっていた。残り時間は相手が8分、自分は43分。丁寧に自陣を固め、重くとも確実な攻めを続ければ結果は付いてくるはず。
 その判断は残酷なまでに正しかった。一手進むごとに後手陣は手厚くなり、先手陣は一枚また一枚と薄くなっていく。
 時刻は19時を過ぎた。随分前から特別対局室の手洗いは扉が開かれたまま。これは少しでも時間を節約したいという加藤なりの工夫のようだ。
 指了図の▲8六歩から加藤は一分将棋に入った。佐藤はまだ19分残している。

【第6譜】
▽真理との戦い
 ▲8六歩は、8四馬を圧迫しながら自玉の懐を広げた手。例えば△5八金の攻めなら▲7七金とかわす味が良くなる。
 この手を指したあと、加藤は上目遣いで佐藤を見た。その眼差しは年が離れた後輩を見るのではなく、将棋の真理に対して「この手で良いでしょうか」と伺いを立てているようだった。佐藤は視線に気付かず、クリスチャン・ディオールのハンカチでしきりに額の汗をぬぐっている。
 秒読みのなか、次々に降りかかる苦難から目をそむけず、ひたすら最善手を追い求める加藤。手番が回ってくると中腰になり盤面を凝視、そのままズボンをずり上げ、ネクタイの結び目に手をやりながら「あと何分ですか!」。これが一手ごとに繰り返され、盤上には加藤一二三と刻印された指し手が表現されていく。佐藤はリードを守るための手堅い順を選び続けており、一気に決める勢いはない。加藤の気迫がそう感じさせるのか、盤側からは差が詰まっているように思えた。
 一分将棋に入ってから加藤は一度も足を崩していない。それでも足のしびれは感じるようで、猫がノビをするように左足を後ろに伸ばす仕草を繰り返している。そんな中で指された▲3一竜は、遊び駒を活用する待望の一手だったが…。直後、佐藤の目に安堵の光が宿った。

【第7譜】
 △6六歩が決め手となった。放置すれば△6五金、本譜のように▲同歩と取ると△6七歩が痛打。△6六歩を見た加藤は脇息にもたれてガクリとうなだれた。
 図の▲3一竜では▲7七銀と手を入れておき、竜や馬を自陣に引き付ける順を見せるべきだった。形勢は依然として苦しいが、まだ頑張ることが出来た。
 ▲1一竜上から▲6一竜は形を作った手順。投了図以下は▲9五同歩△8八飛▲9七玉△9六銀から即詰みとなる。
 感想戦は1時間ほど。駒が片付けられ、佐藤は一礼して対局室を出た。加藤は席を立たず、おやつに買っておいたアンパンを取り出し、一つまた一つと食べ始めた。手品のように次々出てくるアンパン。視線は盤上に向いたまま、手と口だけが動き続けている。
 振り飛車に対する棒銀は常に自玉が薄く、攻め駒が取り残されやすい。苦労が多く敬遠されがちだが、突破、押さえ込み、速度計算などの技術向上。気持ちを切らさないための精神鍛錬には向いている。何より棒銀で勝つ充実感は、他では得られぬ麻薬的なものがある。
 加藤が将棋に情熱を持ち続けられるのは棒銀のおかげというのは言い過ぎか。ともあれ生涯現役を目指す加藤にとって、今日の一局も道半ば。明日からもまた棒銀とともに歩んでいくのだろう。
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