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習作は自由

2008年10月14日 | Weblog
【13日】
体育の日に美術館に行くという、倒錯的な日だった。
ちなみに行ったのは現代美術への視点6 エモーショナル・ドローイング。ドローイングいうのは線を引く作業。いわゆるデッサン、習作、下書き、ときには落書きのようなもの。
本作品に取り掛かる前に、思うままに線を引いてみたり、情念や観念をそのまま表現したり…そのあるべき姿に持っていくための、開放的でいて禁欲的な作業。時にはそれがそのまま本作品になることもある。

個人的に印象深かったのはアヴィシュ・ケブレザデの「中庭」と、 ピナリー・サンピタックと、奈良美智。

アヴィシュ・ケブレザデの「中庭」はドローイングとアニメーションを組み合わせ、ごく短く動きの少ない視覚から莫大な情報量を提示している。これは文章でも言えるけれど、百が入る器に百を詰め込んで満足するのは作り手の怠慢だと僕は思う。本当に質の高い仕事は、百を詰め込んでからギュッギュッと凝縮させ、どうにかこうにかスペースを作りだすこと。
たとえば原稿用紙に鉛筆を置くと文字が隠れる。けれどもその鉛筆を立てれば、隠れる文字は少なくなる。文章を立てることを意識するのは、職業として文章を書いている人間にとって最初に通るべき課題だろう。
僕は文章の質を論じるときに、それは一次元か二次元か三次元か四次元かと考える。縦横高さ時間…その次元が高ければ、それだけ多くのスペースが生じる。そのスペースは作り手が想像だにしないような、受け手の世界観を引き出すためのもの。いや、これはうまく説明できてないか。

ピナリー・サンピタックの作品は、ただひたすら対象物に向かい、それが一体なにものであるか、なぜそこに存在するのか、いまそれを見ている自分は何なんだという迷路を経て、結局は自分の目に見えたまんまのものが作品として残るという感じ。でも刻まれた皺は、現実にはどこにも刻まれていないけれど感じることができる。

奈良美智は、最近はすっかり有名人というか現代アートの旗手みたいな位置取りで、天邪鬼な僕はあまり好きではないけれど、昔のイタズラ書きみたいな習作は面白い。犬飛行機とか最高。あと、習作のなかにロゴのような文字が書き込まれているものがあった。今日見たのは習作で、完成品は見ていないから断言できないけれど、もし完成品でロゴが消えていたとしたら、そこに彼一流の手法を見出すことができそうだ。これはきっと、ほかの分野にも応用できるんじゃないだろうか。

7時頃に帰宅して、なぜかどっと疲れて寝込んだ。起きたらちょうど日付が変わるころだった。覚えてないけど、きっとグロテスクな夢を見たんだろうな。

今日は何ひとつとして仕事をしてません。競馬勝てません。生きていてすみません。


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2 コメント

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アート・スポーツ・マインドゲーム (KS)
2008-10-23 12:41:28
 奈良美智は私も嫌いで、でも自分が天邪鬼とも思わないし、
本当はああいうのを持ち上げて「アート鑑賞(感傷)」している人たちが天邪鬼だろう、とずっと思っています。昔の習作に今と違ったものがあるのなら、自分の目で見る必要はあるのかもしれない、とは思います。
 
 イラン生まれだというアヴィシュ・ケブレザデという人には、ごとげんさんの紹介で興味を惹かれました。私は、マフマルバフの映画も、ダルビッシュ投手も、好きです。

 ちなみに、最近「アートバブル」も崩壊したと聞きました。村上隆などとともに、奈良もずっとバブルの中にあった。プロスポーツもずっとバブルだと思うのですが、使い切れないくらい金を持っている人がやはり世界には沢山いるし、日本にも、目立たないようにしつつ沢山いるらしいですね。そして、とりあえずは、「いる」が「いた」になったのでしょうか。

 すると、プロスポーツも……、と、なって欲しいと実は私は思っています。サッカーも野球も、高度化は明らかだけれど、正直ワンパターンじゃないの? と皆感じてくる頃かと予想しているのです。アメリカ野球とヨーロッパサッカーの年俸は、いくら何でも異常ではないか。そこで、「マインドゲーム」が改めて見直される気運もあるのでは、というのは……甘いでしょうか?
Unknown (ごとげん)
2008-10-23 14:27:23
将棋はバブルが無いのが、良くもあり悪くもある点ですね。
将棋にバブルが訪れるとすれば、やはり世界中のコンピュータ会社が競合して羽生さんを倒しに来るときでしょうか。

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