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第32期棋王戦敗者復活戦決勝▲佐藤康光棋聖-△羽生善治三冠

2007年08月03日 | Weblog
▽敗者復活を賭けて
【第1譜】
 先に入室した佐藤は下座で羽生の到着を待つ。本局に勝った方が深浦八段と挑戦者決定戦を行い、そこで2連勝すれば森内棋王への挑戦権を得ることができる。敗れれば今期の棋王戦は終了。掛け値なしの大一番だ。
 
 9時53分に羽生が現れた。白いダウンジャケットが若々しさを感じさせる。滑らかな所作でそのまま上座へ付き、一礼してから盤上に駒を散らした。
 佐藤はお茶をチミチミと飲みながら振り駒を待つ。口を真一文字に結んだ羽生は正面を見据えている。5枚の歩が記録係の手を離れる瞬間、キッと視線を走らせたのは羽生。顔の角度を少しずつ下げながら正面に向き直り、顎をキュッと引いた。佐藤は動かず。
 と金が4枚、歩が1枚。


 
 途中図の▲9六歩では▲6八玉も考えられるが、△9五歩から右玉にされるのが気になる。戦上手の羽生に後手番で千日手含みに待たれるなんて、想像しただけで疲れてしまいそうだ。佐藤の考慮時間は6分だった。

 指了図の▲7八金は、▲9八香から▲9九玉と穴熊に組みに行く構想。玉側の端歩を受けて穴熊に組むのは、急戦にされたときに手が遅れる可能性がある。
「▲7八銀なら無難なんですが、穴熊に組みにくくなるので」(佐藤)
 少しでも得を目指すのがプロの将棋。そして、それを許さず咎めにいくのもプロの将棋。



▽没我の空間
【第2譜】
 指し始め図の▲7八金に対する後手の考え方は、持久戦志向の△5二金左、急戦志向△3二金や△3五歩。形を決めない△1四歩もあるか。 後手番での向かい飛車は、一手の遅れから苦労を強いられることが多い。戦いが始まれば差は出にくいのだが、そこに至る過程でバランスが崩れやすいのだ。

 羽生は足を崩し、頬杖をつき、目を見開いている。盤面のどこを見ているのか?一点に集中するのではなく俯瞰しているような印象だ。
 視線を落とし額に手を当て、ロダンの「考える人」のような姿勢で苦悶している。しばらくして、ごく小さく6つの音が漏れた。「トゥトゥティタッタットゥ」そして小さく舌打ち。音階はドドミレレド。なんのメロディだろうか?
 ふと前後に小気味よく揺れていた体が大きく傾く。顎に当てられた扇子がずれ、ガクッとバランスを崩したようだ。
 佐藤は腿に両こぶしをピッチリつけて正座。ほとんど動きはない。

 しばし中空を睨んでいた羽生は、正座に戻す一連の動作の中で△1四歩を指した。そしてそのまま前傾姿勢に。この手は26分の考慮だった。

 正午前。対局室に塾生が入り、佐藤の脇に天然水と銀色の盆を置いた。お釣りを受け取った佐藤は頷いてから▲5九銀と指し、すぐに席を立つ。盆の上にはお釣りの千円札が数枚、無雑作に置かれている。



▽異形の好手順
【第3譜】
 ▲5九銀は異形。6八に銀を持っていくつもりなら5七~6八のルートを選ぶのが自然だろう。羽生は佐藤が席を立ったところで「ん、うーん?」と漏らす。

 水の入ったグラス。羽生は揺れる水面をじっと見つめている。ふと思い立ったようにグイッと飲み干して「休憩に入れてください」。

 休憩に入れるというのは「休憩時間に入る前に指すつもりはないので、この一手の消費時間と休憩までの時間を足しておいてください」の意。
 昼食休憩は12時10分から13時までの50分。指し手が決まらないときや、決まっていても休憩時間を使って考えたいとき、もしくは腹が減っては戦は出来ぬと判断した場合に「休憩に入れる」。

 再開後に指された△3五歩は、銀が離れて手薄くなった3筋に狙いを定める構想。理想は△3二飛からの石田流だが、△3四銀から△1三桂として2五の歩を取りに行く手も考えられそうだ。
 ▲5七金は次に▲4六金と出て3筋への圧力を緩和する狙い。銀が出ていくより一手早く、そして手厚い。羽生も「▲5九銀からの3手にはビックリしましたが▲4六金と出られた形は手が作れないですね」と語ったように、異筋ながら佐藤らしい好手順だった。
 △1三桂に23分の考慮。漫然とした囲い合いは後手不満。先手が穴熊に組むのなら2、3筋でポイントを挙げてバランスを取る考え方だ。



▽緊張と弛緩
【第4譜】
 ▲6五歩は駒の効率を優先した一手。▲5五歩から歩を手持ちにし、△2五桂に▲2六歩を用意する狙いがある。この手で▲9八香を急ぐのは4六の金が取り残される可能性があり得策ではない。先手の命運はこの金をいかに働かせるかにかかっているのである。

 羽生の動作は相変わらず大きい。日常のリミッターを外し、将棋というプールに身を委ねているような印象を受ける。盤を見つめる目は、読みを入れている動きというよりも、水槽の熱帯魚を眺めているようだ。
 ▲5五同角。佐藤の指し手は早い。羽生より時間を多く残すことを意識しているのだろうか。

 △1五歩は羽生らしい指し方。基本方針は「4六金に触れないこと」だろうが、形勢は佐藤十分。早さを争う将棋は先手に分があるため、流れを緩くして除々にポイントを詰めていく必要がある。羽生は終局まで、"ほぼ"この方針を貫いた。
 午後5時。△5七歩を前にした佐藤は重心を前に移し、今にも襲いかからんばかりに大きく揺れている。
 羽生はあぐらのまま扇子をしょこしょこといじり、体を弛緩させているように見える。ライオンの毛づくろいといった雰囲気だが、時折何かに気付いたように厳しい形相で盤を睨む。

 37分で指された▲6八銀は攻めを催促した手。羽生は呼応して△2四飛とし、飛車の成り込みを見せる。



▽詰まる残り時間の差
【第5譜】
 待っているだけでは▲5七銀~▲6八銀と食い逃げされてしまうため、羽生は△2四飛と揺さぶりをかけた。▲3五金には△3七桂成で後手ペースになる。

 控え室の検討陣は、指し始め図から▲2八飛を予想の本線としていた。以下△3七桂成▲2四飛△同角▲3七桂△3六歩が一例。5七の歩が残ったままで飛車交換になれば、歩がと金に化ける可能性が高く、後手も十分戦えるのではと見られていた。が、館内放送のテレビモニターに佐藤の手が現れ▲2八歩が指されると「そういうものですか」と不満げな表情を浮かべる。
 それはそうだろう、検討陣としてはチャンチャンバラバラ駒がぶつかった方が楽しいに決まっているのだ。

 △1七桂不成は「これしかないが自信はない」(羽生)。「自信があったわけではない」(佐藤)と感想があるようにどちらも確信を持てない局面だったようだ。 ただ、佐藤からは強いて言えば先手持ちというニュアンスが感じられた。

 ▲3六歩から△1四飛までは縁台将棋のようにチャキチャキと進む。このあたり特に羽生の指し手は早く、△3二歩の局面では最大44分差だった残り時間が16分差まで詰まってきた。
 ギュッと顎を引いて盤面を見据える羽生。どんな競技においても、顎を上げる仕草は苦しさの発露といわれるが…。表情はひたすら険しい。



▽三人の羽生さん
【第6譜】
 両者は2006年1月から18局指し、結果は羽生の12勝6敗。1年でこれだけ指すのはすごいことだが、年間通して勝ちまくった佐藤がダブルスコアにされているのはさらに驚きだ。
 以前、とある棋士が面白そうに話していた。
 「羽生さんが多忙でも飄々としているのは、実は三人いるからなんです。将棋の強い羽生さんと、将棋の弱い羽生さん。それから…そうそう、佐藤棋聖に強い羽生さん。本当ですよ?」
 無論酒の席でのことなのだが、妙に説得力がある与太話である。

 18時20分。ぴっちりと閉じられていた佐藤の膝が開いてきた。体は左右にゆらゆらと揺れる。数分後に指された▲6八銀は、中央への飛車の転換を見せつつ自陣を引き締める好手に見えたのだが…。
「この手はおかしかったかもしれません」(佐藤)。

 佐藤が示した代案は▲5三歩△同金▲8六角として、次の▲3三歩成△同歩▲5三角成△同角▲3三飛成を狙う順。羽生も「飛車が成り込まれる順は自信ないですね」と認めていた。
 ▲6八銀と指せば△1七歩成▲5八飛までは必然。ノータイム指しを続けていた羽生の手はここで止まり、しばらくして駒音を立てずに△5四歩とした。2分の考慮は危機管理アンテナに引っ掛かったからだろうか。この手が勝敗を分ける重要な一手となった。



▽控え室に深浦
【第7譜】
 指し始め図の△5四歩は、5五に争点を作ってしまうため疑問。△5三歩と低く受けるべきだった。
 角の利きを消すと端攻めの味が無くなるため指しにくいが、もともとスピード勝負ではなく相手の攻めを遅らせるべき場面なのだから、ここも方針を通すべき。本局で羽生に唯一ブレが生じたのがここだった。
 本譜は▲5五歩の合わせから4六金を活用され、秤が大きく佐藤に傾いた。

 ▲3五歩に△同飛は▲4四金があるため、△1四飛は仕方ない。羽生は相手の戦力を少しずつ減らし、決め手を与えず長引かせる。
 18時40分。「んー」と立ち上がる佐藤。ネクタイをヒョイと肩にやってから「そうかー」と呟く。羽生はその後ろ姿をぼんやりと眺めている。
 佐藤、羽生とも対局中に「そうか」を連発するが、この「そうか」は見落としがあったときにだけ出るとは限らない。リズム、読み筋の確認、口癖などパターンは多く、イントネーションで推測するのも面白いかもしれない。

 佐藤が盤の前に戻ってきた。残り時間が24分で並び、佐藤が1分だけ追い越したところで▲4六歩が指される。グッと突き上げる好感触。
 控え室に深浦八段。勝者組で羽生と佐藤を連破し、本局の勝者と挑戦権を争うことになっている。△8五桂の局面で形勢を尋ねると「先手がずいぶん良さそうです」と断言。力強い。



▽消費時間のデータ
【第8譜】
 △1八とでは△4五歩が優った。以下▲同飛なら△3三角▲7七桂打△4四金で後手十分。さすがにその順はうまくいきすぎだが「何はともあれ飛車の横利きを通すべきだった」(羽生)。
 本譜は▲6四歩の味が絶品。8五の桂を狙いつつ、▲6三歩成から攻めを繋げる一石二鳥の好手だ。攻め合いの形にならない以上、火種を消す△6四同歩は仕方ない。

 ▲6四歩から▲5六桂まで双方ノータイム。▲5六桂を打つとき、佐藤の目つきが変わった。 羽生が△7四金と打ったところで、残り時間は佐藤16分、羽生17分。
 2006年の両者の対戦はここまで18局。双方持ち時間を使い切った対局は4局で結果は羽生3勝、佐藤1勝。羽生が時間を多く使ったのは5局で羽生4勝、佐藤1勝。 佐藤が時間を多く使ったのが9局。このパターンが最も競っており、羽生5勝、佐藤4勝となっている。

 △7四金に対し、佐藤は8五の飛車を掴み6五まで三分の一ほど飛び出してから、キュッと引き戻すように7五へ。やおら席を立つ。指された瞬間は表情を動かさなかった羽生だが、目の前に佐藤がいなくなった途端「うぇ?いやいやいやいや」と驚いた表情を見せた。佐藤が戻ってくると姿勢を正し、平然と△7五同金を着手した。
 △4五歩は遅ればせながら最後の抵抗。眠っている大駒を働かせて、最後の勝負どころを待つ。



▽立った座布団
【第9譜】
 △4五歩は飛車の利きを通すだけでなく、4二角を使う狙いがある。 具体的には▲6四歩△3三角▲6三歩成△同金のときに▲6三同桂成と金を取ることが出来ない。3三角が8八玉を射抜いているのだ。

 佐藤は▲4三桂成を選んだが、控え室で検討していた青野九段は「なぜ▲3四歩としないのだろう」と首を傾げていた。
 ▲3四歩に△同飛なら▲4三銀、放置すれば▲6四歩から食い付く筋が厳しい。羽生「ほっほう、なるほど。(△4五歩と指す前と)状況は変わらないですね」
佐藤「いやいや、さすが格調高いですね」。
 とはいえ本譜の順も手堅く、▲5四歩△同飛と呼び込んでの▲6五銀が好手順で先手不敗の態勢となった。 △2二角と王手する羽生の手つきには力がない。

 ▲5三成桂と指されたところで、羽生は机に出された残り時間の紙を確認する。一番上の段に60から51、一番下は10から1の数字が記され、全部で60個の数字が並ぶ。1分消費するごとに記録係が数字を消していき、2の数字が消えたところで一分将棋。羽生の残りは10まで消されているため9分となった。

 佐藤の拳が座布団にめりこみ、左側が垂直にめくれている。ピンと立った座布団の端が気迫を感じさせたが、無意識に引き寄せたであろう脇息が全てを隠した。
 
 佐藤の残りは7分。



▽骨の音
【第10譜】
 対局時の羽生は、なぜかエレベーターではなく階段を使うことが多いように感じる。手すりではなく壁にもたれ、心ここにあらずといった感じでヨロヨロと移動するのを何度となく見た。何度見ても、ついドキッとして心配させられてしまう。

 羽生のアクションが小さくなってきた。ぼんやりと盤を眺めてはいるが、手を読んでいる雰囲気はない。縮んでしまったようにすら映る。
 △3五角とする直前、羽生の赤みを帯びた指の背がコツンコツンと膝頭を叩いた。骨の当たる音が静謐な対局室に響く。指し手を待っている佐藤は、ひたすら前後に体を揺すっている。

 ▲7二金を見た羽生は首を突き出し、自玉のあたりを見つめている。対局開始時から引かれたままだった顎が上を向いた。もう逆転の余地はないだろう。

 ▲8六金で佐藤は1分将棋に。姿勢は変わらず、視線も後手玉にのみ注がれている。
 ▲8五桂と打たれた羽生は、つまらなそうに俯き、背中を丸めて唇をとがらせている。ここで両者1分将棋となった。
 
△8五同角に、すぐ▲同金。上と下の挟み撃ちで受けはない。先手陣は気が遠くなるほど、深く遠い。キュッと背筋を伸ばす佐藤。

 ゆったりとした動作でお茶を飲んだ羽生は、横を向いて軽く咳払いをしたあと、正座に戻して背筋を伸ばした。

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4 コメント

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Unknown (nd)
2007-08-18 21:38:01
観戦記*佐藤-羽生戦by烏.txtというファイル名で保存しました。棋譜と並べて鑑賞させていただきます。
ふむ (ごとげん)
2007-08-19 02:25:30
烏の名前で書いたものではないので気恥ずかしいですが、読まれたあとに感想を頂ければうれしいです。
Unknown (nd)
2007-08-21 20:07:26
随所にある動的な情景描写に引き込まれました。(ドドミレレドという文字列から、メロディーがすぐ浮かばず、あらためて音楽センスなさを自覚。)音を文字に変えるのは感覚、人それぞれですね。

10回に亘って書かれたのは、この棋戦の通例でしょうか?他紙の将棋欄だと第6譜くらいまでですか?
新聞には、各譜の手数範囲とその最終手迄の消費時間が書いてあるわけですが、あると判り易いです。
将棋はドラマですね。ありがとうございました。

ps:ファイル名の件、大変失礼いたしました。新聞のほうは別なんですね。挑戦者決定戦の中継棋譜にも、棋譜・コメント入力は--とありましたので、つい。

なるほど (ごとげん)
2007-08-21 21:23:18
第10譜まであるのは敗者復活戦の決勝だったからです。棋戦はスケジュール通り行くとは限らないので、何回に分けるかはケースバイケースだと思います。

ndさんのコメントを見て気付いたのですが、どんな将棋も手数表示(○手目という表記)は変わらないのだから、○手目というフレーズ自体に個性は無いんです。
(第○譜○手目▲○○○まで)と付記すると情報が具体的になってしまいますが、(第○譜○手目まで)だったら、すでになんらかのソースを持っている人にしかわかりませんよね。そうかそうか、なるほど。そのやり方ならすぐにでも使えそうですね。

あえて棋譜に関する情報を出さないのは、現在やっている事が最初のステップだからです。もちろん先のステップに進むことができれば、棋譜や図面を付けることも可能になるはずです。
やらなければいけない事は山積みですが、少しずつでも前に進みたいと思っています。

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