このはな日記

マスキングテープ専門店このはな店長日記。
使い方や情報などあれこれお知らせいたします。

ジャパニーズ・クイックフード「ねこまんま」

2008年04月24日 09時27分57秒 | Weblog
らら♪くらしの今週のメインのページが「卵かけごはん」特集だった。
ページを開いて「おぉ~」と思った。

今日手芸屋さんにいく道中に聞いたラジオで
「ねこまんま」について
トークしていた。
最近の話題でこの「ねこまんま」が一番反響が大きかったんだそう。
(ちなみに、2番目はパンツにフリルがいるか、いらないかだったそう)

スローフードやマクロビオティックという王道もあるが、
こんなカンタン・スピーディ・オイシイってのが
受けてるみたいです。

たまごかけごはん
   おくら・納豆・えのきの佃煮いれるとおいしいね
ねこまんま
   かつお節・ちりめんじゃこ・梅干いれるとおいしいね
ねばねばどん
   とろろ芋・納豆・おくらにお醤油

トッピングに「海苔」もサイコウ


写真:玄米を土鍋で炊いた
    おこげも出来て、蒸らすとおこげまできれいに取れる。
    ぷちぷち、ふっくらでおいしいよ。


修繕 感謝される魔法

2008年04月24日 09時21分35秒 | Weblog
好花は、着物リメイクの服の修繕は、無料でさせていただいている。
自分で着ている着物の服に関して言うと
ほとんど修繕の必要がない。
着方にも、現代の生活習慣が反映されているのだなと感じる。

化学繊維で出来ている服はほんとうに丈夫。
だから、頻繁の洗濯にも耐える。

しかし、天然素材
特に絹はそうはいかない。
まして、何代も着られた古いものは、
化繊と同じ感覚で扱うと、やはり耐え切れない時もある。

そして、その修繕は
生みの母である私の役目。
でも、「修繕無料です」と応えると
すごく感謝してもらえる。
みんな思いがけずにうれしいと言ってくださる。

でも、昔はどうだろう?
お古を着るのは当たり前だったし
そのために繕ったり、修繕は日常当たり前だったと思う。

軒を連ねてそれぞれのお店があり、
壊れたらそこに持って行って修理してもらえた。
はさみや包丁だって、刃先がちびるくらいに
一生使うもののはずだった。

着物リメイクの同業者に言わせると
この必ず避けられない「修繕」が難問らしいが、
かえってお客様との関係を近づけてくれる
魔法かもしれないなとこの頃思い方を変えるようにした。

アンティーク着物はいわゆる
骨董品を着るようなものだから
『安心』は欠かせないと思う。
そうでもして、着たいと思わせる魅力が古い着物にはあるから
わたしもできるかぎり応えてゆきたい。



連載4回目(中国新聞「らら♪くらし」)

2008年04月23日 09時37分03秒 | Weblog
20日日曜日連載4回目でした。

ネットが発達し、タイムリーな情報源であった
新聞の役割が変わろうとしている時期であると思います。

中国新聞さんも、このくらし面、カラー版になったりしていて
内容も『毎日読める雑誌』の感覚です
そこに連載させていただき、うきうき楽しく書かせていただいてます。



私が大学生の頃ですから、もう三十年になります。母の古着を拾い出しそれを今でも着ています。そろそろ当時の母と同じ年になりました。来年は着られるでしょうか。
当時流行のレースの服で古着であるのに褒めてもらえます。今でもレースの服を見かけますが、感触がまったく違うことに驚きます。
この頃昭和レトロ懐古が起こっていますが、昭和のものはこわれにくいんだなと母の古着からも感じています。
今は、大量生産・使い捨ての時代。レジ袋やトレーなどきれいに包装してあるのが当たり前。一度きりで捨てるのも「もったいない」と思わなくました。服も流行お遅れが買い替えの理由になります。
流行といえば、ブランド品は本来、母から子、孫へと使い継がれていくものだそうです。職人さんがていねいに丈夫にからです。日本でもこのよう使われるとステキですね。
ていねいに思いをこめて作られたものを、長く使っていく中で「愛着」が生まれます。  
今問題になっている心のストレスも、使い捨てる習慣が「大切にする感覚」を麻痺させているのかもしれません。              (アトリエ好花店主=倉敷市)

新作・着物リメイクスカート

2008年04月16日 10時20分24秒 | Weblog
今回のスカートは、前々から作りたかったものです。
黒とグレーの着物地を交互に8枚はぎ合わせています。

特長は
ウエストサイズがかなりゆったりさせたこと。
うちの今までの製品はウエストサイズ想定65~75センチ。
でも、これは、かなり限られたサイズであることを
お店を開き
お客様と接してみて感じました。

今回は75~85センチにしています。


また、柄も華やかなものが着てほしいんだけれど
実際には、それも勇気がいる事のようです。
落ち着いた中にも
ちょっとした華やかさを込めてみました。

※HPのほうのアップは、遅れます。
 着物リメイクスカート
 絹・裏地付き
 ウエスト75~85センチ(ウエストゴム)
 スカート丈61センチ
 定価:10,000円(税込み)送料別に必要


無意識でも種は蒔かれてる

2008年04月16日 10時16分05秒 | Weblog
今年の春に買った苗が花を咲かせるのを嬉しく眺めています。
しかし、もっとうれしいのは
去年ここにやってきた草木たちが、越冬し
新芽を覗かせ、花を付けててくれた時。
毎日、一通り「どれどれ」と成長を長めに行きます。

そして、
去年の冬に種を取ったコスモスのこぼれた種が
あちらこちらから、発芽して双葉を除かせているのです

何千粒かの種が零れ落ち
そのうちの十数個が、発芽した。

今、予想もしなかった新聞の連載をさせていただいたり
していることも、
たくさん、知らず知らずに蒔かれた種が目を出したのと同じだ
と感じています。

自分が毎日毎日していることの
ほとんどが無意識の行為であり
先を読んだり
こうしたいという強い思いに操られていません。

目が出て、「ああ、そうだった」と気付くことが多いのだと思います。

そうすると
それは、逆の場合もあり
悪い種も蒔かれているかもしれないんですよね。
発芽しなければ、存在に気付きにくいですけれど、
表れた出来事は、ほんの一部が顔を除かせて
自分では見えていない「事実」のほうが
多いんだろうなと感じます。


種は蒔かれた時には土の中で気付きませんが、
やがて
種は蒔かれた通りに目(芽)を出す。
そして、
自分が蒔いた種の収穫も自分で、ですね。

新聞連載3回目(中国新聞「らら♪くらし」)

2008年04月16日 10時14分04秒 | Weblog
13日日曜日、和ロハス日記3回目でした。
一番の得意ネタ「マイハシ」について書きました

気がつけばもう十年。ある環境講演会をきっかけにマイ箸を持つようになりました。使い捨ての割り箸の代わりに何度も使える「自分用のお箸」を持ち歩く習慣です。
今でさえマイ箸を使う人が増えましたが、当時は「それ何ですか? わざわざどうして?」と聞かれることもあり、説明しながらも、ちょっぴり恥ずかしさを感じていたなと思い出します。森林保護のためとか資源の有効利用と言うと何か大げさな気がして気がひけました。
当時、箸袋と竹を削ったお箸を手作りし「これで食べるとおいしいよ」と身近な人にプレゼントしていました。思う以上に喜こばれました。
「ステキでしょ?」と取り出しおいしそうに食事するほうが自然と広がるんだと気付くと、物にも思いを込めることが大切だと実感します。
節約や禁止といった我慢より、限りあるものを大切に、楽しみながら長く使う習慣を取り戻していくことが、「エコ」の根っこにあるのじゃないかと感じます。
先日結婚式の引き出物に「マイ箸」をお使いいただきました。「一膳のお箸のようにいつも一緒にいたいから」のメッセージを添えて。                 (アトリエ好花店主=倉敷市)


自己啓発ワークショップの落とし穴

2008年04月11日 10時53分37秒 | Weblog
どぎついタイトルでごめんなさい。
これは、一部読んでほしい大切な仲間のために書いたものです。



何らかの悩みや苦しみを抱え
それを解決するために参加すると思います。

ワークショップのなかで
それに向き合い、吐き出すという作業をします。
健全な講師の先生に当たればいいのですが、
万が一心に傷とラウマを抱えた先生に当たると
傷口を癒してもらうことで
生まれる信頼や尊敬がエスカレートして

ある種のマインドコントロールを生み出す
危険性があるということです。

宗教でもそうですが
思い入れが高じて離れられなくなる。
団体内で起こることに疑問を感じなくなる。

嫌だな
おかしいな
と感じても、抜け出せない自分を感じたら
危険信号だと思います。

どこでも、いつでも
嫌なら
カンタンに抜けれるし
また、入れるんです。

縛られる囲いなどないし、
この方法が絶対ということもないと思います。




和して同ぜず

2008年04月11日 10時51分31秒 | Weblog
もういっちょ。
「和」について書きたい気持ちがしています。

今私の周囲に、悲しい困った思いの方が何人もいます。
ある一人の人の起こしたことが
個人の問題という枠を超えて
みんなを悲しみに引きずりこんでいます。

それぞれが、
自分として判断し、
どうするか決めることしかないと思います。


相談したり
話を聞いてもらうことで
前に進もうと考えてしまうでしょうが、


指示をしてくれたり
意見をまとめてくれたりして
一緒に行動を起こしてくれる
人をみんなどこかで探しているんだなと感じます。

その怒りや悲しみの中に
加害の相手に何らかの形で制裁を加えたい
「思い通りにしたい」と動くことでの
問題解決は
さらに、傷口を広げていくことになりかねない
気がしています。

そこに関わる多くの人たちが
これ以上不幸に巻き込まれないように
するためには、
どうしたらいいのか・・・

「自分」を外し「みんな」の視点で考えられるようになると
怒りや悲しみは収まり
解決の方法が見えてくるのかもしれません。

和して同ぜず