禅的哲学

禅的哲学は哲学であって禅ではない。禅的視座から哲学をしてみようという試みである。禅を真剣に極めんとする人には無用である。

パラドックス

2019-01-10 14:51:03 | 日記

昨日は久しぶりに区のスポーツセンターに行きました。ひと汗かいて更衣室に戻ってきたら、小学1,2年生くらいの男の子3人がぺちゃくちゃと楽しそうにおしゃべりしています。

「ねえねえ、割り算って知ってる?」  「2割る1は2とか?」、「6割る3は3とか」

ここで私は聞き逃すわけにはいかないと思い、「6割る3はなんだって?」と聞くと、「‥‥‥」視線をこちらへ向けようともしないで黙ったままです。なんかフレンドリーな雰囲気ではありません。しょうがなく私は、「6割る3は2じゃないかなぁ」というと、さらに私のことは無視して、話題を変えてドラえもんの話を始めました。 

「ドラえもんのポケットって何でも入るんだよ。家でも自動車でも」

「どんな大きなものも入るの?」

「そう、どんなものでも」

「じゃあ、世界も入るの?」

「そう、なんでも入るから、世界も入るよ。」 

ここまで来ると、アマチュア哲学者は黙っていられません。

「へえーっ、世界がドラえもんのポケットに入ってしまったら、その時のドラえもんはどこにいるの?」と聞きました。相変わらず私の方は振り向かずに、一人の子が答えます。「そんなの知らないよ。」

私は、「だって、ドラえもんは世界の中に居るんじゃなかったの? その世界がドラえもんの中に入ったら、ドラえもんは一体どこにいるんだい?」と言いました。

やはり一人の子がそっぽを向きながらいいました。「知らない人と口を聞いたらいけないんだぁー」 

おせっかいおじさんはさびしかったというお話しです。

吾妻山公園 ( 神奈川県二宮町 )

ジャンル:
ウェブログ
コメント   この記事についてブログを書く
« そんな心配をする必要はない | トップ | ドラえもんのポケットに世界... »
最近の画像もっと見る

コメントを投稿

日記」カテゴリの最新記事