禅的哲学

禅的哲学は哲学であって禅ではない。禅的視座から哲学をしてみようという試みである。禅を真剣に極めんとする人には無用である。

禅的現象学 その2 地動説と天動説、どちらが正しい?

2024-08-15 16:44:43 | 哲学
 前回記事では、「私達は既成概念によって構成された世界観にものごとを当て嵌めて解釈しようとする傾向がある」ということを述べた。「 構成された世界観」とは私たちが今までに蓄積した経験知のこと、科学知識や一般常識などが整合的に織り込まれたものである。私たちはある事象に出会った時はほぼ無意識の内にその経験知に照らして、それらのことどもを解釈しまたそれに対応しているのである。フッサールはそのような私たちの傾向性を「自然的態度」と呼んだ。私たちが自然的態度で物事に臨むことは円滑に生活するためには必要なことでもある。しかし既成概念によって構成された世界は真正の世界ではありえない。そこでフッサールはものごとを根本から考えるには自然的態度を棚上げ(エポケー)して、直観による直接経験に立ち還る必要があると考えたのだ。以上は前回記事のおさらいである。

 今回は面白いエピソードをとりあげよう。もう半世紀よりもっと昔の話になるが、日本法相宗の本山・薬師寺の管長であった橋本凝胤師と弁士上がりのマルチタレント徳川夢声の間で「天動説と地動説のどちらが正しいか?」という大論争が起こり、その内容が週刊誌で取り上げられたのである。橋本凝胤が天動説、徳川夢声が地動説派で次のようなやり取りが行われたらしい。

  夢声 : ‥‥ それで天の方がぐるぐる回ってるんですか?
  凝胤 : まわっとるんです。
  夢声 : その方が便利かもしれないが‥‥。
  凝胤 : いや便利もなにも、その通りなんですよ。あんたら勝手に‥
  夢声 : 「あんたら」とおっしゃるが、その方が大多数です。
  凝胤 : 日本人ちゅうもんは、そればっかりやで。
        そう教えられたからそれに違いないと思うて‥‥。

そう、たいていの人はそう教えられたから地動説を信じているだけのことである。実は、橋本凝胤さんは東大の印度哲学科出身のインテリである。一応地動説についてもそれが整合性のある説明であることは理解していると考えるべきだろう。その上で、「こっちがじっとしているのに、朝になっておてんとうさまが出てくる。向こうが勝手に動いてるのやよってにな。」という実感(事実)を忘れてはいけないということを言っているのだと思う。

 このエピソードは無門関第29則「非風非幡」(<==クリック)と全く同じである。この両者のやり取りをもし六祖恵能大師が見ていたなら、やはり次のように言うに違いない。

 「天が回っているのではない、また地が回っているのでもない。あなた方の心が回っているのだ。」と。
 
天(太陽)と地(地球)のうちのいずれが回ると言っても、現象を天体の運行という科学モデルに当て嵌めようとしていることに変わりないのである。つまり、天動説と地動説のどちらも、自分自身が持っている概念の枠組みによって説明しようとする自然的態度を棚上げしきれてないのである。

(まだまだ続く)

三島 源兵衛川 (記事内容とは関係ありません)
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禅的現象学 その1

2024-08-14 06:17:48 | 哲学
 現象学と言えば哲学に詳しい方ならばすぐにフッサールの超越論的現象学を思い浮かべるだろうが、もともとは事象そのものをありのままに記述しようという哲学的な運動のことらしい。「事象そのものをありのままに記述」するためにはものごとを偏見無くありのままに見つめなくてはならない。この「偏見無く」ということがとてつもなく難しい。「私には偏見などない。」と胸を張る人がいるかもしれないが、哲学が要求する「偏見無し」というのはもっと厳しいのである。

 例えばあなたがカルチャーセンターへ現象学の講義を受けているとしよう。先生はカバンからおいしそうなリンゴを取り出して机の上に載せる。そこで先生は「今、『机の上にリンゴがある』という命題(言明)は正しいでしょうか?」とあなたにに問いかける。そこであなたは当然「正しいです。」と答える。そうすると先生は「では、このリンゴをまわしますので一人一人手にとって確認してください」と言う。そして、実際にそれを手にしてみると、実際のリンゴの感触とは全然違う。それは陶器で出来たリンゴの模型だった。つまり、「机の上にリンゴがある」という命題は偽である。

 誰だってそんな勘違いがある。そんな些細な錯覚を偏見だというのは言い過ぎではないかと言いたくなるのも尤もである。大抵の人はその陶器で出来たリンゴの模型を本物のリンゴであると勘違いするのである。しかし結果として、「机の上にリンゴがある」という言明が間違っているということも事実である。ここで言いたいのは、私達は今までに経験によって構成された世界観にものごとを当て嵌めて解釈しようとする傾向があるということである。強調したいのは「構成された世界観」ということである。あくまでそれは構成されたものであって本物ではないということなのだ。

 その構成要素としての経験には科学的知識なども含まれる。その膨大な知識体系により、私達は何時の間にか「リンゴがそこにあるから、反射された可視光が視神経を刺激して赤くて丸いものが見える。」というふうな偏見に満ちた考えをもつにいたるのである。というと、あなたは「それのどこが偏見なのだそれは事実ではないのか?」と言いたくなるに違いない。経験的に得られた知識に当て嵌めて考えている時点で、現象学的には既に偏見にまみれているのである。あなたはいつの間にか科学的知識によって「リンゴがあるから赤くて丸いものが見える」と考えているが、それは事実ではない。本当のところは逆なのである、「赤くて丸いものが見えているから、そこにリンゴがあると想定している」のである。あくまで「リンゴがそこにある」と言うのは想定であって事実ではない。あくまで事実は「赤くて丸いものが見える」ことだけである。この時「赤くて丸いものが見える」ことを哲学用語では「直観」という。

 現象学ではまずこの直観したものこそが始原的事実であるという考えから始まるのである。実は禅においてもこれと同じことが言えるのである。禅においては『あるがまま』の世界を受け入れよとよく言われる。思惟するということは既成の知識体系にものごとを当て嵌めることに通じるから無念無想というのである。不立文字というのも同様である。言葉にするという行為自体がものごとを既成概念に沿って処理しているということだからである。言葉にしたことはすべて間違っていると言っても言い過ぎではないのである。しかし、その辺の消息を伝えようとしてもわれわれには言葉しかないわけだから、説明が余計回りくどくなりその結果、不立文字を標榜する禅の書籍の量は他宗を圧するような結果になっている。結局最後には一切皆空で結ぶしかないところに落ち着くのにはそういう事情がある。

 雨の日に坐禅をしていると、指導僧に「雨音と一体になれ」というようなことを言われるかもしれない。そのうちに指導僧の言った言葉を理解するようになる。その時あなたは雨の音だけを直観していて、他にはなにごとも考えていないのである。禅者はそのような訓練を繰り返し、偏見を排除した素朴な世界の妙を感得するのである。 
 
(つづく)  
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保科正之

2024-08-11 16:35:25 | 雑感
 ドラマの水戸黄門を見ていると江戸城への登城シーンで天守閣が映し出されていた。これは時代考証の点でかなり問題がある。というのは江戸城の天守閣は明暦の大火(1657年)で焼失していてその後再建されることはなかったからだ。徳川光圀は1628年生まれだが、明暦の大火の頃はまだ二十代の青年だった。ドラマの「水戸黄門」は光圀の隠居後の話なので、江戸城に天守閣がある訳はない。

 天守閣の焼失後、直ちに再建されるべく加賀前田家によって石垣の天守台が築かれるが、 そこで待ったをかけたのが保科正之である。彼は先ず江戸の復興が大事であり、防衛上も大して効果があるかどうかが疑わしい天守閣などに費用と労働力をつぎ込むべきではないと主張したのである。それで以後天守閣が再建されることはなかった。結局徳川政権270年の内の大部分200年間は江戸城に天守閣なしだったのである。

 正之は第二代将軍秀忠とさして身分の高くない女性の間に生まれた子であった。当時の制度では、側室として認められるには正室の許可が必要とされていた。秀忠は天下の将軍なのだから堂々と正室にその旨申し入れすれば良いと思うのだが、なぜかそうはせずに秘密裏に信州高遠藩主である保科正光にあずけられたのである。秀忠の正室は美人で有名な浅井三姉妹の末娘お江の方、つまり淀君の妹でもある。秀忠とお江の中は良好であったらしいが、美人の奥さんに対して多少の気遣いがあったのかも知れない。結局お江の方には正之の存在は伏せられたままであった。

 正之が保科正光にあずけられたのは結局幸運だったかもしれない。我が子を預けるなら誰だって実直な人を選ぶはずである。正之自身もやがて立派な名君として謳われるほどの人物に育ったのである。徳川家の庶子は「松平」姓を名乗るのが通常であるが、彼はその出自が公になった後も終生「保科」姓で通したのは養親に対する恩義を感じていたからであると言われている。

 一般に身分の高い武家においては兄弟の情というものは育ちにくいとされている。生みの母とは切り離されて乳母に育てられるからだろうか、血の通った実の兄弟より乳母の息子である乳兄弟の方がより近しい関係になる場合が多い。(春日局の息子である稲葉正勝は家光の信頼厚く、最終的に8万5千石の大名にまで取り立てられている。) 三代将軍徳川家光と駿河大納言徳川忠長はともに秀忠の正室お江の方の子(家光はお江の子ではないという説もある)でありながら、子どもの頃から仲が悪くライバル同士でもあった。家光が将軍となった後に、「謀反の疑いあり」として忠長は切腹させられている。
家光と忠長はお互いに嫌い合っていたが、正之はこの両人からともに好かれているのである。おそらく正之は誰が見ても私心のない人と分かる、そういう人だったのであろう。

 征夷大将軍という孤高の権力者である家光は孤独であったに違いない。彼にとって何よりも信頼できる相談相手が必要であった。腹違いの弟に対する彼の傾倒ぶりは一方ならぬものであった。四代将軍となる彼の息子家綱に対し、「(正之を)兄と思い、頼りなさい。」とまで言い残している。正之は家光の期待に応え、家綱の後見人として大いにその手腕を発揮します。

彼の主な施策を挙げると、
 ・殉死の禁止
 ・江戸城防衛の観点から反対する者がいたにもかかわらず、玉川上水の掘削を
  すすめた。
 ・大名の死後後継ぎがいない場合お家断絶となり浪人が増えてしまうので、
  末期養子制度を認めることにした。
 ・明暦の大火の際に町人に対し16万両もの救済金を施すことを老中らの反対を
  押し切って実施した。

等々、彼の政策は常に民心の安寧と平和を志向していたと言える。そして関ヶ原以後未だ残っていた荒々しい戦国的風潮の武断政治から文治政治への大いなる変換をもたらしたとされています。徳川の平和な治世が270年も続いた第一の功労者に挙げる人もいます。
  
 正之は結局会津23万石を与えられ会津松平家の始祖となるのだが、家光の厚い信頼に対し恩義を感じ、家訓の第一条に次のように書き残している。

一、大君の儀、一心大切に忠勤を存すべく、列国の例を以て自ら処るべからず。
若し二心を懐かば、 則ち我が子孫に非ず、面々決して従うべからず。

「徳川宗家に忠義をつくさないものは私の子孫ではないから誰も従ってはならない」というのである。この家訓は後々まで忠実に守られることになる。幕末においても、会津藩は最後まで幕府軍の中心として明治政府に抵抗することになったのである。

 現代から見れば、保科正之も権威主義的な封建的秩序の中の倫理観に従ったに過ぎないと言えるかもしれない。しかし、私心なく誠実につくすという態度はいつの時代の政治家にも要請されることだと思う。保科正之のような政治家が現代にも出てきてほしいものである。

江戸城天守台。結局この上に天守閣は作られなかった。
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分断は民主主義の敵

2024-07-24 08:38:40 | 哲学
 みんな民主主義を口にする。北朝鮮だって正式国名は朝鮮民主主義人民共和国である。トランプも自称民主主義者で「民主党は反民主主義だ」と言って批判する。現代において「民主主義」であることは「正義」とほぼ同義と言っても良いような気がしてくる。

 民主主義において人々の権利はすべて平等とされている。しかし、諸政策によってもたらされる利害は人それぞれである。つまるところ、ものごとの決定は多数決によってなされることになる。かくて、人々は多数派工作に奔走するようになる。ある人々にとっては「民主主義=多数決」なのである。

 多数決は民主主義に取ってなくてはならない制度ではあるが、それはある意味において必要悪とでもいうべきものである。民主主義の前提はあくまで人々の平等というところに根差しているのである。各個人はみな等しい権利を有しているのでなくてはならない。多数決は少数派に不利益をもたらすことを多数派は決して忘れてはならない。各個人はみな等しい権利を有しているのならば、民主主義において他者とはもう一人の自分であると考えるべきである。もう一人の自分である他者の権利を守ることによってはじめて「私」としての自分の権利が守られるべき正統性を得るのである。
 
 最近の世界の動向として「分断」ということがよく言われている。アメリカではトランプ主義者、ヨーロッパでも過激な右翼的政党が台頭してきている。それらに共通しているのは移民排斥、自国(自民族)優先ということのようだ。トランプの支持勢力の中心となっているのはいわゆるプア・ホワイトと呼ばれる白人の低所得者層であると言われている。彼らは本来自分が受けるべき当然の利益を移民や外国企業に横取りされていると考えているらしい。彼らほとんどの祖父母やそう祖父母が移民であったにもかかわらずである。「アメリカ」から恩恵を受ける資格を自分に都合よく線引きしようとしているのである。「その資格が自分にはあるが彼らにはない」というその考え方が分断を生む。
 
 他者の権利の尊重なしに民主主義はあり得ない。民主主義には他者への寛容性が必須である。民主主義者はダイバーシティを受け入れなければならない。最近の政治家もダイバーシティという言葉をよく口にするが、どうもそれを単なるファッションかなにかと勘違いしている人が多いような気がする。

 民主主義は耳障りのよい言葉ではあるが、自分の利益を最大化しようとする人間の性質とは本来相いれない思想である。高度な理性と忍耐があってはじめてそれは実現する。むしろ権威による専制主義の方が人間にとって自然であるとさえ言えるかもしれない。私たちは忍耐強く慎重であらねばならないのである。
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学歴詐称をするような人が日本の首都の顔で良いのか?

2024-06-21 19:16:03 | 政治・社会
 東京都知事選を迎えて、小池百合子さんの学歴詐称ということが大きな話題となっている。実際に彼女が学歴詐称したのかどうかを私は知らない。が、実質的にそれに近いことをしたのだと私は思っている。形式的な意味においては、カイロ大学自身が正式に彼女の卒業を認める声明を出しているのだからそれを覆すことはたぶんできないだろう。しかし、彼女の学歴詐称の疑いの発端となった、かつての同居人である北川百代さんの述懐がとても具体的で説得力のある話であるのに対して、小池さんはそれに対して全然反論していないのだ。具体的な事には一切言及しないで、「卒業証書がある。カイロ大学が声明を出して証明してくれた。それ以上のなにが必要か?」の一点張りである。私から見れば、ぼろを出さないために具体的な言及を避けているように見える。」以上のことから、外形的にはともかく、実質的に彼女は学歴詐称しているに違いないと私は確信している。
 カイロ大学というのは軍情報部に支配されており、それで軍の有力者に近い外国人子弟は優先的に入学できるそういう特別枠があるらしい。小池さんのお父さんはナセル時代からの政府要人のコネを通じて彼女をこの優先枠に送り込んだようである。 ここで注目したいのは、あのサダム・フセインもその外国人優先枠によってカイロ大学に入学しているという事実である。しかも、フセインがイラクの要人となったときにエジプト側から「カイロ大学の偉大な卒業生」という声明が出されたという。しかし、フセイン自身は「カイロ大学法学部を2年で中退」したことを自ら明かしているのである。こう言った事情を鑑みれば小池さんのカイロ大学卒業は限りなくあやしいと言わざるを得ない。この辺の事情は浅川芳裕氏の記事「エジプト軍閥の“子飼い”小池百合子の運命」を参照されたい。
 実際に東京都からエジプトへの援助金が支出されてもいるわけだから、もし浅川芳裕氏の記事が事実に基づかないものであったとしたら、これは小池さんに対する重大な名誉棄損である。都の予算を采配する立場として外国に弱みを握られているというような指摘を受けている以上、訴訟を起こすのが当然と言うより公人としての立場からはむしろそれは義務である。なのに一言の言及もないのはどういうわけだろう、不可解である?
  
 小池さんはテレビ局出身だけあって物言いがはっきりしていて大衆にアピールするもの言いは非常にうまい。しかし、自分の都合の悪いことについては素知らぬ顔をして徹底的に黙殺する。坂本龍一さんが、明治神宮外苑地区の再開発の見直しを求める手紙を東京都の小池百合子知事にしたためた。すると彼女は「事業者の明治神宮にも手紙を送られた方がいいんじゃないでしょうか」と木で鼻を括ったような答が返ってきた。明治神宮に文句を言ったところで、経済的理由により外苑を再開発したいのに決まっている、それを許可したのが東京都である。まるで自分は当事者ではないような態度は如何なものか。 9月1日の関東大震災の朝鮮人犠牲者追悼式典に小池さんは追悼文を送らなかった。小池さん以前の知事はその政治的立場に関わらず毎年送っていたのに、小池都知事に代わってからはそれを取りやめてしまった。そのことについて聞かれても直接的な理由は述べず、「犠牲となったすべての方々に哀悼の意を表しており、個々の行事への送付は控える」 とだけ繰り返す。言うまでもないが朝鮮人犠牲者追悼の意義は単なる震災による死者への追悼ではなく、民族的なヘイトクライムに対して「我々は二度とそれを繰り返さないという意志表明である。そういった事情には一切触れないよう黙殺する。ここに彼女の冷淡な性格が如実に表れている。

 私が小池さんを初めて知ったのはもう40年以上も前になるだろうか、彼女はフジテレビ「竹村健一の世相講談」という番組に竹村健一のアシスタントとして出演していた。番組中では竹村健一によくいじられていたなかなか愛嬌のある可愛らしい女性を演じていた。その頃は現在の貫禄ある東京都知事の雰囲気はみじんもなかった。そういう軽い感じのキャラクターで通すのなら、学歴詐称も大目に見ることもできる。『カイロ大学文学部首席卒業』という大ぼらもご愛嬌というものかもしれない。しかし、彼女はそのGDPがエジプト一国をはるかに上回るという大東京の首長である。この問題を若気の至りとしてすますわけにはいかないと思う。

 彼女への投票を一票でも減らしたいと思ってこの記事を書いたのだが、なんだかだ言っても結局都知事選は小池さんの圧勝で終わるような気がする。残念である。

※イスラム思想研究家の飯山陽さんの面白い動画がyoutubeにあるので興味ある人はご覧されたい。
ここまで馬鹿にされて黙っているのは都知事として如何なものか。まあ、本当のことを言われているのなら黙っているしかないだろうが‥‥。
 

東京都庁
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