毎日のできごとの反省

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東京の災害の碑

2019-10-31 22:05:53 | 歴史

 東京都内には、結構、災害の碑が多い。しかも古いものは小生の知るものでも江戸時代に遡る。意外に思われる方も多いかも知れないが、東京の地も数々の災害にみまわれていたのである。小生の見た碑の災害とは地震と津波とそれから空襲である。空襲を災害に入れるのは意外に思う人があるかも知れないが、一晩に10万人の死者を出した東京大空襲は、被害者にとっては理不尽な災害そのものであったのに違いないと思う次第である。

 東日本大震災の後には、災害の痕跡をどのように残すかという議論がなされた。それならば、先人が残したこれらの災害の碑も、もっと大切にされてもしかるべきであろう。というのは、これらの碑の多くは、辛うじて近隣の人たちの好意で保存の努力がなされているだけで、碑の説明文すらないものが多いからである。ここに紹介するのは、そのほんの一部である。

①波除碑:江東区牡丹三丁目の路傍にある。寛政三年の深川辺を襲った津波の碑であるが、空襲と震災による損傷が激しい。

 

②波除碑:江東区木場洲崎神社内にある。①と同じ津波の碑であるが、幕府はこの周辺を買い上げて空き地とし、ここより海側に住むことを禁じたが、その後人々は忘れ、住宅密集地となっている。この碑は都指定の文化財となっており、比較的詳しい説明の看板が設置されている。しかし、肝心の碑は破損して何だかよく分からないのが残念である。

③大正震火災横死者追悼碑:隅田川の白髭橋上流の東白髭公園東北の道端に、日露戦争の記念碑、朝鮮の壬午事変出征の碑とともに何の説明もなく建っている。看板等はないが手入れはされているようで状態は良い。このあたりは、東京大空襲の被害を受けていないと見えて、三つの碑には焼損の痕跡がないことが幸いである。

 これらの3つの碑は身の丈の倍くらいある巨石から削り出したものであるが、ここにまとめられて建っているのは偶然ではなく、何らかの折に近隣から移設してまとめたものと推定するが、残念なことに碑の説明すらないので、皆目見当がつかない。東日本大震災の碑を大切にするのと同様に、これらの碑も大切にすべきと言いたくなる所以である。

④東京大空襲の碑:隅田川の言問橋右岸の北側たもとにある。言うまでもなく、昭和二〇年三月十日の東京大空襲の犠牲者慰霊の碑である。御覧のように、いつも献花などがされているのには感心する。

 

 

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