身近にあれば「いつでも行ける」と思う。
69年の人生で、そうやって、見過ごしてきた事が数多くある。
人に聴くと結構同じ気持ちらしい。
身近なところでは通天閣。
浪速の名所なので、下は何度も歩いたことはあった。
ところが展望台まで上がったことがない。
若いころは人ごみや賑わいが大好きだった。
だが、齢を重ねると億劫になる。
ノンビリがいい、煩わしい、となる。
こんなじゃ、なかったのになあ。
人混みの典型はお祭だ。
祇園祭もそうだった。
コンチキチン。
独特の音色は心地いい。
季節になると阪急梅田、京阪淀屋橋でおいでやす、とコンチキチンが誘う。
その雰囲気、飲み会などで京の祭風情は味わったことはある。
招待されたこともあるが、押し合いへし合いが、どうも苦手。
酒場へ行くか、龍馬の墓参りで東山に行くか。
へそ曲がりは、道も曲がる。
なので、山鉾巡行などの本番は回避。
じっくり見たことがなかった。
で、今夏、元気なうちに、と一念発起。
初体験した。
それがナント異例の酷暑熱波だった。
結論。
行って良かった。
食わず嫌いはいけない。
ことのついでに過日、岸和田だんじり祭も初体験。
涼風が吹き始めた晩夏。
ころは良し!と一念発起。
昔から雨男なのだが、このところは異常な気候に出遭う。
汗だくの夏日が、当日戻った。
中高生の頃、クラスメートが驚きの発言。
「明日からだんじりやから休むわ」
報知新聞入社後、京都から通う後輩があっけらかんと言った。
「祇園祭やさかい、休ませてもろうてよろしい?」
祭りで休む感覚とは無縁なこちらとしては絶句だ。
唖然とするしかなかった。
全国各地にもそういうことがあるのだろうか?
祇園祭、岸和田だんじり祭。
地元民にとっては別格らしい。
体験してみて分かった。
老若男女、稚児まで法被、脚絆の出で立ち。
上の写真は1つ半の幼児だ。
うちの孫娘と同い年。
白いハチマキが凛々しい。
女子はドレッドヘヤーのおめかし。
さぞや手間暇かかったろう。
家族総出の準備がしのばれる。
祭の熱気は凄い。
初体験した祇園祭はもちろん、だんじり祭当日は、気温も合わさりムンムン。
祇園祭の厳かさ。
だんじり祭の猛々しさ。
祭りは「政事(まつりごと)」とはよく言ったものだ。
庶民のまさにはけ口なのだ。
能勢電ー阪急ーメトロー南海と鉄道を乗り継いで約2時間。
朝は早く出て、9時過ぎには着いた。
土嚢を積んだ岸和田駅前から港に向かう。
台風21号の爪あとはこんなところにも、と思った。
だが、違った。
疾走するだんじりが商店に突っ込まないようにする防護のためだ、と聴いた。
「銀座」商店街を人の流れのまま、突き抜ける。
商店街のアーケードが高い。
だんじりの高さに合わせた、と教えてもらった。
商店街を港に向かって歩くと左手に「コシノ洋裁店」とある。
地元出身の小篠(コシノ)三姉妹の生家らしい。
世界的に有名なファッションデザイナー一家。
NHK朝ドラ「カーネーション」でも脚光。
今はギャラリーになっている。
途中、ケーブルTV「テレビ岸和田」のクルーが陣取っていた。
メーン会場「カンカン場」に向かっていることは間違いなさそうだ。
FBで我が見物を知った三稜中時代の同級生N・Oが案内を買って出てくれた。
だんじりについて回ってる見物中、電話が来た。
自宅から30分かけ自転車で駆けつけてくれた。
20数基のだんじりが町内を駆け巡る。
特に曲がり角が面白い。
危険でもある。
「日傘、雨傘をさしての見物は危険です」の断り書き。
前日には怪我人が出た、との報道。
だんじりが電柱にぶつかり街灯が落下。
見物の19歳の男性を直撃した、と報じていた。
今年はそれだけではない。
あちこちの家に屋根にはブルーシートがかかっていた。
台風21号の、これこそ爪あとだった。
だんじりの威勢よさと、その風景のコントラスト。
だんじりの屋根の上で団扇を広げ、舵をとる。
「やり回し」と称される急速方向転換が醍醐味。
いなせなお兄さん(大工方)がピョンピョン飛び跳ねる。
きっと、町のヒーローなんだ。
【岸和田だんじり祭】大阪南部の岸和田市で毎年9月に開催。1745年に疫病退散の祭として始まった。祭の売りは、速度に乗っただんじりを方向転換させる「やりまわし」。年々、有名になり観客数は50万人~70万人に及ぶ。だんじりは前方に約100メートル2本の白い綱をつけ、前後500人ほどで疾走。曳き綱の付け根を持って曳く綱元(つなもと)。屋根上の大工方(だいくがた)が指示を出す。大工方は主屋根に1人、後屋根に3人程。岸和田港交差点(通称カンカン場)目指して一斉に出発する「曳き出し」で幕を開ける。だんじりによる家屋損傷修復には「だんじり保険」がかけられている。