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小林繁急死にみる人の命の儚さ

2010-01-18 | 日記
いつも想う。
 人ヘンに夢。
これで「はかない」と読ませる。
 人はいつも、夢みながら生きるのか?
 それとも、いつも夢の中に生きているのか?
 そのどちらなのだろうか?
 昨日まで親しく話していた人が、突然、この世から、いなくなる。
 脳溢血、心筋梗塞の類いで死ぬ人は、とりわけ、そうだ。
 余りにも有名なプロ野球ドラフト「空白の1日」。
球界を騒がせた江川との電撃トレード。
巨人から阪神へ移籍した小林繁が17日朝、57歳の若さで急死した。
 前日、日本ハムコーチに決まっていた球団行事で、チームはもちろん、取材陣と親しく懇談していた。
「まだ信じられない」
関係者が口をそろえるのは当然だ。
 菊池や松坂どころではない怪物投手。
江川卓のドラフトは球界を騒然とさせた。
 ドラフトという球界のルールを捻じ曲げてでも、巨人は怪物投手を獲得したかった。
政治家を使ってキャンプイン寸前にエースと交換した。
 13勝した83年。
小林は31歳のシーズンに突然の不可解な引退。
 引退後は、北海道料理店を大阪・キタやミナミに出した。
その後は参院選へ比例代表候補として出馬したが落選。

 再び今度はイタリア料理店などを出店したものの、ことごとく失敗。
借金を重ねてヤクザに追い込みをかけられた。
夫人とは借金逃れに離婚。
最期の地になった福井県にスポンサーを見つけて住んだ。
 引退の原因は八百長ガラミとの噂も流れた。
闇の世界とのつながりが、常に付きまとっていた。
82年、大洋(現横浜)との開幕戦。
9回に敬遠のボールをバックネットへの大暴投でサヨナラ負け。
まさに「アンビリーバボー」な投球だった。
この球史に残る大暴投こそが「八百長」だった、という説がある。
 勝ち負け、イニングの得点など「八百長」のやり方は数多い。
その最たるものは試合の勝ち負けだ。
主導権を握るのは投手。
または捕手を含めたバッテリーだ。
急死の一報に「クスリか?」と疑ったほどだった。
【NEWS引用】法政大・江川卓投手との交換トレードで阪神に移籍したことで知られる現日本ハム1軍投手コーチの小林繁氏が17日、心不全のため亡くなった。57歳。小林氏は1952年、鳥取県東伯郡赤碕町(現・琴浦町)出身。社会人の全大丸を経て71年ドラフト6位で巨人入り。73年に1軍に初昇格すると76、77年2年連続18勝。78年オフ「空白の1日」となった江川卓とのドラフト騒動。交換トレードで阪神移籍。移籍1年目の79年22勝で最多勝。13勝を挙げた83年、現役引退。引退後はテレビ、ラジオ解説者。97~01年までは近鉄。07年、韓国SKワイバーンズ、08年~日本ハムでコーチ。通算374試合139勝95敗17セーブ、防御率3.18。最多勝利1度、最優秀投手2度。沢村賞、ベストナイン2度。



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