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元祖二刀流の関根潤三93歳の大往生

2020-04-10 | 日記
正直、リアルタイムでの現役時代に記憶は薄い。
どちらか、というとソフトな口調の野球解説者として印象が深い。
関根潤三が9日、老衰のため亡くなった。
享年93。
法政大経済学部の大先輩だ。
日大三中時代は根本陸夫とバッテリーを組んだ。
後に球界の寝業師といわれた根本とは親友だったこともあり、球界に広い人脈を持っていた。

ヤクルト監督時代に安藤統男(報知評論家)が請われて作戦コーチ。
関根とは、安藤の縁で紹介されたぐらい。
長嶋茂雄招聘に動いていた大洋(現横浜)の監督に就任。
長嶋ホエールズが実現したら辞任する、という異例の条件だった。
実現寸前まで行ったが、亜希子夫人の反対でとん挫。
幻の長嶋ホエールズ監督となった。
戦後プロ野球で二刀流の元祖でもある。
投手でプロ通算65勝94敗、打者で打率.279、1137安打(59本塁打)。
1000安打&50勝をマークしたのは関根だけ。
球宴出場は5度。
投手で1度、打者で4度を誇る。
大谷翔平の出現で「僕は二流の二刀流だよ」と笑わせた。
▼長嶋茂雄「初めて監督になった75年、ヘッドコーチとして支えてくれました。とても温厚な人柄。みんなに慕われた温かいヘッドコーチでした。大洋、ヤクルトと監督を務め、球界を引っ張ってこられた貴重な方を失い、残念でなりません」
▼王貞治「僕とは正反対。僕が「動」だったら関根さんは「静」でした。じっと構えてボールを見てスイングする。戦後まもなく関根さんが活躍された頃の野球をいろいろ教えて頂きました」
▼安藤統男「器の大きな人だった。阪神監督を辞めて2年目の秋。ヤクルトを変えるのに相棒として付き合って、と誘われた。コーチではなく相棒。それが嬉しかった。育成のためには、ここまで我慢しなければいけないのか、と驚いた。若手だった広沢、池山、栗山、秦らが好機で三振しても、結果を恐れずバットを振ることが大事、小さく育ててはダメ。3年連続Bクラスだったが、広沢、池山らは野村監督のもとで花開いた。関根さんの我慢が強いヤクルトの土台を作った。黄金時代を築いたノムさんから前監督への感謝の言葉はなかった。愚痴ひとつなく、関根さんは手柄話もしなかった」
▼高木豊「球界で一番の恩人。盗塁やスイッチヒッターにも挑戦したのは関根監督(大洋)の時。レギュラーになり、いろんなことを経験させてもらった。私は、関根監督の作品の一つだと思っている」
◆関根潤三(せきね・じゅんぞう)1927年12月25日ー2020年4月9日、享年93。東京・巣鴨生まれ。日大三中(現日大三高)ー法大経済学部ー近鉄ー巨人。法大通算41勝(歴代5位)。プロ通算65勝。57年、打者転向。通算1137安打、59本塁打。65年、巨人移籍。同年引退。70年、広島打撃コーチ。75年、巨人ヘッドコーチ、76年、巨人2軍監督。大洋(現DeNA=82年ー84年)、ヤクルト(87年ー89年)監督。03年、野球殿堂入り。173センチ、65キロ、左投左打。