クタビレ爺イの山日記

諸先達の記録などを後追いして高崎近辺の低山中心に歩いています。

相馬山表口について一言 H-19-2-2

2007-02-03 15:44:07 | 榛名山麓
先日、登山関連のHPをいろいろと見ていたら一寸気になる記事を発見。
そのHPは極めて著名のため多くの人が読む筈。若しかすると誤解される
ことも有り得るので、現地はほぼ歩き尽くしている爺イとしては
改めて私見を記録することにした。其の記事はガラメキ訪問のもので
下記の文がある。

「相馬山表登山口」と書かれた看板があります。「誰が表登山口と
決めたんや~!」エアリアにもこのルートは示されていません。・・と。

まず、どんなエアリアを見ての事かは知らないが、エアリアには
全ての登山路が網羅されている訳でもないと思いますが、それは
末梢なことなので置いといて本題。

問題の道標は多分上の写真のものと推察します。
最初に相馬山には表と裏の登山道が有る事を認識してもらわねば
ならない。

(1)「群馬郡誌」に相馬山に関して下記記載がある。
「山嶽峻険ニシテ登路ニ路アリ。沼ノ沢ヨリスルヲ後山ト称シテ遠クテ
易ク、ガラメキヨリスルヲ表山トイイ、近クテ難シ」
つまり、南の鷹ノ巣林道からの道が「表」である。

(2)相馬山は頂上に黒髪神社があるため、別名・黒髪山と言われるが
頂上の本宮に対する里宮は榛東村・井戸尻四つ角近くの「黒髪神社」である。
この場所は現在の黒岩や鷹ノ巣林道に向かう28線の延長にあるが
そもそも里宮とは本宮への道が険しく行かれない人たちが、代わりに
お参りするものである。従って南からの道が本参道。
因みに本宮の建設は1880年(明治13年)、里宮は1884年
(明治17年)である。この年号は「表口」石碑と関係が有る。

(3)相馬山の名は何も明治時代に付けられた物ではない。
「上野名跡志」に下記記載があリ神話まで遡る。
「日本武尊東征ノ折リ「安蘇山アソヤマ」ト唱号セラレタト伝エラレ
「安蘇ヶ岳」ノ「ア」ヲ略シタ「ソヤマガタケ」ヲ音便ニテ「ソウマガ嶽」
ト唱エシヲ後ニ「相馬」ノ文字ヲ充テタルナラン。」
又、謡曲でも名高い「相満伝説」では榛名東南麓に多くの伝承を残すが
これは十一世紀の船尾山大寺院宗徒と千葉常将の戦いの伝説で、息子・相満を
相馬山に祭り山名の元を作ったと言われる常将の名は柳沢寺隣の
常将神社に残る。


(4)黒髪山表口の石碑。
相馬の表口である動かし難い証拠の石碑は鷹ノ巣林道を南から北に回りこんで
崩落現場を越えて沢を渡ると左手に大正時代の雨乞い跡の看板がある。

ここが表登山口入り口。鬱蒼とした林間を進むと御幣のある場所に巨大な
表口の石碑がある。建設は1881年(明治14年)で黒髪神社奉納と
時期が同じ。

其の奥には五十体を超える石碑が並ぶ変わった雰囲気の場所。一番上には
不動明王、石碑群は三十六童子と思われるが数が多い。四十八使者も
混じっているかと調べたら銘は全て童子で使者を示す「王」の字は
見当らない。
この道を更に登ると作業道に出るが、出口には御幣がある。
出口と言うより作業道からの入り口と言うべきかもしれない。


(5)道標との関連
この作業道は左側の沢の堰堤工事用のものであり、さして古いものではない。
右に下ると鷹ノ巣林道にぶつかり、其の角に道標が付けられているのだ。
出口のところから作業道は登山道と一緒になって沢筋を登っていく。
つまり、堰堤工事用路は石碑群の場所を避けるため少し東に入り口を
設けたのであろう。



(6)登山口
鷹ノ巣林道から約1㌔で作業道は終点になり、ガラメキ温泉跡と全く同じ
雰囲気の広場に来る。石碑などがあり中々のもの。
この広場から西側の涸沢の先に尾根の垂れ、ここに登山口の二本テープ目印。

尾根に登り上げてひたすら稜線を北に向かい、鎖場をクリヤして直接相馬
南面から頂上に達する。相馬東麓は石像のところから
北進すれば、オンマ谷、東進すれば柏木山を経て榛名カントリーに
柏木山手前から南進すればガラメキ温泉に直接達する。


ガラメキ温泉のこの看板も「榛東村文化協会」と「相満山史跡研究会」の
手によるもの。裏の伊香保町にはこんな動きはないだろう。


この表登山道は終戦後、駐留軍によりこの地域が演習地として接収されて
立入り禁止になったため廃れてしまい、ヤセオネ峠からの道が一般的となり
湖畔近くを歩く関東ふれあいの道の開設で益々忘れられた存在になって
しまった。接収はガラメキ温泉廃業にも繋がっている。
榛名天狗山にも全く同じ事がある。多くの案内書にある榛名神社からの
登山道は「裏参道」、表参道は最近整備された「南ルート」と
大日陰からの東南ルートである。

道標を良く見れば判ると思うが「登山口」とは何処にも書いてはいない。
石碑の標示の通り「表口」と書いてある。 
以上が「誰が表登山口と決めたんや~!」への回答。

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9 コメント

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爺イ先生質問があります。 (カズ)
2007-02-05 17:48:24
表口ルートの説明の中で鎖場をクリアすると左目に巻いて南尾根に出て直接頂上に登りあげます。あの東稜線の鞍部の石像に出るにはたぶん表口尾根には入らず直接相馬山と柏木山との沢筋を詰めて行かないと行けない様な気がします。

昨日坂本から碓氷峠を目指して歩きました。旧中仙道ですけど、それは置いといて、見晴台から熊ノ平に降りる古道がありかなり昔は歩かれていたようでこの中山道の裏街道っぽい道が今謎です。おりくちは旧熊ノ平駅が起点となりますが旧R18号で崖になっており道は途切れております。歩きやすいいい道でした。地図では旧R18号の北の尾根です。其の尾根はめがね橋で終わります。熊ノ平古道(仮称)ってどんな過去が秘められているのか謎ですが、こういうのは旧松井田町の歴史散歩の会あたりの人に聞けばわかるんですかね。
Unknown (爺イ)
2007-02-05 18:24:39
カズさん、いつもコメント感謝。それとご指摘有り難う御座いました。
旧中山道の件、小生数年前に歩きましたが脇道は派出所
跡から碓氷橋に至る「ご巡幸道路」しか知りません。「旧中仙道沿い碓氷峠への尾根に残る古道跡」なるサイトがありますが、其の中の地図で解決出るかどうか?
http://www.asahi-net.or.jp/~ab9t-ymh/mukasino_Folder/usui_folder/usui1.html です。
坂本辺も合併でごたごたしているでしょうし、先日も
トロッコ運行が中止になったりで未だ観光に腰が座っていないようです。町役場の観光課か町史編纂室でしょうかね。
其処で聞くと町の郷土史家などを教えてくれるかも。
それはそうと、本日カズさんの真似をしようとして失敗しました。後日、アップします。
古道の件 (爺イ)
2007-02-06 16:06:20
大体判明しました。
信越線華やかなりし頃、熊ノ平駅で降りて三角点山・中尾山
を経て熊野神社を目指して登るハイキングコースであったようです。廃線・廃駅後、全く手入れもされず、崩落等危険個所もあり、立入りはご遠慮願いたいとは、松井田町・町史編纂室の話し。駅北から込み入った等高線を掻い潜ってめがね橋までは確かに稜線が見られますが。
相馬山表口 (つれづれ)
2007-02-14 13:48:47
「クタビレ爺イ」さま、こんにちは。徒然日記のつれづれです。
先日、八束山の続きで朝日岳に行ってきました。
その折、参考にさせていただこうとHPを訪問しましたら、相馬山表口についてのコメントがあり、冷や汗かきかき拝見。
穴があれば入りたいところです。ジョークも時と場合を考えねばと反省しきり。
結果、(冷や汗のあまり)朝日岳の記事を熟読することなく行ってまいりました。朝日岳の岩峰と展望の素晴らしさ‥あっという間の山歩きでしたがとても楽しめました。このエリアにはいままであまり入ることがなかったのですが、楽しみが増した感じです。
もう少し健康が回復したら、ぜひ三山縦走に挑戦したいものです。これからもよろしくお願いします。
朝日岳 (爺イ)
2007-02-14 16:01:13
朝日岳ほ地元では多胡美人と称していますが、実際は
難しい山で中々ルート開発が出来ないようです。難しいとは
北峰が甘楽町、南峰が吉井・甘楽境に位置して何本もある登山路も両町を行ったり来たりですので。
北・西ルートも現在進行中の吉井・神戸と甘楽・田口間の
生活道路建設の防災壁で全て潰されてしまうでしょう。
何れ、小生も先日付けたロープの結びに自信が無いので
締めなおしに行く積りです。
有名人が吉井の里山に来て貰えるのは、登山路開発で
奮闘しているボランティアの皆さんも喜ぶでしょう。
今後とも宜しく。
ありがとうございました。 (カズ)
2007-03-01 17:20:44
遅ればせながらお礼申し上げます。というのも扉がいっぱいあってつい忘れちゃう。今日はじっくりと拝見しております。
なるほど昔のハイキング道でしたか。熊ノ平駅が昭和38年に廃駅となってからですから45年の歳月がたっているんですね。実際は歩いてみて全く危ない箇所はゼロです。俺は芽吹きの頃にもう一度訪れてみたい道です。
Unknown (爺イ)
2007-03-01 20:11:29
現地の観光担当に問い合せてハイキングコースで
一応は納得していましたが、良く考えると登山道などは
昔からの獣道を後から人間がちゃっかり利用したものと
思い合わせると、あれはハイキングコースとして作ったものではなくやっぱり先ず古道があつて、それを観光用に利用したのだと思うようになっています。古道研究の大家のHPがあると
聞いて探していますがそれらしきものに未だにぶつかっていない次第です。機会があったら閉鎖中の行幸ルートと合わせて
探訪したいものです。
謎の穴 (こば)
2007-03-16 14:21:09
ジイ様のブログを拝見しまして、やっと「相馬山表口」の謎が解明されました。しかしもう一つ、あの里宮脇の沢沿いに、人間が数人座っていられる様な穴がいくつも掘られてありました。そのすべての内壁は丁寧に砕石で補強され、ススの着いた煙突跡のような基礎も確認できます。巨大なカマドのようです。アレは何でしょう?もしかして明治時代の人がスチームサウナでもしたんでしょうか?笑
謎の穴 (爺イ)
2007-03-16 18:43:36
こばさん、コメント感謝。
暫く考えて漸く思い出しました。確かにその様な
穴がありましたが、「炭焼き窯跡」と勝手に決めこんでいた
ので余り気にしていませんでした。
みんな天蓋が無いので窯跡にしてはやっぱり
おかしいかな?良く判りません。

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