クタビレ爺イの山日記

諸先達の記録などを後追いして高崎近辺の低山中心に歩いています。

高崎西小地区どんど焼き H-31- 1-12

2019-01-12 15:44:41 | 高崎・甘楽・藤岡方面
一月の第二土曜日の12日、近くの小学校へどんど焼きの見物。
この場所での正月行事は今年で40回目に成ると云う。
かっては拙宅の近くでも僅かに残った田圃で行われていたが
その場所も今ではベルク飯塚店になっているので近辺でみられる
のはここだけ。

但し、どんど焼きによる洗濯物へのけむり臭および黒い燃えカス等の
降灰被害を受けるという苦情などにより基本的には野焼き等の屋外で
ごみなどを燃やす行為は、法令及び群馬県条例で禁止されている。
だが地域の慣習行事としての燃焼行為は、伝統行事の保護・継承を
目的としているのでどんど焼きの行事はこの例外事由に該当するとして
今も許されているのだ。

遠い微かな記憶を呼び戻してみると、京浜地区に居た子供の頃は
確か「左義長(さぎちょう)」と云っていたと思う。その後、戦時疎開で
高崎郊外に来た頃は「道祖神祭り」、成人して最後の転勤地が偶然にも前橋で
住居が高崎になって「どんど焼き」。どうも最近は昔の記憶を辿ることが
多いが、これも人生の末期症状なのかもしれない。しかも理解の浅い
ものにはしつこく調べ始めるのは思い残しを避けようとする本能かな?

そこで「左義長(さぎちょう)」の定説を調べたら「平安時代に宮中で
青竹を束ねて立て毬状三本を結び、その上に扇子や短冊などを置いて
陰陽師が謳い囃しながらこれらを焼いて占いを行う「左毬杖(さぎちょう)」
という行事が庶民の間に広まって今のどんど焼きとなったーーー」と。

どんど焼きという名前は「尊(とうと)や尊(とうと)」と囃しながら
櫓で火を燃やしたのが、後に訛って「どんど」に変わったという説が有力とか。

そしてお正月に天から下りてきたその年1年家を守ってくれる神様の
歳神様がどんど焼きの煙に乗って天に帰るとされるんだそうな。
因みに地域を守ってくれるのは氏神様。
どんど焼きの火にあたったり、どんど焼きの火で焼いた餅を食べると
一年を健康で過ごせるというオマケつき。

そこで見物に向かったが主催の教育振興会の方々、地区の区長会の
皆さん、西小PTA・学校関係者たちの総出の設営の甲斐あって
頗る盛況で何より。甘酒・しるこ・おでん・ミカンなどの無料配布も
集客に一役買っている気配だが朝早くからの準備が大変だろうな。
一年分の十分な煙を浴びてのんびり帰宅、年間息災は約束されたかな?
着火から熾火になるまで30分以上なので中間カットでビデオ編集。

高崎西小地区どんど焼き


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