クタビレ爺イの山日記

諸先達の記録などを後追いして高崎近辺の低山中心に歩いています。

再び倉渕伝説・権田栗毛 H-18-7-26

2006-07-26 20:14:17 | 伝説・史跡探訪
倉渕の伝承の中に未だ馴染み深いのがあつた。熊谷直実に絡む「権田栗毛」
の説話である。午後、少々時間が出来たので性懲りも無くその伝承の跡を
尋ねた。この話、余りにも有名ではあるが取り敢えずのおさらい。
古来、上野国・権田村は牧場が多く、名馬の産地として有名で、それらは
「権田栗毛」と呼ばれたがその端緒となったのが熊谷直実に供せられた
「権田栗毛」。小池市助なる者の家から熊谷に引取られた。この馬は直実と
共に戦場を駆け回り数々の功を上げたが、一の谷の合戦で傷つき、直実は
自分の白布で手当てして故郷に帰す。然し、「名馬出ればその家絶つ」の
言い伝えの通り、故郷の市助家は断絶しており、悲しんだ栗毛が屋敷跡を
回ると背につけていた母衣が落ちた。土地の人はそれを埋めて「お母衣明神」
として祭る。
母衣に付いていた金の観音像は岩窟に堂宇を設けて安置。傷も癒えぬ権田栗毛は
主人の居る熊谷を目指すが倉渕・土城谷戸で絶命。村人はここに馬頭観音を
建てたーーーと言うもの。母衣=ホロ お母衣=オボロ

(1)馬頭観音
406号線を西に進むと湯殿山トンネルから3キロ地点の右側に突然、
教育委員会の表示白杭が目に入って大慌て。少し先の民家の空き地に駐車。
入り口に由来説明看板と石柱、

坂の上の崖中腹に一寸荒れた馬頭観音。

かっては堂宇があったかのような痕跡があるが今は石祠が二つと手前に曰く
ありげな大石。この大石は枕石とか。

(2)祐全寺
伝承でこの時の権田栗毛の轡と鞍が残ると伝えられる祐全寺を探した。馬頭観音
から少し西進して左手の小道の先に発見したが、何と廃寺になっていた。
住職から伝説話でもとの思惑ははずれ。


(3)岩下・岩窟観音
母衣に付いていた観音像を祭ったとされる洞窟観音を尋ねる。倉渕支所から
約2㌔(トンネルからは8.4k)西進したところにバス停・大番道、
そこの「満寿池」という大きな料理屋が目印。斜め手前の崖下に最近修復
されて真新しい岩窟観音。

迫り出した崖の下、崖の崩落で堂宇が潰されたとのこと。その崖もコンクリート
で全面補強されている。村人が木造の観音像を彫り母衣についていた一寸八分の
金の観音像を胎内に納めて堂宇を建てたのが始まりとか。補強は平成十二年から
三年がかり。

傍の「観音清水」は群馬の名水にも載っている。


(4)お母衣明神
母衣を埋めたと言う「お母衣明神」は表示も無いので、一番分かり難い。権田
信号を北軽方面に左折して直ぐに亀沢温泉方面への道に右折。0.5k地点の
右の斜面に作られた細い人工沢の先、斜面に何やら石宮と錆びついた多数の
型の鳥居。なんとも言い様の無い哀れな明神。近くに朽ち果てた白塗りの
剥げた角材が放置されているので、それがかつての表示物かもしれない。
この地域の字名は栗毛の生家と同じの「小池」。


(5)蛇足・その一 熊谷次郎直実という武士
1142年、熊谷生まれ。十九歳の時、平治の乱で源氏方について敗北、
平氏に仕える。1180年の石橋山では平氏方で頼朝を追うが源氏に鞍替え。
1184年の一の谷の合戦では西の城戸口で息子共々先駆け争いにはやって
馬を射られる。これが多分権田栗毛の伝説の元。この戦いで敦盛の首級を
とって名を上げるが1191年、首脳陣との諍いで武士を辞め、後に
「蓮生坊」を名乗る。

(6)蛇足・そのニ 権田栗毛・平家物語より
平家物語「第86句 熊谷・平山一ニの駆」より引用。
「熊谷は褐の直垂に黒糸緘の鎧着て紅の母衣かけ権田栗毛という馬に乗りー」
「熊谷は馬の腹を射られてしきりに跳ねければ弓杖突いて降り立ったりー」
平山とは熊谷親子や成田五郎と共に先駆けをした平山季重の事。
それにしても平家物語にはやたらと馬の名前が出てくる。
畠山重忠・三日月、佐々木高綱・生唼、梶原景季・磨墨、
源頼朝・鎌倉黒、藤原国衡・高盾黒、平知盛・井上黒、
平教経・薄雲、平重衡・夜目無月毛―等など。


(7)蛇足・その三 反論説
権田栗毛は倉渕産ではないとする説。
直実の部下に権太という馬の飼育に達者な者が居た。直実はこの者に命じて
名馬の産地・奥州一の戸より逸物を取り寄せた。直実はこの馬を「権太栗毛」
と名付けるが、一の谷・西城戸口にて傷を負う。 
権太も倉渕の出身ではない。 だが、伝説は詮索無用だろうな。

吉井の「羊太夫伝説」で羊が大和との往来で乗っていたのも確か「権田栗毛」
であったと記憶する。

ご来訪のついでに下のバナーをポチッと。

-->
ジャンル:
ウェブログ
コメント (2)   トラックバック (1)   この記事についてブログを書く
この記事をはてなブックマークに追加
« 諸説紛々長野氏伝承 H-18-7-25 | トップ | 行人塚のお勉強 H-18-7-28 »
最近の画像もっと見る

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
TBさせていただきました。 (さくら)
2008-03-07 16:31:58
はじめまして、こんにちは。
「権田栗毛」を検索しているうちに、こちらにたどり着きました。
たいへん詳しく&わかりやすい記事で、とても参考になりました。
是非、権田栗毛;群馬県説としてTBさせていただきたいと思います。
権田栗毛;熊谷説もこれから記事にしていきますので、よろしければご覧下さい。
権田栗毛 (爺イ)
2008-03-07 20:30:02
さくら様
HP拝見しました。少しでもお役に立てたなら幸です。
当方、研究者でもなく地元の伝説関連小冊子を面白がって
追いかける唯の野次馬ですので記事の内容は少々割引して
ご覧下さい。

コメントを投稿

伝説・史跡探訪」カテゴリの最新記事

関連するみんなの記事

トラックバック

直実愛馬、権田栗毛のこと (毎日が夏休み♪in熊谷)
[[img(http://www.tokyovalley.com/yahoo_blog/article/article.php,1,1, )]] 熊谷直実の一ノ谷の合戦の話は、皆さんもご存知かと思いますが、 彼がその戦の時に乗っていた愛馬の名前はご存知でしょうか? 諸説ありますが、「ごんだくりげ」「ごんたくりげ」「こんた...