日々の細道

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秘密尋問所トレイシー~日本人捕虜が語った機密情報~

2007年08月08日 | Weblog

 7日、夜10時からのNHKの番組、NHKスペシャル「秘密尋問所トレイシー~日本人捕虜が語った機密情報~」は、アメリカの周到な情報戦略を再認識すると共に、「生きて虜囚の辱めを受けず」の戦陣訓教育が空洞化した、日本兵捕虜の実態を知った。

 軍国少年だった私にとって、捕虜になるということは、戦後60余年経ち、世の中が変わっても、やはり抵抗がある。まして、味方の情報を敵側に漏らすなど、許し難い、利敵行為である。味方を不利な立場に追い込むことになるのだから。映画の忍者は捕らえられたら、毒薬を飲むか、舌をかみ切るかして、自らの命を絶ったが・・・。

 「太平洋戦争中、アメリカに密かに作られた秘密尋問所。そこには機密情報を持つ日本人捕虜が送り込まれた。アメリカはどのように情報を集め、戦略や終戦工作に活かしたのか」。【語り】濱中 博久

 「近年のイラク戦争のアブグレイブ収容所など、「人的情報」を有効に使うアメリカの戦術は、既にこの頃から始まっていたのである」。

 「秘密尋問所『トレイシー』で、アメリカ側尋問官は何を聴き、日本兵は何を喋ったのか。国立公文書館に眠る厖大な『トレイシー尋問調書』と、生き残りの日米関係者へのインタビューによって、太平洋戦争の『人的情報戦』の知られざる闘いを掘り起こす」。

 番組では、この情報戦の実体について、米国立公文書館所蔵、日本兵捕虜尋問者2113人分の指紋、登録書(本人記入)などから、尋問例として、

●アリューシャン列島捕虜、陸軍一等兵の尋問では、日本陸軍暗号使用例、数字の組み合わせで示すこと、足し算、引き算を付加した、複雑な暗号使用例を供述している。日本陸軍の暗号解読容易。

●駆逐艦「みねくも」の捕虜の尋問では、自分が乗艦していた「みねくも」の詳細なスケッチを描き、詳細供述。米軍は、同種の日本海軍駆逐艦のパターンを知ることとなる。

●基地、工場、燃料廠の地図を描き、詳細供述。米軍は、軍事戦略に生かして、爆撃目標に設定し、攻撃、成果をあげた。

これらの例のように、「太平洋戦争の最中アメリカは、前線で捕らえた日本兵から詳細な情報を集めていた。その中でも機密性の高い情報を、集中的に聴取していた収容所があった。サンフランシスコ郊外の秘密尋問所『トレイシー』である」。

 昭和18(1943)年1月、陸海軍共同で設立、捕虜収容所として整備された。「この建物で、2000人を超える日本兵が尋問を受け、潜水艦や戦艦の詳細な図面や、本土爆撃のための軍港・工業地帯の地図、暗号表など、日本側の情報が次々とアメリカ側にもたらされていた」。

 日本兵捕虜を捕らえると、すぐに尋問した。情報レベルで分類、前線の尋問→本土尋問所→秘密尋問所(トレイシー)へ移動。

 昭和17年6月、ミッドウェイ海戦で、日本海軍は、空母4隻を失うなど大敗北。撃沈された艦船から離脱した、多数の海兵が、米軍に捕らえられ捕虜になった。海上レーダー、機雷、魚雷、戦闘機レーダーなど、様々な情報を質問リストで、確認、理解、収集。

●空母「飛龍」一等機関兵(現存87歳)の場合。「飛龍」沈没後、2週間漂流中、米軍に救助され、捕虜に。尋問官と何回も喧嘩していたが、8回の尋問で、空母「飛龍」の出力15万馬力。対空砲12門で、防備薄い。防備半径60マイル以内などと供述。

 撃沈艦船捕虜から、寄港地を調べる。建造中の新しい艦艇、速度50ノットの新型潜水艦、航跡の見えない酸素魚雷(95式魚雷)など情報収集。

●昭和18年11月タラワ島、日本海軍潜水艦「イ35」報告書。日本軍の潜水艦のパターンを掴む。潜水艦がオイルを放出して、敵を欺く方法まで供述していた。

 こうして収集した、日本海軍艦船の基本情報は高く評価されていた。トレーシーでは、艦船30隻、空母、巡洋艦、あらゆる艦船情報が、米軍に渡っていた。

●当時の尋問官(現存98歳)が、トレイシーの跡地を訪ねる。建物の一部が倒壊、火災にもあう。トレイシー捕虜収容所(秘密尋問所)はリゾート地のホテルを接収、85㌶の広大な敷地。捕虜は4階に44人収容。尋問室は3階。一日20人、2人一組尋問。話すことを拒否の兵は少なかったという。

 収容所側は、捕虜の心を広げる試みを様々行った。口が軽くなるよう、酒を飲ます。誕生日のお祝い、コーラ、トランプ、パーティーなどで、尋問官と捕虜が仲良しになる。人間の心の弱さを突く。脅したり、すかしたり。

 情報の正確さについて、確認が取れるまで、チェックした。捕虜に心理的圧迫を加えたことも、尋問記録に残る。最初の尋問官は、乱暴な言葉で追い詰める。ついで、別の尋問官は穏やかに質問すると、捕虜が答える。答えない時には、30分間立たせたままにした。

 また、捕虜同士の会話を秘かに盗聴、集音器を各部屋の天井裏に取り付け、録音収録、分析し、尋問に活用していた。さらに、盗聴録音盤から、文字をタイプして、ワシントンに報告していた。「1945年になると、天皇や政治経済に聴取内容が及び、それらは戦後のGHQの占領政策に活かされていく」。

これら捕虜への尋問は、ジュネーブ条約に抵触する。同条約によると、捕虜は、名前、階級のみ申告すればよい。本国への通信も許されている。

●爆撃目標地図(米国会図書館蔵)
昭和17年9月、戦略爆撃機B29が完成した。陸軍航空技術諜報部(TAIC)が、日本国内の爆撃ターゲットを絞り込む。

 三菱重工名古屋工場は、戦闘機生産の32%。エンジン製造と組み立てを二カ所の工場で行っていた。

 昭和19年11月、サイパン島捕虜の陸軍兵長が、名古屋出身、元組み立て工。尋問により、三菱重工名古屋工場の「工場配置図」を作成させる。B29を迎撃する戦闘機「雷電」エンジン工場、最終組み立て工場を特定する。

 昭和19年12月13日、B29爆撃機、90機が名古屋を空襲。エンジン工場を集中的に破壊。組み立て工場も5日後に空襲破壊。

●昭和20年2月19日、米軍、硫黄島攻撃。戦闘は一ヶ月続き、日本兵2万1千人戦死、米軍6千8百人戦死、米軍最大の損害、日本本土上陸が懸念された。

 昭和20年5月8日、「トレイシー」で、米軍本土上陸について、全員に質問した。きわめて重要、促すように質問。硫黄島の捕虜は、本土に上陸すれば、日本人は最後まで戦うと言い、またある捕虜は、新しい日本を建設・・・、降伏するとも言った。

「トレイシー」での情報収集は、対日戦争上大きな効果があった。また、戦後の連合国軍の占領政策に生かすことも出来た。

 しかし、対イラクでは、今のところ、情報戦の効果は上がっていない。占領政策に生かされているとは、思えない。太平洋戦争時のアメリカと、イラクで泥沼状態のアメリカとの相違はどこにあるのだろうか。ハイテクは進化したが、情報戦を担う人材が、マネーゲームの世界へ逃避して、軍事戦略が空洞化したのだろうか。

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1 コメント

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本物はやっぱり違う件 (ひろゆき)
2007-08-09 03:39:12
やっぱり目の前で見る本物は違う!!
大胆あり、恥じらいあり、お手伝いあり!!
おれ当分やめれる気配がない(笑)http://giga-mix.net/love/257

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