ひとり座禅のすすめ

自分ひとり、坐禅(靜功)を日常生活の中で取り入れていくと今までと違った感覚を覚えていく。

精も根も尽き果てた時に人の本姓・真価が現れる

2010-12-14 15:43:35 | 自分

 先日来、市川海老蔵の夜の麻布界隈での殴打事件で、はからずも海老蔵の飲酒時の傲慢ぶりが、明るみに出ましたが、普段から持っている性格が、結果的に殴打事件を引き起こしたことを、露呈しました。

 私の友人にも、アルコール飲酒での豹変ぶりを表す人がいます。 その方もアルコールを飲まないときには言えないことを、結果的に言動で表すのです。 お酒を飲まないときに、はっきりと話せばよいのです。 それもきつい事を優しく傷つきにくいように。

 私は高校時代にバスケットボール部に所属し、激しく動き、へとへとになるまで体を動かしました。 練習ではとにかくメニューをこなすことだけが精一杯でしたが、試合では相手も同じように疲れているわけですから、精神的にだけは負けないように心がけていました。 

 父親の影響でしょうか長距離を走るのが好きで、クラブでも自分ひとりでも走っていました。 人が苦しくなる坂道になると、みんなが苦しくなるときにこそ、頑張ろうと思って走っていたものです。

 苦しいときにこそ、その人の真価・本性が現れるのではないかと思い、そのような状態に置かれたときほど、惰性で流されることもなく、ひたすら耐えそれ以上の力を発揮しようと、奮起するのです。

 苦しさを楽しむ感覚が必要なのでしょうか。


胎息・丹田呼吸・腹式呼吸・逆腹式呼吸の違いは

2010-12-13 08:49:39 | 座禅

 丹田呼吸とはお臍の下あたりにある臍下丹田を意識しながらの呼吸法であるということですが、私自身はこの呼吸法を行ったことがありません。 ものの本によれば、先ず吐くことから始めます。 下腹を意識し下腹を凹ませるようにして、ゆっくり吐き出します。 吐き出したらその反動で、息を吸います。 丹田呼吸は腹式呼吸と同じ動きをします。

 丹田呼吸は胸の動きは、意識しないということでしょうか。 私達は生来、大きく胸を膨らませて息を吸い、そのときには下腹は自然と凹みます。 息を吐くときには、元に戻ります。 そのような呼吸に慣れている私にとっては、ちょっと不自然な動き、呼吸のように思えるのですが。

 胎息は、臍下丹田が心臓のように活性化し、鼓動する気の呼吸のことです。 臍下丹田から体中の経絡に、血液を血管に送るように宇宙エネルギーである気を、送り込み循環させるのです。 私は生まれて初めて行った座禅(静功)のとき以来、無我夢中で誰から教わるということもなしに、吐く息を出来るだけゆっくり吐き、その過程で吐く息を体の中へイメージで吐いていたのです。 

 大きく胸いっぱいに息を吸い、それを出来るだけゆっくりと長く、無理なく、イメージで体の中へ吐く呼吸、これが結果的に逆腹式呼吸となっていたのです。 大きく息を吸ったときには、胸は広がり下腹は凹みます。 息を体の中へイメージで吐くときには、胸も下腹も元に戻るのです。 下腹の動きをものの本には詳しく書いてありますが、一切下腹の動きを気にする必要はありません。 上記のように呼吸を行えば(慣れてくれば)、自然と下腹はそのような動きをするのです。

 息を体の中へ吐くときには、息音が体の中へ入っていくのを実感するために、息音が聞こえるようにして吐きます。 この逆腹式呼吸の慣れてきたならば、今度は出来るだけ息音が聞こえないように、静かに行います。

 私は逆腹式呼吸を行いながら、座禅を毎日深夜に1時間以上行っていました。 ある時、本に胎息と言う言葉が目につきました。 どんな呼吸法だろうと思いながら過ごしたある日、静かに吐く息が殆んど息を吐いていないのではないかと感じ、ひょっとして息をしないことができるのではないかと思い、座禅のときに息を止めてみたのです。

 胎息とは、肺呼吸を伴わない気の呼吸のことであるということを そのときに知った瞬間でした。 勿論、臍下丹田が活性化し、心臓のように動いていることが前提になります。

呼吸法を伴う座禅は脳の開発率を高める

2010-12-12 09:57:38 | 座禅

 吐く息を出来るだけ長く吐く呼吸法は、脳の開発率を高めます。 何故でしょうか。 長く息を吐くことにより脳の状態に刺激を与えるからです。

 子供のころに吃りで、お医者さんから吐く息を出来るだけ長く吐きなさいといわれ、実践した大阪大学で長く研究活動を行った政木和三さんは、勿論吃りは治りましたが、その後様々な現象を政木さんの上に現れたのです。

 政木さんが行った呼吸法は長息法という呼吸です。 吸う吐くの呼吸を1分間で3回行う呼吸法です. 結果的に脳波の状態がβ波からα波になり、最終的にはθ波になったのです。 政木さんの著書によれば、θ波の状態になったときに、宇宙の叡智との出会いがあるようです。

 政木さんは宇宙の叡智のサジェスチョンを得ながら、様々な発明をされ特許を取ると、その日の内に開放してしまう方のようでした。 無欲だからこそ宇宙の叡智のサジェスチョンも、得られたのではないかとも思われます。

 私の行う呼吸法は逆腹式呼吸ですが、普段行っている胸式肺呼吸を、ちょっと視点を変えて吐く息を出来るだけ長く吐き、吐く息をイメージで体の中へ吐き、吐く息だけに意識を集中する呼吸法です。 鼻から息が出ていくことを一切忘れ、あくまでも吐く息を体の中へ吐くように、イメージするのです。

 1分間で吸う吐く呼吸を3回行なうことを基準とします。 慣れてくればもっと回数は減ってきます。 息を止めず出来るだけ自然に行うようにします。 全部は吐き切ろうとすると苦しくなりますので、そのちょっと手前で軽く止め又息を吸います。 無理をせず流れるように呼吸することがコツです。

 この呼吸法は生来眠っていた経絡(気の通り道)を活性化し、その通りを良くしていきます。 するとどのような現象が現れるかといいますと、経絡に沿うように流れる神経の腺を刺激します。 特に微細な神経の腺が集中する脳細胞を刺激するのです。 継続的に1時間の座禅を行いながら、この呼吸法を続けていけば、この感覚を獲られるはずです。 

 この感覚を感得出来れば、座禅が楽しくなってくるのです。







今年のお歳暮の礼状は

2010-12-11 13:23:20 | 文化
毎年行う健康診断で少しずつ数値が許容値を越してしまい、今年の診断では更に複数の数値が越えてしまいましたので、意を決して8月から毎日1万歩を目標にして、歩くようにしました。 家から事務所までの直線で歩くのではなく、途中にある大きな公園の1周1キロの遊歩道を、何周かしてから事務所に向かいます。 歩くのが楽しくなってきました。 
さて 過日は私どもへのいつも温かいお心遣いをありがとうございました。 

長年続いた自民党政権に嫌気がさし、民主党政権に今後を委ねたにも拘わらず、残念ながらその政権運営は、必ずしもよしとしないことの連続です。 鳩山邦夫さんの米軍の普天間基地の移転問題や、尖閣列島での中国漁船が哨戒艇へ追突した問題の、仙石官房長官の処理に対する不味さ等、枚挙に暇がありません。 今後も政局は混迷を深めるかもしれません。

友人がうな重を食べ歩いているという話を聞き、私も外出先でご飯を食べるときには、意識してうな重を食べるようになりました。 友人によると2時間待ちの南千住駅前の「尾花」、築地の「宮川本店」、麻布の「野田岩」がトップ3だそうです。 私は住まいの近くの多摩方面をとりあえず、食べ歩いています。 私のトップ3は若おかみが外人の八王子の「志乃ざき」、作家の山口瞳が好きでその家の側で出店した府中の「押田」、日野の「藤田」です。 私自身はまだ多摩方面で食べてないところも多々あり、とりあえず食べたお店の中でという注釈がつきます。 小学校の級友がそこの娘である上野の「伊豆栄」は、私にとっては勿論別格です。

今年の冬はどうなるか分かりませんが、ますます寒さが一段と厳しくなると思いますが、お身体に気をつけてお過ごし下さい。 これからもご指導、ご鞭撻のほどよろしくお願いいたします。

座禅を楽しむー静か・定への道へ進むー2

2010-12-10 08:59:39 | 座禅
 座禅は意識を一点に集中しながら、静かになります。 静かとは心身ともに体の内部の隅々までを、静かな状態にすることです。 静かにするにはある一定程度の時間が必要です。

 私は最低でも1時間は必要だと、自分の体験から認識しています。 静かな状態を続けて維持しようとすれば、更なる時間が必要になります。 私はまだ3時間の経験しかありませんが、機会があれば更に時間を延ばしてみてみたいとは思っています。

 静かな状態を何処で感じるかと言いますと、血液などの流れではなく、体の中を流れる気の流れ具合で感じるのです。 特に微細な神経細胞がある脳の刺激の仕方で感じます。

 座禅を始めたばかりですと、その刺激は硬く、強く感じます。 それが時間の経過と共に、次第に緩やかに滑らかにはなってきます。 今ではこれぐらいの感覚であれば、もう1時間経ったという具合に感じるのです。

 殆んど動かない状態になることは、滅多にはありませんが、「定」と感覚とはこんな感覚という雰囲気は分かります。 ひたすら胡座を組み吐く息を出来るだけ長く吐きながら、一点に集中する座禅は、動く中では味わえない独特のものがあります。 だから楽しいのかも知れません。

座禅を楽しむー静か・定への道へ進む

2010-12-09 15:48:56 | 座禅

 座禅というと直ぐに、誰もが「無」「無欲」と言う言葉が思い起こされます。
そのような境地に簡単になれるのであれば問題はないのですが、なかなかなれるものではありません。

 私は座禅(静功)を生まれて初めて行なっとき以来、無我夢中で普通の肺呼吸で、吐く息だけを出来るだけ長く吐くことだけを、行ってきました。 それもいつも深夜の1時間に。 胡座の組み方も普通の組み方でした。 

 空手の型を行う時に、息を吐くー呼気のときに、「ウー」とか「スー」とか息音をたてながら、できるだけ長く出来るだけ無理なく吐いていたのです。 それもイメージで体の中へ吐いていました。

 始めた当初から座禅は1時間行っていて、一時期は3時間連続して行ったことがあります。 考えてみますと、初めから座禅を1時間行っていた事が、結果的には良かったと感じています。 45分から1時間経たないと体の内部流れる気の動きが、ゆるやかに、優しく、滑らかにはならないからです。

 座禅の本当の良さを知るには、最低でも1時間行う必要があるのです。 それは30分2回ではいけないのです。 残念ながら多くのお寺の座禅会では、30分の座禅会が一般的です。 初めから1時間行えば、その良さを実感できるはずなのです。

 私が行うひとり座禅は、自ら進んで行うのです。 それも楽しいからです。 お坊さんのように、修行と思ったことは一度もありません。 吐く息を出来るだけ長く吐き、吐く息をイメージで体の中へ吐き、吐く息だけに意識を集中することによって感得できることは、とても素晴らしく自らが感じてもらうことなのです。

 吐く息だけに意識を集中するだけでよいのです。 1時間静かに胡座を組んで呼吸をするだけで、今までとは違った感覚を得ることができるのです。

 はじめは足も痺れるでしょう。 この痺れも慣れれば、痺れなくなります。 1時間の座禅を通して、静かー定への道につながって行きます。

歩いてみて改めて分かったエネルギーの燃焼システム

2010-12-07 08:39:09 | 健康

 深夜の1時間の座禅は日常的に行ってはいますが、20年数年前3年間激しく行った硬式テニス以来、殆んど体を動かすことはありませんでした。 

 人と会うとき以外は、アルコールを呑むこともなく、もっぱらお水を飲んで過ごす毎日です。 昔から美味しいものが大好きで、甘味を抑えたケーキには眼がありません。

 人間―生物の飢餓に対するエネルギーの保存システムに、自分でも知らず知らずのうちにはまってしまい、余分なエネルギーは20数年かかって、内蔵脂肪の蓄積という形で残ってしまいました。

 従って健康診断をすれば、正直にその結果が数値に表れることになってしまったのです。  

 それではまずいと思った瞬間から、歩き始めたのです。 身近にいつも歩いている人が、何人かいてくれたおかげで、自分も歩こうかという気分になれたのかもしれません。

 歩いて改めて分かったことは、体を動かさないとエネルギーの燃焼システムが、正常に働かなくなるのではないかと感じたのです。 食物の摂取とエネルギーの消費の関係が、バランスが崩れ次第に保存と蓄積だけに傾いてしまっているのに、気がついたのです。

 いつも体を動かし運動をしている人は、システムが正常に働く、意識しなくても良いのですが、体を動かすことをしない人・できない人にとっては、エネルギーの蓄積だけで燃焼が、上手く働かなくなってしまうのではないかと、晩年の母の姿を思い出しながら感じてしまうのです。

級友のシンガー・ソングライターから学ぶ素直な表現の大切さ

2010-12-06 08:12:14 | 文化

 小学校の級友で、元銀行マンでシンガー・ソングライターで活躍している人がいます。 小学校で6年間、その後クラス会やゴルフの会で会う機会がありますが、その友人から学ぶことがあります。

 私達は生まれて子供のころは、自分たちの感覚は素直で、その表現も感じたままを表すものですが、親や周りの子供たちや大人たちの影響を受け、次第に素直に表現出来にくくなってしまうのです。

 私は友人が歌う、創る歌が、とても素直に表現しているなあと、ある時感じたのです。 私は自分の子供を育てるときには、是非いつでも自分を素直に表現できる子供に育って欲しいと思い、そのように育ててきたつもりでした。

 小学校に入る前にお絵描き教室で描いてくる絵は、自分でいうのもおかしいぐらい素晴らしい表現でした。 それが幼稚園に入ろうかという時に、私は申し込むのに、わざわざ夜中に並ばなければ入れないような幼稚園なら、入らなくても良いと思い、子供を幼稚園に入れませんでした。

 ある時お絵描き教室の先生が我が家を訪ねてきて、「何かあったんでしょうか。 描く絵が全然違って来てしまったんですが」、と描いた新しい絵を持ってきて言うのです。 その絵を見てびっくりしてしまったのです。

 それまでの絵は画用紙をいっぱいに使って、のびのびと大胆に描いていたのに、小さく女の子が泣いている絵なのです。 近所の子供たちが幼稚園に行ってしまうと、我が子は一人寂しく感じていたのでしょう。 こんなにまで感じさせてしまっていたのかと、後悔の念でいっぱいでした。

 遅まきながら幼稚園の園長先生に顔の効く、近隣に住む我が師に頼んで、幼稚園の入園を図りましたが、結局入園できたのは、半年間だけでした。

 私自身も遅まきながら、いつも如何に素直に自己表現できるかを意識して、毎日の生活を送っております。

ヴァイオリン・ソナタを聴いて胸が感じて

2010-12-05 10:02:41 | 文化

 昨日、近隣のホールでベートーベンのヴァイオリン・ソナタの演奏会があり、知人から誘われ聴いてきました。 樫本大進さんのヴァイオリン、コンスタンチン・リフシッツさんのピアノでした。

演目は第1番ニ長調作品12‐1と第5番へ長調作品24「春」及び第10番ト長調作品96でした。 生のヴァイオリンの演奏は滅多に聴くことがないので、とても新鮮な感じがしました。 前列から4列目ということもあり、ヴァイオリンとピアノの奏でる音に、集中することができました。

私はいつも音楽を聴くときは、眼を瞑り胎息(肺呼吸を行わない気の呼吸)をしながら集中します。 ヴァイオリンの音色が、胸を強く刺激します。 胸が痛いくらいに、演奏の間刺激を受けます。

テレビで千住真理子さんの「カンツウオーネを歌うように」のタイトルで聴いた時以来、ヴァイオリンの音色が好きになってしまいました。 考えてみれば、子供のころに嫌や嫌やながら、ヴァイオリンを練習してきたのを、思い出しました。

何事も力を抜き作為を持たず自然体でいることが大切です

2010-12-04 09:01:15 | 座禅

 座禅を初めてから気をつけていることは、いつも肩の力を抜きリラックスすることです。 これは日常生活についてもです。 

 吐く息を出来るだけ長く、イメージで体の中へ吐いていますと、生来眠っていた機能が復活し、突然何らかの形で変化を現します。 そんなときにも、びっくりすることもなく、その動きを素直を受け入れ、自然の動きに任せます。 

 日常的に行う座禅を行う心構えを、そのような姿勢で臨みます。 いつも自然の摂理に従う気持ちを持っていることが、肝要なのです。 

 座禅を行う心構えがそうであれば、何事に対しても自然体で臨むことが出来るのです。 いつでも作為を持たないことも大切です。