胎児の時に行なっていたと思われ気の呼吸である胎息のときの横隔膜と下腹の動きと、普通の肺呼吸を行うときの動きを比較してみると、禅宗で行なう息を下腹から吐くときに、下腹を凹ます呼吸法は不自然ではないかと、いつも感じてしまうのです。
私達がお母さんのお腹の時に行っていた気の呼吸―胎息を、この世に生まれ出た瞬間に、オギャーという泣き声と空気を吸う肺呼吸に変わる過程の中で、下腹を動かす腹式呼吸を行っています。 私達は赤ちゃんが、下腹を呼吸のたびに動かしている姿を、よく見ています。
時間の経過と共に、下腹の動きはなくなり、胸を動かす肺呼吸に変化していくのです。
私は、無我夢中で行なってきた逆腹式呼吸は、横隔膜を広げて大きく息を吸い、吐く息だけゆっくりと吐き、吐く息を体の中へ吐いていきます。 普段行なってきた肺呼吸を、ただ息をゆっくり吐くだけで、吐く息を体の中へ吐いただけで、自分ではわけも分からずに、逆腹式呼吸から気の呼吸である胎息に、たどり着いたのです。
いつも感じることなのですが、逆腹式呼吸が気の呼吸については、逆ではなく正規ではないかということです。 息を吐くときに下腹を凹ますのではなく、凹んでいた下腹が、元に戻るというのが正規ではないかということです。
私の逆腹式呼吸は、大きく息を吸ったときに、胸は広がり下腹は凹みます。 息を吐くときには、胸も下腹も元に戻るのです。 禅宗(臨済宗・黄檗宗)では、息を吐くときに下腹を凹まし、息を吸うときに元に戻ります。 胸を膨らますか元に戻るかの動きは、私にはちょっと理解できないところがあります。
禅宗の中でも曹洞宗については、呼吸法については普通呼吸ということで、壁面の一点を見る(最終的には半眼ということのようです)という意識の集中方法で、座禅を行うようです。 私は曹洞宗のお坊さんを何人か知っておりますが、この方法ですと、意識を集中するのがとても難しいように感じました。
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