座禅と云えば直ぐに、誰もが無心と云います。 無心の状態を創り出すために、意識を一点に集中します。 例えば、壁面の一点を見つめる、長く吐く呼吸に意識を集中するなど。
私は自分自身の体験を通して、意識を一点に集中しながらも、ふと浮かぶ雑念は払うことなく、静かに考えることが大切であると思っております。
心身の深層部までも静かな状態になってきますと、脳の状態が子供の頃にプールの中で潜水した時に、シーンとなりますが、その時と同じような状態になって来ます。
日常的な問題解決をしなければならないような問題–雑念が、ふと浮かんでくることがあります。 座禅を始めて直ぐに浮かんでくるような雑念は、直ぐにも払う必要がありますが、意識が一点に集中し、心身ともに静かな状態になった時に浮かぶ雑念は、払うこともなく考えてよいのです。
不思議なことに、そのような時に静かに考えていると、天の方からか、このように考えたらどうですかとサジェスチョンがあるのです。
私は、そのような積み重ねの中で、自分自身のものの考え方が構築されてくるのではないかとも思うのです。 そうでなければ自身の考え方が見直され、新しい考え方も出来上がって来ないのではないかとも思うのですが。