ひとり座禅のすすめ

自分ひとり、坐禅(靜功)を日常生活の中で取り入れていくと今までと違った感覚を覚えていく。

禅僧は瞑想と坐禅の違いをよく強調されますが

2014-03-03 07:22:17 | 座禅

 禅僧は瞑想と坐禅の違いをよく強調されますが、はじめに悟りを開いて仏教を起こしたのは、お釈迦さまではないのですかといいたいところです。

 誰がコメントされたかは分かりませんが、wikipediaに「坐禅はMeditation(瞑想)と翻訳される場合があるが、目を閉じて思考する瞑想と坐禅は別概念であると。

 一般的に禅宗のお坊さんは、上記のようなことを話される場合が多いようです。

 今日の仏教の源であるお釈迦さまは、いわゆる厳しい修行をされてもなお悟りを得られることがなく、菩提樹の下で胡坐を組んで、いかにしたら多くの人々の苦しみを救うことができるだろうかと、瞑想を始められたといわれています。

 悟りを開いたお釈迦さまの姿(目は半眼になっていたという姿)を見て、目は半眼にするものだと弟子の方々が、書き記したのでしょう。

 私は自分の体験から、お釈迦さまは瞑想をされたとき、力が抜けて目が自然と半眼になったと思っています。 半眼は意識するものではなく、力が抜けてくれば究極的には、目は自然と半眼になると感じています。

 力を抜いてリラックスし、上半身を頭のてっぺんが天から引っ張られるように、胡坐を組んで座り、長く吐く呼吸だけに意識を集中することによって、ある意味では「無心」や「無」に近づくものと感じています。 それが座禅の基本だと思っております。 これは臨済宗・黄檗宗の場合です。

 ただし禅宗の中でも曹洞宗では、壁面の一点を半眼で見つめるというのが、座禅の基本です。 私は、この意識の集中の方法は、とても難しいと感じています。 呼吸は普通呼吸になります。