私たちは、何時から何かを理解しなければ、一歩前に進まなくなったのでしょうか。 少なくとも子供のころには、ごく自然に近所の友達と遊ぶ中で、様々なルールや遊びの楽しさを学んできたのです。
大人になるにしたがって、理屈をつけて自分が分からないものには、チャレンジしなくなってしまっているようです。 まだ十分な体験がないにもかかわらずです。
子供のころは、何も分かりませんので、全てが新鮮です。 近所のガキ大将の言うままに、ルールを学び遊びに興じます。 それでも子供でも考えることはできますから、どうもこのガキ大将のルールはおかしいと、いつか感じていくでしょう。 そのようにして、少しずつですが、繰り返しの遊びの中で、学んでいきます。
残念ながら大人になるに従い、その単純な繰り返す動作が、うっとうしくなってきます。 さらに、たいした経験もないのに、自分の頭の中で理解しないことには、先に進めないのです。
そのためには、いつも作為を持たず、自然体で物事に接する姿勢が、とても大切なような気がいたします。
私自身は、体験することから学んでいくということが、自分の性に合っているのか、これまでも、そのような姿勢で過ごしてきました。 座禅を始めて15年になりますが、改めて毎日深夜の1時間の座禅を通して、いつも肩の力を抜いて、頭のてっぺんが天から引っ張れている時間を過ごしていると、常日頃、体から力が抜けていることの大切さを、感じるのです。