ひとり座禅のすすめ

自分ひとり、坐禅(靜功)を日常生活の中で取り入れていくと今までと違った感覚を覚えていく。

上野の黒門小学校のクラス会が開かれて

2012-06-17 08:25:33 | 文化

 小学校3年の時のY先生と4年から6年までのK先生が、今年88歳の米寿を迎えました。 Y先生は私の近くに住んでおり、時々、電話をもらってはお伺いし、奥さんも交えて毎日見ている映画のことや現在読みかけている本のことや、昔の話を聞きます。 1年間しか習ってはいないのに、私の大好きな先生です。

 K先生は、早くに息子さんを亡くされて、今は奥さんの介護の生活をされていて、ご自身も5年ぐらい前に、軽い脳梗塞に罹り、細かいハンダ付けが出来ないことを、話してくれました。 毎回、日露平和条約を一方的に破棄して、参戦してきたロシヤの悪どさを話されますが、今回はおふくろさんの替え歌で、「おそロシヤさん」という歌をつくり、震える手で書き綴った歌詞を、北方領土の地図を付け加えて、私たちに配ってくれました。

 現役の会計事務所を経営する幹事のI君は、子供の頃に冬でも半ズボンで過ごしたことが思い出されるような元気さで、女性副幹事たちの協力で、先生も含め22名の参加を得ました。 不忍池前にあるホテル地下の中華料理やさんに集まりました。 

 若い頃に山で遭難したA君を除き住所不明が18名、住所が明らかでクラス会の通知を郵送した数が39名でした。

 シンガーソングライターの小椋佳のK君は、2年後に生前葬のライブを数日間かけて行う準備をしていて、なおかつ本の執筆を行なっていると、話しておりました。 奥さんのKさんに話を聞くと、肝臓を悪くして少しずつ痩せてきているとのことでした。 

 お寿司やさんの息子だったY君は、昔の出来事をよく知っており、御徒町周辺の同級生などの話を話題に、会を盛り上げていました。 奥さんのTさんは法事で、今日は欠席です。 また寿司パーティーを時々開いているとのこと。 今でも時々、寿司を握っているというのです。

 おでんの一平の女将だったMさんは、相変わらず物事をはっきりいう方で、上野商店会の顔役のようで、今回のお店のご主人とは親しくしているとのことで、利用させてもらったようです。 

 うなぎの伊豆栄の娘のあっちゃんに、お店の由来を聞きましたが、よく分からないということでした。 友人たちの話によると昔の小説も出てきているようで、280年位続いている店じゃないかとも話しておりました。

 ツナシマの娘のKさんは、快活さは相変わらずです。 昔からしっかりしていました。 副幹事の一人です。

 家が近くで、いつも一緒に学校に行っていたYOさんは、20数年前から寝るときに、今日一日過ごせたことを感謝し、明日も無事に過ごせますように、また皆も過ごせますようにと、寝ながら祈って寝ると話していました。 いつも幹事のI君とMさんと4人で、学校に通っていたことを、思い出しました。

 帰りに一緒に帰ったTさんから、意外なことを聞きました。 途中で転校してしまったのですが、一番印象に残っているのは、私のことだったというのです。 また中学は違ったのですが、友人が私の中学校にいて、その方が私のことが好きだったというのです。

 私は、今は文学座で活躍している新橋耐子さんに、小学5年の時に、あなたの将来は○○○だーと言って、クラス中の女の子から総スカンを食らって、それ以来、女性恐怖症になり、中学校では女の子とは話したことがありませんでした。

 大学教授であったKO君は、ネット上で自分のアドレスを乗っ取られ、改めてセキュリティーの大切さを知ったといいます。

 参加された方と全て話が出来たわけではありませんが、楽しいひとときでした。