きまぐれ発言

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学童疎開船「対馬丸」の悲劇

2014-06-29 07:43:45 | 政治関係

学童疎開船「対馬丸」の悲劇        (2014-06.29.)

 天皇、皇后両陛下は26日、戦時中の昭和19年に米軍に攻撃され、学童780人を含む約1500人が犠牲となった学童疎開船「対馬丸」の悲劇から今年8月で70年に成るのを機に、犠牲者慰霊の為特別機で、沖縄県入りし、国立沖縄戦没者墓苑(糸満市)で供花、礼拝された。

 そして、27日には対馬丸犠牲者「小桜の塔」(那覇市)、撃沈の悲劇を伝える「対馬丸記念館」を初めて訪れ、遺族、生存者と懇談された。両陛下の沖縄訪問は即位後は5回目で、皇太子、同妃時代を含めると10回めとなる。

 両陛下はこれまで、機会ある毎に「対馬丸」に言及されて来た。53年振りに海底で対馬丸の姿が確認された平成9年、陛下は「対馬丸見出さる」と題して、「疎開児の命、いだきて沈みたる、船深海に見出されけり」とのお歌を詠まれている。

 「大変でしたね」。当時、泊国民学校(那覇市)6年生だった堀川澄子さん(81)は27日の懇談会で、両陛下からねぎらいの声をかけられた。

 撃沈された夜、「やられた!」と叫ぶ引率の女性教諭の声で飛び起きた。沈みゆく船体が巻き起こす渦の中にのみ込まれたが、救命胴衣のお蔭で海面へ上がる事が出来、ボートの船員に救助された。「先生」「お父さん、お母さん」「助けて」と叫ぶ声が次第に消えていった情景を思い出すと言う堀川さん。「懇談は生存者、遺族に取って、節目になりました」と言葉をつまらせた。

 「生きて居れば、陛下と同じ年なんだなあって」と思い出を振り返る豊岡君江さん(78)は、天妃(てんぴ)国民学校5年生だった兄の豊岡功さん=当時(11歳)を失った事を両陛下に話した。

 懇談では、陛下から「私と同じ年ですね」と優しく声を掛けられ、両陛下の温かいお心が豊岡さんにも伝わってきた。「胸がいっぱいになりました。母も喜んでいると思います」と

■対馬丸事件;先の大戦中、昭和19年8月22日夜、沖縄から九州に疎開する学童ら約1800人を乗せた学童疎開船「対馬丸」が鹿児島県のトカラ列島・悪石(あくせき)島沖を航行中、米潜水艦ボーフィン号の魚雷攻撃を受けて沈没。学童約780人を含む1500人が犠牲となった。平成9年の海底捜索で船体が確認された。   (産経ニュースより)

(えびなたろう)



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