余録・・・・「建て方」工程写真-1

2009-05-04 12:26:33 | 建物づくり一般

[説明文言追加 15.07、18.19] 

1986年の春だから、もう23年になる。
いつであったか紹介させていただいた「木骨煉瓦造」の建物(「煉瓦・・・・その活用」を参照ください)の「建て方」工程を撮ったスライドを発掘!したので、ほぼ日程を追って紹介させていただきます。

今日は、建物の概要と、第一日目の「土台の据付け」まで。
平面図、断面図は、右手が南になります。したがって外観写真は、平面図でいうと右上から建物を見ていることになります。
各部の簡単な説明は、写真の中に書き込んであります。

[説明追加 15.07]
なお、平面図と断面図の色を塗った箇所の通りの柱の内、両方またはどちらかの柱を通し柱として、そこから両側、つまり南北に梁を掛け、それぞれ柱で受ける架構法をとっています。言って見れば、棟持柱方式の変形です。
[説明追加 18.19]
⑥の写真は、平面図の右下の部屋(「居間」)位置から東北方向を見た写真です。土間コンクリートを打ってありますが、ベタ基礎ではなく、温風床暖房設置用です。

建物は、茨城県旧谷田部町、現在のつくば市にあります。
今は、周辺が建て混んできましたが、この当時は、一戸の敷地は200㎡以上という規制がありました。この建物の敷地は約600㎡あります。
この規制はいつの間にか消えてしまい、現在は150㎡以下がザラとのこと。
研究学園都市開発にあたって叫ばれた「自然との調和」「既存集落との調和」なんていうフレーズはすっかり忘れ去られています。

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余録・・・・明治の鉄骨トラス:丸山変電所

2009-05-02 18:31:47 | トラス組:洋小屋

大分前になりますが、現在は重要文化財に指定されている「煉瓦造+鉄骨トラス」の「丸山変電所」を紹介しました(「丸山変電所・・・・近代初頭のレンガ造+鉄骨トラス小屋」を参照ください)。

そのとき載せた以外の写真(スライド)を最近発掘!しました。トラスに関心がお在りの方が、かなりおられるようなので、そのうちのいくつかを新たに紹介させていただきます(一部は重複しています)。

重文に指定される数年前の1990年5月の撮影で、写真がブレている上に保管も悪く、画面が汚れていますがご容赦ください(重文指定は平成6年:1994年、修理工事は平成14年:2002年終了)。


建物は二棟並んでいますが(峠寄りの「機械室」と横川駅寄りの「蓄電池室」)、これは、越屋根の付いている「蓄電池室」の方です。

このスレンダーなトラスは、惚れ惚れします。現代の《技術者》《理論家》に比べ、明治の技術者は数等優れていたのです。

修理工事で、煉瓦造の壁の部分をH鋼で武骨に補強をしたようです。
私の目では、そんな必要はないと思えましたが・・・。
構造屋さんは、「煉瓦造=アブナイ」と頭から思い込んでいる、皆、何か勘違いをしているのではないか、と思います。だって、明治の末からずっと安泰だったのですよ!

変な補強の結果、大きな地震で壊れなければいいな、と願っています。
今盛んに行なわれている「耐震補強」、部分的に強い場所をつくって、わざわざ架構に強弱をつけ、私の目には、むしろ、破壊を奨励しているように思えてなりません。構造屋さんのご見解を聞きたいと思っています。


なお、同時に、86年に撮った「建て方」の工程写真も発掘しましたので、整理して近々に紹介します。「差物工法」の二階建て住宅の「建て方」です。

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